『9.11 アメリカを変えた102分』
スカパーのヒストリーチャンネルは、ちょうど9.11テロが起こった時間帯に2時間の特番『9.11 アメリカを変えた102分』を放送した。
この番組では、いままで公開されていなかった、報道カメラマンおよび一般市民の撮影したビデオ映像から編集されており、ナレーションは一切なく、ただひたすら時系列に沿っていろいろな角度からの映像が淡々と流れていく構成であった。
なぜこれらの映像が一般のニュースで使われないかは一目瞭然である。とくに一般市民の撮影したビデオは、当然のごとく手ブレが激しく、放送に耐えうるクオリティではないからだ。しかし放送の枠組みにのせられなくても、それは記録として生々しく、ビデオを撮影した本人もまた避難者として粉塵のなかを逃げ惑い、テレビの視聴者をまったく意識しないカメラの中には、あの日の惨状とそこに生きる人々の困惑した姿や声がすべてありのまま刻まれていた。
とくにビルの崩壊によって周辺地域におしよせた粉塵のすごさというのは、それまでのイメージの範囲をこえていた。まったく先が見えない都市を歩いて移動するというのは、足下の危険性を思うとかなり大変そうである。そして実際何人かのビデオ撮影者やその周囲の人々は、自分たちが避難すべきかどうか、まったく判断材料がないまま思考停止的になってしまっている状況を残していたりする。これらはテロに限らず、広く自然災害時のときの行動心理などにも参考になる映像記録であった。
一棟目のビル崩壊のあと、混乱する現場近くの建物で、ビデオを撮っていた市民(報道カメラマンかもしれないが)の目の前に、難を逃れたほこりまみれの消防隊員たちがいた。するとビデオの撮影者は自分の携帯電話を差し出し、家族に電話するように勧めた。そこである隊員は妻に電話し、なんとかつながって「自分は無事だ」と伝える。ビデオの撮影者は、ほかにも家族に電話をしたい人はいるかと他の隊員たちに呼びかけたりする。そうするうちに、また消防隊の一群は、もう一棟のビルに向かう準備をはじめ、外に出て行った。そういう出来事が、あの状況下ではたくさんあったんだろうなと思う。
この番組をみて初めて思い立ったのは、この出来事は一般市民の手によってたくさん映像として記録されたという意味で、人類史上初めてのテロ体験であったということだ。記録されたテロ被災は、その背後に、記録されなかったテロの姿をかかえている。そういう想像力は、当時ニュースでこの状況を必死に見続けていた自分にはまったくなかった。そしてこの番組でも、ちょっと離れたタイムズスクエアなどの巨大モニターでツインタワーの状況を見守る人々が、カメラに向かって簡単に「報復すべし」と口にする、その状況を冷徹に伝えていた。私にとってこの出来事が、それなりの意味を帯びているのは、そういった「想像力の欠如」というものを痛感させられたからであり、その結果当時の私は今までやってきたことをいったんリセットするような人生進路をとることにもなったのであった。
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Comments
記録できているということが出来事そのものよりも特殊であるという逆説に思い至る想像力があの国のどれだけの人にあるのかねえ。保険制度にも同様のパラドクスを感じる。
Posted by: isaac | 2009.09.12 21:09
isaac>保険制度もよくわからんのですよ。マイケル・ムーアの『シッコ』をみたほうがいいでしょうか。
Posted by: HOWE | 2009.09.13 23:34