「木村カエラも神社にいく」
木村カエラも、ちゃんと神社に御参りにいく。
忙しいとか言っている場合じゃないな。見習いたいものだ。
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『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一、講談社現代新書)を強烈に薦められたので、読んでみた。きっと名著なんだろうと思う。「きっと」というのは、私のような者に、分子生物学というテーマでここまでグググと読破させるほどだから、きっと生物学の本としてはすごく良く出来た本なんだろうな、と思うからだ。
ちゃんと著者の言いたいことを自分が飲み込めたかというと、そうでもないのだが、でも生物学の微細な世界についての議論を通して、人間の、非物質的な精神生活にまで踏み込めそうな射程を見せてくれたことがスリリングだった。たとえば「原子はなぜこんなに小さいのか?」という問いは、そのまま「なぜ生物は(原子に比べて)こんなに大きい必要があるのか?」という問いに変換されて、そのような問いに対する考え方として、「生命現象に関わるあらゆる要素が動くうえで、避けられないエラーの割合を極力控えめにするため、原子の絶対数は多く設定される」とかいう説が紹介されていたりして、「それって生物だけじゃなくて、人間の社会生活全般にもあてはまりそうな話じゃないか??」と思えたり。
そういうふうに、すぐに話を単純に飛躍させたがるのが私の悪いクセだが、でも以前に読んだ『複雑な世界、単純な法則』(マーク・ブキャナン、草思社)の内容を想起すると、生物学や物理学で見出せる現象や法則が、そっくりそのまま、社会や政治で起こっていることとマジックのごとく関連づけて語られそうな証拠がドバドバ見出せてしまう状況を見渡すと、あながち的外れでもないんじゃないか? と楽しく夢想できる。
そう思うと、南方熊楠が研究した粘菌の生態についての話を、「内発的発展論」のモデルとして社会学や国際関係論のレベルに応用しようと苦心した鶴見和子さんの発想っていうのは、かなりプログレッシヴだったんだなぁと実感。
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