僕の赤外線
1956年当時のニュース映画をスカパーの「ヒストリーチャンネル」でみていたら、ゴルフブームについてのニュースがあった。そのなかで、広っぱに作られたゴルフ練習場で、子どもたちが虫かごみたいなものを被らされて、手には虫取りアミみたいなものを持ち、地面に落ちているボールをひたすら集めるという仕事をさせられていた。
「虫取りアミを持った虫かご」というのは、ある種の現代アートみたいでもある。
ていうか、ボールが当たってあぶない仕事だ。しかも子どもにさせるあたり、どうなんだそれ、という気分だ。
当時の日本だって、いまとそんなに変わらないぐらい、どこかでみんな無茶してるよなぁ、と。
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このまえ、若い人々と、みんなで一気に携帯のメールアドレスや電話番号を交換し合うというシチュエーションになった。
そして、みんな当然のように携帯電話の「赤外線通信」を使うのであった。そのほうが簡単だからだ。
私は新しい携帯電話を手に入れたばかりで、かつ前に持っていた携帯には「赤外線通信」の機能なんてなかったので、私は電子機器を扱いながら、「操作に手間取りすぎて、周りの人のペースについていけず、どうしていいかわからない」という状態に陥った。
この出来事は、(いつもの通り、大げさな表現だけど)「テクノロジーの進歩についていけなくなった世代の悲哀」を体感した、はじめての経験ではないかと思った。
今週は、じつにいろいろなことがあったが、最も心に残った出来事をあげるとすると、このことだ。
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