さいきん内田樹のブログを読むようになって、すごく考えさせられることばかりなのだが、
今日の記事「大学は市場に選別されるのか?」もそのひとつ。
(こちら)
「企業経営を教えていた当の大学が経営破綻したという事実から私たちが引き出しうるのは、『教育にビジネスのロジックは適用できない』という言明である。」
「市場による格付けとか定員充足率とか偏差値とか科研の採択率とか卒業生の就職力とか生涯賃金とか、そんなものは大学における教育の指標としては『たいした意味はない』ときっぱり語っていただければと思う。」
たとえば、このまえある新聞記事を読んでいたら、企業経営に携わった人が大学の経営陣に迎え入れられてインタビューを受けて「大学も一般企業と同じく社会のニーズに応えなければならない」といった調子で語っていたのだが、こういう訳知り顔で語るオヤジに向かって私が言いたいのは
「そんなに社会のニーズに応えたいんだったら、まずあんたの大学を先につぶしたらええやん」
ということだ。無駄な大学がつぶれてくれたら、それだけ補助金の無駄遣いは減るし、国民の税金が効率的に運用される。それこそが社会のニーズだ。
でもそうできないからこそ、大学間競争はむずかしい問題をはらんでいるし、ましてやビジネスモデルの成功例を安易に組み込んでしまえばいいなんて、そこで思考停止してもどうしようもない。
そこで、ふたたび内田樹のブログより、これこそ私が「!!」と思った記事、「大学が生き延びるために」も紹介しておく。(全文はこちら)
いくつか抜粋。
「大学淘汰が言われ始めた頃から、どこの大学でも「実務経験者」を大学経営に迎え入れた。
彼らは教育をビジネスだと考えた。
何度もいうようにそれは違う。
ビジネスにおいてマーケットは原理的に無限大であるが、教育はそうではない。」
「私たちが分け合うことのできる『パイ』は確実に縮んでいる。
繰り返し言うが、ビジネスマンの中に『マーケットがシュリンクする状態でどうやって経営を維持するか』ということをまじめに考えた人間はほとんどいない。
資本主義的には『シュリンクするマーケット』などというものは『存在すべきではない』ものだからである。
だから『シュリンクするマーケット』の中でも、他の大学の成功事例を真似するという戦略を採用する。
その場合に何が起こるか。
それは『非情にまでに正確な格付けが可能になる』ということである。」
「大学淘汰の時代が始まったと予告されたときに、一部の大学は『他の大学と比較考量しにくいニッチ』を選んだ。多くの大学は『他の大学の成功事例を真似た』。
文科省が提唱した『GP』というのはまさにそのようなものである。
『成功事例(Good Practice)』集を作るから、それを真似しろと文科省は全国の大学に命じた。
生き延びるためには『人の真似をしろ』というのはいかにも(そのようにして今日の地位にたどりついた)日本の官僚が思いつきそうなことである。
だが、凡庸な官僚や三流のビジネスマンは『人の真似をする』方がリスキーで、『人と違うことをする』方が生き延びるチャンスが高い状況というものがこの世にあるということを知らないかあるいは知りたがらない。
けれども、『前例がありません』という言葉がつねに何かをしない(させない)ときの合理的な論拠になると信じている人たちには生き延びることのむずかしい状況がこの世には存在する。
とりあえず現状を見る限り、『他と違うことをする大学』の方が『成功事例を模倣する大学』よりは生き延びるチャンスが残されているように私には思われる。
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