疾駆する情熱
ヤフーニュースのリンクで(こちら)、元F1王者のアラン・プロストが「今のF1はマシンがよければ誰でも勝てる」とコメントしている。
最近、「なぜ昔、私はF1があんなに好きだったのか」というのを自問していたところだ。
逆に言うと「なぜ今のF1に興味がもてないのか」ということだ。
別に私はプロストがいうほどには、去年デビューしたルイス・ハミルトンに才能がないとは思わないが、それでも「勝てるチーム」が限られていくこの状況は、年々すごく際立ってきてしまっている。そこが残念なのだ。
はじめてF1にハマった1990年シーズンの、レイトンハウスという弱小チームが見せた「ピットインせずにタイヤ交換なしで走り続ける」という電撃作戦で、あわや1位2位を独占しそうになったフランスGPのレースとか、あと1997年のハンガリーGPで、性能のレベルは下から数えたほうが早いぐらいのアロウズ・ヤマハのマシンに乗っていたデイモン・ヒルが、この週末だけやたら絶好調で、途中までトップを快走し、ギリギリ惜しくも2位になったレースなど、「ちょっとしたがんばりで起こる奇跡」みたいなレースにめぐり合うことが、最近はなかなか難しい。
ところでデイモン・ヒルについてウィキペディアでみたら、「庶民派」と呼ばれた彼らしい味のあるエピソードが多い(こちら)。チャンピオンになった翌年、鈴鹿でレースを終えたあと名古屋から新幹線に乗って東京へ戻ろうとしたら、どこも席が取れず、ずっと立って乗っていたとか。さすがデイモン。
ハンガリー、1997年。ほぼマシンがスローダウンぎみになったヒルは惜しくも最後の1周で抜かれる。
あまりに近年のF1が「マシン性能至上主義」的になりすぎて、以前はもうすこしあったはずの「人間臭い闘い」がめっきり影を潜めた感じがする。それはそれで主観的すぎる穿った見方かもしれないが。日本GPで2年連続、ともにチャンピオンを賭けた大事なレースで、2回ともにセナとプロストのマシンが、ほんの一瞬のアヤで接触してしまったことは、「因縁のライバル」という構図が示しうる以上の、カタルシスに近い驚きやら複雑な情動やらを喚起させたものである。
でももうひとつ、大きな要因をあげるとすると、モータースポーツとの距離感は、クルマというものに対して以前ほど興味がかきたてられなくなったというのが大きいかもしれない。エコロジーブームの影響か。そのへんで、ちょっと我に返ってしまっているのかもしれない。
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