僕らに哀しみの俳句をつくれというのか
今日、ヤフーニュースで、1日のあいだに次のような2つのニュース記事をみた。
ひとつは
残業月80時間、マクドナルド社員の過労死認定(こちら)
日本マクドナルド(東京)に勤務していた長男(当時25歳)が急性心機能不全で死亡したのは過重な業務が原因として、母親が、遺族補償給付などを支給しない処分を取り消すよう国に求めた訴訟の判決が18日、東京地裁であった。
渡辺弘裁判長は、「業務の過重な負担により病気を発症し死亡した」と述べて労災を認定し、不支給処分を取り消した。
判決によると、長男は1999年4月に同社に入社し、2000年6月から、川崎市内の店舗に勤務。同年11月7日正午から翌8日午前5時半まで働いた後、正午に再び出勤したが間もなく倒れ、死亡した。
判決は、「同社の業務形態は深夜勤務を含む不規則なもので、正社員はサービス残業が常態化していた」と指摘。病気を発症するまでの6か月間で、自宅でのパソコン作業も含め時間外労働が80時間を超えた月が相当あったと認定した。
そしてそのあとにみたニュースが、
1日で28億1180万円!マクドナルドが創業以来の売上最高記録達成!(こちら)
日本マクドナルドホールディングス株式会社が、1月17日に創業以来全店売上の最高記録を達成したことを発表した。1日の売上は、速報値で28億1180万円という大記録だ。
こういうのを、
「おぞましい」
という表現でとらえておくことに私は躊躇しない。
この青年がマクドで倒れる前に、『ジェネレーションX』の小説を渡すことができたら、と思う。本気で思う。
まさにこの青年の抱えていた果てしない苦悩を渾身のチカラで叩きつぶしていく精神性を描いた、はかなくも貴重な文芸作品だからだ。
ところで、
そういう気分になるちょっとした理由として、「本をあげる」という行為は、なんだかシンプルなんだけど、すごいことのように思えているからだ。
というのも、昨年末、毎年恒例のごとく手打ちそばを一緒に食べに行ったM・フィオリオから、佐々木閑という仏教学者の書いた本『犀の角たち』と『日々是修行』という本をいただいたのである。
読書家のフィオリオにとっても、この2冊はかなりオススメの本らしく、ありがたく頂戴した。
そして私はこの数日間、ようやくとりかかったこの2冊の本について、読了後、おおいに、スペシャルに、最近ありえないぐらいの感銘を受けていて、いったいどうやってこの刺激的でおもしろくて良心的でバランス感覚の優れた本について語ればいいのか、まったく手立てを見いだせていなくて、このブログにまだ書いていない次第である。
でも近いうちにちゃんと書きたいと思う。
いずれにせよ今日いいたいのは、本をあげる、というのはこの世界における尊い行いのひとつではないかということだ。最初まったく読む気がしない本だったとしても、そういう出会い(縁)によって読んでみると、すごく自分の世界が広がったり変わったりするんだろう。当たり前のことを言っているようで、気恥ずかしいものもあるが、つくづくこの当たり前のことについて、感謝したくなるわけだ。「本をあげる」ってブームにならないかな。
たとえ偏屈な考え方だったりしても、本に刻まれたある言葉や文章が、その人を倒れる寸前に救ってくれるかもしれない。私はそういう読書の道筋を信じている。じゃなきゃフリペとかブログなんて書かない。
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Comments
そうきたか!という感じでした。
マクドナルドの悍ましさから、
本をあげることについてとは。
…とりあえず、本の前にHOWEをプレゼントしてください。
Posted by: MSK | 2010.01.20 00:11
MSK>うまいこというねぇ(笑)そのうちお渡しします。
Posted by: HOWE | 2010.01.20 22:16
わたしも好きな男の子には本をあげていたものですよ。
Posted by: こけし | 2010.01.21 14:20
こけし>その男の子はむっちゃ幸せもんやと思います。女の子から本なんてもらったら、すごいインパクトあります。
Posted by: HOWE | 2010.01.21 22:09