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2007.06.17

「戦後」を考えたり、カメラ雑誌を考えてみたり

京都文教元気プロジェクトの映画祭上映プロジェクト・宇治シネペックのイベント「平和をつくる若者たち」は19日(火)にも京都文教大学指月ホールで16時半から開催される模様。ドキュメンタリー映画『オッケドンム』の視聴とディスカッション。
土曜日にも開催されて、映画をみて監督さんを交えてディスカッションをしたのだけど、あらためて東アジアという場所における日本の特異性を感じずには居られないなと感じた。戦後補償の問題とか、まったく自分にとっては「切り離された言説」だと思わずにはいられないのだ。そういう生き方をしてしまったのである。それを教育の問題とすることはたやすいのだが。いやはや。
「知ること」と「まず話し合ってみること」の大切さを訴える映画であるが、ほんとうにそうだと思う。ただし、問題が大きすぎて、すぐにフリーズしそうになる自分もたしかにいるわけで。

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で、つぎの週末は同じように「戦後」を考える集いです。
静かに、淡々と、でもかなり大きいものが、得られそうなイベントになればと思う。
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ていうか、この一週間はいつにも増しておもしろいと思う。
いろんな意味で。

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本屋のカメラ雑誌コーナーで、「カメラ日和」とか「女子カメラ」とかの雑誌をみるにつけ、
この流れを生んだ最初の出来事は、やはりHIROMIXの出現と、ロモとかのトイカメラだと思えるのだが、つくづくすごいことだと思う。
「カメラ部員」って、今じゃすごくオシャレな雰囲気さえ感じるのだけど、
90年代半ばまで高校生だったりした我々の世代には、ありえないことなんだよ、と(笑)

そういえば高校時代、バイトして買ったもののひとつとして一眼レフカメラがあった。
なので一時期、カメラ雑誌を買ってそれなりに勉強していたが、どうしてあの頃に「カメラ日和」みたいな雑誌がなかったのかと、今の雑誌コーナーの充実ぶりを見てくやしい気分にすらなる。
おかげで、私には「CAPA」ぐらいしか読む雑誌がなかったわけだ(分かる人はここで失笑)。
つまり、カメラが好きですなんて、人前では決して言いにくい時代なのであった。

で、改めてヒロミックスのことを調べると、彼女がブレイクしたのがちょうど1995年のことで、それは私が高校生活を終える頃だったわけで、ドンピシャだ。そこから「ガーリーフォト」というコトバができたらしい。(ここ参照
私がロモをはじめて知ったのは、大学の先生が捨てていたのを拾って読んだananの別冊カメラ特集号で、「こんなカメラがあるのか!」という驚きと「失敗写真を愛でるなんて、なんてステキな態度だ!」と意味も分からず興奮してすぐ購入してハウのネタにしたのだが、それは確か2000年ごろのことだ。

あー、それぞれがあと5年早かったら、私も高校時代に間違いなく写真部に入っていただろう。

あー、でもそうなると、きっとあのときフリペなんて作らなかったのかもしれない。
青春はわからない。

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Comments

やはり、近代日本史の勉強会でもしましょうか?w

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カメラの件も同感です。
俺は高校一年(1996)の時に写真部にいたことがあるんですが、その当時でさえ「鉄道」と同様に「マニアック」感は払拭しきれてなかったですね。

そのうち「鉄道」分野においても、「鉄道女子」とか「電車日和」とか「ル・トレイン」などという女性を意識したオサレ鉄道雑誌などは刊行されないでしょうかね?

それから、女子写真ブームの裏には「写るんです」の発売もあるかと思います。

Posted by: mizuix | 2007.06.18 08:59

mizuix>「ル・トレイン」て(笑)
鉄道もカメラも好きな貴殿は、さぞかし苦しい思いをしてきたのかもしれない。
「写るんです」は昔からあったんだけど、きっとプリクラのおかげで「撮影する、撮影される」ことの敷居が低くなったので、写るんですも多用された、ということかもしれませんな。

Posted by: HOWE | 2007.06.18 22:38

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