あたらしいカフェ論
「あたらしいカフェ論」
なんて、思い切ったタイトルをつけてしまったが、なんてことはない。
たとえば、ある場所にカフェがあったとする。
すごく素敵なカフェで、何より「その場所にあることが素敵」だと思える店だ。
ポピュラー音楽でいうところの「アンビエント・ミュージック」みたいなもので、積極的・能動的にこちらが聴くような音楽ではなく、空気のように、その空間に溶け込んで流れる音楽のような、そういう「限りなく透明に近いカフェ」みたいな存在だ。
となると、たしかにそういうカフェには入ってみたくなるだろうし、お客として利用したくもなるだろう。
ただ一方で、別に自分自身がそこのお店を使わないにせよ、「あの場所にカフェがある、という事実そのものに、カフェを利用するときに感じられる何らかの安心感や充実感みたいなもの」があるんじゃないか、と。
「そこにカフェがある」、そして「そこにカフェがあるという事実に安らぐ」という効果だ。
や、「つべこべ言わずに店に入ったらいいじゃないか」と思うだろうけど、あえて安直にカフェに入り込むのではなく、そういう距離感でもって「カフェの存在感」を味わうというのもひとつの手ではないか、ということだ。
うむ、まぁ、それでも、「オシャレすぎて、自分が入るのに勇気がいるから、いつまでもためらっている」というのも、どこかで事実だったりする場合もあるんだが・・・
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Comments
なるほど、なるほど、そんなふうに好きな女の子にも接してしまうんですね( ̄ー ̄)ニヤリ
Posted by: num | 2009.10.21 15:21
num>なにをおっしゃるんですか、そんなことないですよー(笑)
Posted by: HOWE | 2009.10.21 21:36