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February 2010

2010.02.28

イベント終了:ありがとうございました。

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というわけで「Suite Night Discussion」、ご来場いただいたみなさま、ミッキー&安田さん、そしてフード提供をご協力いただいた猫町存美さま、「夏のあくび」さま、ありがとうございました。

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楽しかったです。
そして、笑っていただけてうれしかったです。

あと、何よりものすごく驚いたのは、去年の夏に名古屋に行った際、「シマウマ書房」でHOWEを置いてもらったのだけど、その店でたまたまHOWEを手にして、そこでフリペづくりについて僕にメールをくれた学生のFくんが、はるばる名古屋から駆けつけてくれたことですな。もちろん初対面であります。そのような行動力はつねに自分も目標とすべきところです。本当にありがとう! といいたい。フリペを作り続けていたら、こういうこともあるんだなぁ、とあらためて感動しました。

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とにかく主宰のお二人には感謝です。
またこういう機会があればいいですなー。

あと、自分が着ているのは、昨年ごろからずっと作ってみたかった「STUDY PUNK」シャツです。自作で印刷したものです。
これもみなさんに披露できてよかったです。

さて、次の山は週末の公開シンポジウム「老人よ大志を抱け」です。
こちらもぜひよろしくおねがいします!


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きょうイベント

ついに本日コモンカフェでのイベントです。
13:30オープン、14時開演です。
ビルの入り口にある下りの階段をおりるとコモンカフェです。
席数は30ぐらいでしょうか。

よろしくおねがいします。

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気持ちとしてはまさにこのノリ。



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2010.02.27

Jリーグ、さっそく失点

中村俊輔がマリノスに復帰するというニュースをうけ、ちょっと試合日程を調べるべく、もうすぐ開幕するJリーグの公式ホームページをチェックしてみた。で、トップページに表示された一番新しい更新として「今年クラブが目指すこと」というコーナーがあり、各チームの今年の抱負が載っているページに飛ぶわけだが・・・(こちら

J_league_miss

Inzaghihai

開幕の、日付と曜日が誤植になっています!!!

いやはや。
おおいに、ビビりましたよ。
だってこちらは3/7(日)のイベントのチラシを作ったばっかりだったので。
人騒がせなJリーグめ。今季最初の失点とはこのこと。

まぁ、そのうち何事もなかったかのように訂正されているんでしょう。
サッカーでいうところの、カバーリングのすばやい動きのごとく。


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2010.02.26

Amsterdam Zine Jam

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前回、Lilmagさんのブログで知った「Amsterdam Zine Jam」に、実際にHOWEを送ってみたら、無事に届いたようで、主催者からメールが届いた。(締め切りギリギリに航空便で送った感じがしたので、間に合ってよかった)
しかもフリペに添えて書いた簡単な手紙のところに、住所は書いたがメールアドレスを書き忘れていて、「しまったなぁ」と思っていたが、ちゃんと主催者さんは同封したフリペの巻末に記載されている私のメルアドをみつけてくれたわけである。日本語だらけで読めないであろうフリペなのに恐縮だ。

メールのなかで

We're thrilled by the zines we are receiving, they are beautiful, poetic, subversive, funny and totally rockin'!

とあって、「送られてきたZineたちは美しく、詩的で、破壊的で、ファニーで、そしてカンペキに、ロックだ!」という、そのコトバのつながりは、まさにいつも自分がDIY精神やフリペをめぐる活動を評して日本語として使っている(使いたい)コトバの感覚にマッチしていて、それも興味深かった。まさに「うんうん、そう言いたくなる気持ち分かるなぁ」と思える。

そんなわけで、ちょうど今頃、アムステルダムのどこかで、フリーペーパー「HOWE」は展示されているのである。
実際にその光景を見に行くことはできないのだが、「自分のフリペがアムステルダムのどこかに置いてある」という感覚を携えてすごす夜というのは、それはそれで、手応えは薄いかもしれないが、なんとなく心安らぐ。さんざん好き勝手なことを書きまくり続けて、それを繰り返しているうちに、フリペが今やオランダにまで飛んでいった。そのことがもたらす愉快な気分。そういう楽しみ方ができるというのは、ものを作ることの面白さの一端である。

ちょうど28日のトークライヴは「フリーペーパーを作るように生活してみると・・・」という、ちょっとだけ曲がりくねった題目でのぞむことになるのだけど、それ以前に、「いずれにせよ、やっぱり、フリペは、作ってみたらいいよ! この趣味、オススメやで!」っていうのが、まず何よりも口をついて溢れ出しそうなメッセージなのである、オールウェイズ。

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2010.02.25

efishにハウ

先日紹介した3/7のシンポジウム「老人よ大志を抱け」のチラシの設置をお願いするため、京都の河原町五条ちかくのカフェ「efish」に出向いた。
仕事の関係のチラシとはいえ、やはり以前のハウで書いたように、私の場合はフリペにせよチラシにせよ、飲食店においてはお客さんとして利用したうえでないと、店員さんに「すいませんがこれを置かせてもらえないか」とは聞けない。何も買わずにチラシだけ置いて立ち去る根性は、ない。

というわけで、ひさしぶりにefishでくつろぎの時間を持った。
そしてくつろいだついでに、シンポジウムのチラシに加えて、最新号のハウ19号も置かせてもらうことに成功した。
わりと快く承諾していただけたので、うれしかった。(以前から、ここはフライヤー以外は置きにくそうな印象があっただけに)

というわけで、京都を代表するカフェ「efish」に、いまならハウの最新号がある、はずです。
お店については(こちら)を。

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そして、週末28日のチャリティーイベントのほうもよろしくです。
パワーポイント、準備中です。

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2010.02.24

「老人よ大志を抱け」

もう日が迫ってきてしまいましたが、
ようやくチラシができましたので、アップします。

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クリックすると拡大します。

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なにとぞよろしくおねがいします!!


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2010.02.23

久しぶりに携帯から更新

『月刊島民』という中之島地域から発信されているフリーペーパーの製作者さんの話を聴きに行った。
電鉄会社からの温かいサポートと理解を得て活動していて、かなり夢のような好条件(と言っていいと思う)で毎回自由なテーマで発行を続けている。
そして特定の地域をネタにすることで、オーディエンスとのよい関係も築かれていた。
特集のネタはまず街歩きからひねりだしていく、というスタンスで、はじめに会議で『特集ありき』じゃないと述べた点がポイントかと思う。ゆえに私は質問として『編集会議ってどうやってるのか』を尋ねた。というのも、いっそそこまで地域の人々や場所と関わっていくことを重視するなら、編集会議だって中之島のあちこちで開いてみて、いろんな参加者を募ってやってみても面白そうかな、と思ったからだ。ただしこういう意見はビジネスとして雑誌づくりをしたことのない側の妄想にすぎないんだろうけど…

実はその質問のもうひとつのバックボーンには、今度うちの研究所でやるシンポジウム(今度またあらためて至急お知らせします!)のゲストが、あるインタビューで『雑誌をつくるうえで、そもそも編集会議というものは必要ないのでは?』というラディカルな意見を発しているのを見つけてしまい、この数日そのことの真意をぼんやりと考えていたのである。
まだちゃんと論じることはできないのだが、たしかに会議をすることがあまり意味をなさない活動やタイミングとか状況とかってあるよね〜、という感覚的な印象を語るにとどめておく。

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2010.02.22

TMの最高傑作

Stamp

最近消しゴムハンコづくりに凝っているHNさんからいただいた。
猫背のところも忠実に再現。見事。

━―━―━

今日、帰り道にこのアルバムを1曲目から順番に、じっくりと聴いて帰った。

Humansystem3
自分がゴシック体の文字を好むのは、このアルバムジャケットの影響が大きいはずだ。

ひさしぶりに聴いてつくづく思うのは、やはりTMネットワークの最高傑作はこのアルバムだと感じる。
そしてもはや20年以上も前の作品になってしまうということに驚きを禁じ得ない。
逆にいうと20年ちかくずっとこのアルバムをリスペクトしつづけているわけだが。

ちなみにこのあいだのイギリス旅行のとき、このアルバムで私がもっともマイナー視していた『Come Back to Asia』という曲がなぜか何度も頭のなかでリフレインしていた。題名や歌詞からすれば、モロに異国情緒あふれるノリでもあるのだが、それにしては安直すぎるだろう、っていう。海外にいくと、たまにこうして普段とは違う集中力というか、「脳内の風景」が変わるような気がする。


ちょっと歌謡曲っぽさが濃い気がする作品。でもよく聴くとやはり味はある。

Youtubeでうっかりこういう懐かしいアーティストを検索すると、止めどなく聴き入ってしまいますな。
TMの曲だと一晩じゅう語れそうな勢いだ。


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2010.02.21

内田樹「年の取り方について」

本屋で配布されていた講談社の『本』3月号をたまたま手に取ったら内田樹の「年の取り方について」というエッセイがあった。
「せめて『実際にそうなってしまったときに困らないように』、若いときには老人の条件を設定しておくことをお勧めしておきたいと思う」
とのことで、その際には「自分の『これだけは一生治らないだろうなぁ』という個性的な資質に焦点化しておくこと」と、「老人になった自分のありようについて、あまり具体的に細部にわたって想像しないこと」という2点を守っておくように、とのこと。
なるほどなぁと思った。と同時に、ただでさえこれまでの人生ずっと、会う人会う人に子どもの頃から「年のわりに落ち着いて見えますね」と言われ続けた自分としては、「もはやそれは言われなくても身についているのでは」と思ったり。

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NHKがバンクーバー五輪の女子カーリングの試合の模様を流していて、なんとか自分とカーリングとの間の距離を縮めようとしばらくがんばって観ていたが、やはりルールを知らないと楽しめない。このあたりはスポーツ中継の難しいところで、いちいちルールを説明しつづけながら実況・解説するのも難しいものがあるし、だからといってマニアックな方向のままでいいとも思えない。ましてやオリンピックでしかテレビで観ないようなスポーツだと、それなりの工夫はやはり必要ではないか。
そう思うと、野球の野村克也が解説者時代に「野村スコープ」というアイデアで野球中継に革新的な試みをしたことが際立ってくる。カーリングはまさに野村スコープのように、解説者が画面上にメモを表示させて図示しながら解説してみたらいいのでは。
あとカーリング中継は、選手や監督の「討議」の音声をそのまま拾って放送している点がほかのスポーツにはあまりない特徴かと思う。バレーボールのタイムアウトのときの監督の指示もカメラのマイクが拾うことがあるが、あれは往々にして監督からの一方的な指示が多く、そしてあまり面白い話が聞けた記憶がない。カーリングの場合は次のプレーに直結した、選手自らによる真剣な話し合いのトークなので、これってもうちょっと工夫したら、視聴者にカーリングをわかりやすく伝えられるヒントみたいなものになるのでは、と思う。

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2010.02.20

「カフェ・フリーペーパー」

グーグルで調べたら、「カフェ・フリーペーパー」、「カフェ・フリペ」とかいうフレーズは、ありそうでズバリなものがなさそう。
これは、今日おもいついたフリーペーパーの一形態である。

カフェ・フリーペーパーは、今回のハウのように、「行った先のカフェで、短時間にザッと手書きで書いてしまう」というフリペ。
カフェごとに違うフリペになっていく。
そして内容もカフェの紹介だったり描写だったりするのだろうけど、そうじゃない場合もある。
複数の人で行って、書きあうのも面白いかもしれない。

すでにそういうフリペがあった場合は教えてください。

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2010.02.19

熱いサポーター

『FOOTBALLISTA』という海外サッカーのコアな週刊誌がある。どれだけコアかというと、関西では、通常の書店では売ってないのである。最近、なぜか京都駅の新幹線のホームの売店にだけ置いてあることが分かり(コンコースの書店にも置いてないので、なぜホームの売店だけに・・・と思う)、この数ヶ月3回ほど出張で新幹線に乗るときだけ手に入れることができて、読むことができている。定期購読しようか悩むほど充実している雑誌であり、たまにすごいニュースも入っていてすばらしい。
今日はその雑誌からのネタ。
南米におけるリベルタドーレス杯(つまり国をまたいで強豪クラブチーム同士が闘う、欧州におけるチャンピォンズリーグみたいな大会)で、ペルーのウニベルシタリオというチームの名物サポーターに「ガリータ」と名乗る着ぐるみのサポーターがいるらしいのだが、そのガリータが着ぐるみのまま対戦相手のボリビアのチーム、ブルーミンのホームスタジアムであるサンタ・クルスまで「試合観戦の資金を募りながら陸路で移動」したとのこと。雑誌の記事では「着ぐるみのままで国境の検問を越えられたかは不明」とある(笑)。
なんだか、ムダに勇気づけられる話ではないか。
サポーターというより、もはやチームの公式マスコットに格上げしてあげたらいいのに(笑)

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2010.02.18

twitter

カシマス氏から招待され、背中を押されるようなかたちで、ツィッターのアカウントをとってみました。NaofumiTateishiで入りました。
プレミアリーグ公式アカウントとかチェルシーFC公式アカウントをフォローすると、いろいろ現地ニュースが入ってくるのは、たしかにステキかもしれない。無理矢理英語を読んでしまう状況に自分を追い込んでみる、みたいな。

ただ、いずれにせよ「つぶやくネタがあれば、まずはそのネタを過剰なまでに膨らませて、HOWE*GTRブログに書くことを考える」っていう習性からは抜けられそうにない・・・かも・・・

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2010.02.17

プログレはどこへ行った?

HOWEを創刊号から読んでくれている数少ない人物であるM・フィオリオ氏から、最新号のHOWE19号についての「書評」が手紙で送られてきた。
今回のHOWEを読んで「昔から標榜していた『プログレッシヴ』という理念はどこへいった?」という感想を持ったようで、非常に的確な批判が展開されていた。あまりに見事で、かつ笑えて、フリペよりも面白いんじゃないかと思える内容だった。さすがに創刊号から読んでいるだけはある。

 フィオリオ氏いわく、まるで19号は「商業主義に走って、毎年、毎年、シングルカットされたCDを寄せ集めてつくったアルバムを発売しているグループ」のようであり、サッカーにたとえると「個々のプレーはすばらしいが、全体にまとまりがなく、内容は圧倒的に押しているのに、スコアレスドローという、男子の日本代表」のようであるとのこと。確かにそうかもしれない。とにかく今の自分は「フリペを出すことそのもの」にこだわっているので、プログレッシヴ・ペーパー・メディアと標榜していた時代のHOWEにあった何かを犠牲にしている。
 ちなみに今回HOWEの表紙に、いつもと違って「パンクでありたいフリーペーパー」とだけ書いたのは、確かにそういう意識がどこかにあって「これはプログレ、といえるほどの内容じゃない」という思いがどこかにあったのは事実で、しっかりそこを読み取られていた。実際にプログレ・バンドをやっていた人がパンクに転向していったかのような流れをうまく指摘してくれている。

あと秀逸だったのが、僕が「隣に座っているフィンランド人らしき青年」と書いた部分について「スカンジナビア人と表現しておけば良いのに。フィンランド人とノルウェー人とスウェーデン人の区別がつくのか!」というツッコミ。たしかに・・・

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2010.02.16

究極のメニュー

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「や、山岡さんっ!?」


・・・『美味しんぼ』ね。
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2010.02.15

エレベーターに41時間閉じ込められた人

去年にみたWIRED VISIONの記事なのだが、いまだにエレベーターに乗るたびに思い出すので、たぶん今後の人生でもずっと思い出すのかもしれない。
なのでいっそここで紹介しておこう。
こういう目にはぜったいに遭いたくないが。

「エレベーターに閉じ込められた41時間」を3分で見る(動画)の記事(こちらをクリック)。
動画の右上にある「30番」の映像がそれだ。
スタッフが事故に気づかないまま41時間もエレベーターに放置されるって、かなり過酷ではないかと。


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2010.02.14

ツイート

mikihiko夫妻のところへお邪魔し、2/28のチャリティートークイベントの打ち合わせ。おそらくこの5年ぐらいの自分のやってきたことをすべてぶつける勢い(笑)でいるので、ぜひお越しください。
mikihiko氏からはiPadの出現による電子書籍の今後についてや、Twitterを使うことによるよもやま話を聞かせてもらい、興味深い認識がドバドバと生まれるような触発をうける。そしてhirokoさんの「DIY的生活」の旺盛な展開にも、これまた触発される。今回もHOWEの折り込みを手伝っていただき感謝。もつ鍋おいしかった!!
「こういう生き方、住まい方はじつにステキ」と、いつも思う。

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2010.02.13

Bend It Like Beckham

女の子がサッカーで夢をかなえるという、2002年制作のイギリス映画『ベッカムに恋して』がさっきテレビでやっていて、終わりの30分を観た。
観るのは2回目になるのだが、
ラスト30分なのに、涙がちょっと出た(笑)最近いろいろあってね(笑)
泣ける映画なんです、これ。

ちょっとネタバレになりますが書いてしまうと、
主人公の設定が絶妙で、ロンドンに住むインド移民二世の女の子で、非凡なサッカーセンスを持っているのだが、「女子にサッカーはけしからん」という、古くからの慣習を重んじる両親・親戚一同(インド系移民の親族ネットワークの強さも映画ではうまく描かれていると思う)のプレッシャーにより、サッカーでの米国留学およびプロ選手へのチャンスを自ら放棄するわけだ。

映画のクライマックスは、所属チームの大事な決勝の試合(米国からのスカウトが視察にきている)の日、かぶってしまった姉の結婚式という重要な家族イベントを、最後の最後で抜け出して(父親が土壇場でギリギリ許す)、試合の終盤に交代出場し、そこで得たフリーキック(主人公がベッカムファンである以上、やはり映画の見せ場はフリーキックだ)を決めるのだが、このシーンで私がすごくウルッとなったのは、フリーキックを蹴る直前、自分の目の前で選手たちがつくる「壁」が、主人公の目には一瞬、サッカー選手たちのそれではなく、彼女の夢の実現をはばんできた親戚の女性たち一同が「あんた何考えてんのよ」と言わんばかりにそのグラウンド上に立って壁を作っているように見えて戸惑ってしまうシーンだ。まさにこの「大きな壁」を越えて彼女は自らの足でボールをゴールに蹴り込まないといけないという、映画ならではの演出だ。

いやぁ、いいですね。「みんなからの賛同が得られるまで待っていたって夢なんか叶いっこない」ということを教えてくれる映画です。

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フリーキックで泣けるというのは、まさに実際のデヴィッド・ベッカムのそれにも通じるわけで。
ベッカムで私が真っ先に思い出すフリーキックといえば、なんといっても2002年ワールドカップ予選、対ギリシャ戦のときの同点ゴール。
たしか、このフリーキックで同点にしなかったら、もはやイングランドは予選突破がピンチだったはずだ。
その絶体絶命のところで、この人は決めるわけだ。
ベッカムは単なるセレブではなくサッカー選手として本当にすごいんだ、ということを永久に刻みつけておこうと私が誓ったシーンです。
Youtubeで画像貼り付けができないバージョンで、高画質版が検索できるので、リンクだけしておきます(こちら)。
この、真ん中に蹴ったように見えてそこから急激にカーブしてサイドネットにつきささるというボールの弾道がすさまじい(先の映画の原題は『Bend it like Beckham』だが、直訳すると『ベッカムのように(ボールを)曲げろ』ということだ)。イングランドサッカー史上に残る伝説のフリーキック。「やればできる」っていうことを、実はひたすら努力の人であったベッカムが教えてくれている。

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2010.02.12

わかりやすさのダサさ

今日、京大病院で爆発物さわぎがあったそうで。(こちら

で、カバンに「ダイナマイト5本」と書いてあった、とのこと。

書くなよ、わざわざ、って思う(笑)

本当に爆発するのであれば、まずそんなこと書かれないと思う。

「ダイナマイト5本」。
本数まで明記かよ。そんなアピール・・・いらんやろ、ふつう。
なんというか、稚拙というか、ちっともオシャレじゃないというか。

どうせやるなら、もっとヒネったことをやって驚かせてくれ(って、煽ってしまうのも問題だが 笑)


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2010.02.11

バトンが消えた日

このブログの右側のサイドバーに「Archives」という表示があるが、一番したの「more」をクリックすると、このブログが今まで書かれてきた年月が表示され、いくらでも過去の記事が読めるようになっている。(その下は、記事を書くときにいつも振り分けているカテゴリー分類のリストも出てくる)

それで久しぶりに過去の記事を読んでみて、真っ先に感じたのは「昔は『バトン』をよく書いていた」ということだ。
最近はめっきり「バトンを書く」ということがブログ界において廃れてきている気がする。
でも逆にいうと「いつ頃からか、バトンがブログで書かれなくなった」という現象が、それもまたブームのように広がっていった、ということだろうか。
どうして一気にバトンを書く行為が消えてしまったのか。ちょっとした謎だ。
こういうのを「ティッピング・ポイント」というのだろうか。「あるアイデアや流行もしくは社会的行動が敷居を越えて一気に流れ出し、野火のように広がる劇的瞬間のこと。(マルコム・グラッドウェル)」

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ちなみに過去の記事を読んで、はじめて気づいたけど、ブログをはじめたのは2004年の2月10日だった。ちょうど6年前。不思議な気分だ。


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2010.02.10

ゴールキーパーはゴールを守るのではない

人生のあらゆることをサッカーでたとえて話するのが好きなので、たまに人生論を考えているのかサッカー論を考えているのか分からなくなってくるときがある。

たとえばさっき思ったのは、サッカーにおけるゴールキーパーは、もはや「ゴールマウスを守っている」という認識を「捨てる」ということが大切ではないか、ということだ。ゴールのあの四角い空間を守る役目を負っている、と認識したとたん、ゴールキーパーとして本当にやるべき仕事の領域を、実は自分から狭めているのではないか、と。
ゴールキーパーにとってもっとも重要な役割は、「危険な領域にボールがこないように、味方にはできない独自のやり方(つまり手を使う)を活用して動いたり、味方に注意を与える」ということだと思うのだ。「ゴールマウスを守る」というコトバで認識される世界観とは、ほんの少しだけ微妙にずれてくると思わないだろうか。

つまり、ボールが相手選手に触れて、そのボールの動きが自分たちのゴールマウスの枠内に飛んできてしまうことを避けることが大事なのであるから、キーパーは「ゴールを守る」という認識ではなく、「相手の動きとボールの動きの連動性に(積極的に、願わくばそのグラウンド上で誰よりも早く)気づき、その連動性を阻止する」ことができればいいのであって、そこで求められる認識は「守る」ではなく、むしろ限りなく「攻める」認識に近い気がするのだ。そしてゴールキーパーにありがちな「守護神」っていう呼び方も、実は適当ではないと思うのだ。

そう思うと、サッカーで唯一「手が使える」ということをキーパーというポジションに課したというのは、オフサイドのルールとともに重要な「サッカーにおける偉大な発明」ではないかとも思う。

そして蛇足ながら、だからこそ(一時期の)川口能活みたいなキーパーは好きなのである。どれだけ「飛び出しすぎ」と批判されようが、あの攻撃的な姿勢こそがゴールキーパーの真骨頂ではないか。まぁ、たしかに飛び出しすぎたかもしれないが(笑)


思い立ったので「日本代表における川口の好セーブ集」の動画を。一気にみると痛快。ていうかこの人は、ゴールキーパーというポジションにつきまとう「神秘性」を見事に体現してきたような気がする。


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2010.02.09

「空と海をこえて」

昔、一晩だけ放送されたドラマがあって、
そのことをなぜかずっと覚えていて、
ふとネットで調べたら、
僕と同じようにずっと覚えている人がたくさんいて、うれしくなった。

それは1989年(僕は小学校6年生)に放送された、『空と海をこえて』という題名のドラマであった。
主な登場人物が後藤久美子と加藤茶、っていうこの組み合わせもすごいものがある。

そしてこのドラマのテーマは、「パソコン通信」である。インターネットがでる以前の時代のことなので、もはやその頃のことを思い出すのは少し困難を覚えるほどであるが、幸い私はその番組の7年後に大学生になったとき、かろうじてニフティ・サーブのパソコン通信を楽しむことができたから、ギリギリ「パソコン通信」という文字情報主体の、電話回線を利用したなんとも牧歌的な(今思えば、ね)世界を知っている。

このドラマについてウィキペディアでは(こちら)。参考になったブログは(こちら)がある。

ストーリーもここでくわしく紹介されているが、簡単にいえば、無人島でキャンプ旅行をしていた子どもたち(後藤久美子)が集団食中毒にかかり、島の電話機が故障し、パソコン通信しか外界との連絡手段が残されていなくて(言うまでもないが、携帯電話もない時代だから)、それを頼りにまったく知らない人(加藤茶や、その他たくさんの大人たち)へSOSを送ったら、怪しまれたりもするけれどもなんとか信用をとりつけ、そこから最終的にはフランスのパスツール研究所(!)から日本まで特殊な血清を運び込んでもらうまでも、すべてパソコン通信による「顔見知りじゃない人同士の助け合いのリレー」によって解決されていくという話だった。

「パソコン通信ってすごい」と、子どもながらに思った。
と同時に、はじめてパソコンを電話でつないで以来、今に至るまで、何らかのテキストメッセージのやりとりをパソコンでおこなうその行為の奥底には、あのドラマの存在がちらついていたのも確かである。

きっとそう思った人がたくさんいたんだろうと思う。その結果、いまのネット時代のおかげで、こうしていろんな人の当時のリアクションが散見できるわけで、それもまたすごい時代になったなぁという気分を改めて感じさせたりもする・・・たった一晩だけ放送された特番のドラマなのに、このインパクトの大きさは興味深い。

ラストシーンも印象的であった。無事に食中毒の被害から助かった後藤久美子が、その後、街中で人混みのなかを歩きながら「結局わたしたちを助けてくれた人たちのことは分からないままだ」みたいなことを思っていて、そのすぐ目の前を、たまたま加藤茶が何事もなく通り過ぎていく、というシーンで終わっていくのである。まさにパソコン通信ならではの匿名性みたいなものがあってはじめて成立するシーンだ。今思えば、ここからコミュニケーション文化におけるある種の時代の変容がはじまったことが示唆されていたのであろう。ベルリンの壁もこの年に壊れたことを思うと、またなんともいえない妙味を覚える。

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2010.02.08

年季

今日は日帰り東京出張ということで、タスク氏とともに文科省の主催する、とある会合に出席した。
プログラムの関係上、それぞれ分科会に出席し、私は20人程度がロの字でテーブルを囲む会議に参加していた。
やや時間ギリギリに入ってしまった私は、ロの字に組んだテーブルの角の座席についた。

そして私の目の前には、自分とは90度向きをかえて、とある大学の関係者の方が座っていたわけだが、この人は絵に描いたような「日本のおじさん」で、これを読むあなたがイメージする「日本人の中年の、太り気味のおじさん」を想像してもらえればそれでいいと思う。
いずれにせよその会議に参加していたのは、私なんかがクチを挟むどころか、その場所に本当はいちゃいけないんじゃないかというぐらいの人々だったので、ただでさえ萎縮ぎみであったわけだ。そうして議論の流れをそれとなく追いつつも、目線のやり場にも困るから、適当に目の前のそのオジさんの手元を眺めていたら、そのオジさんが使っているペンケースに目が釘付けになった。

私は本当のところ、デジカメで会場風景を撮影するフリをしながら、そのペンケースの写真を撮りたくてしょうがなかった。

なので仕方なく、胸ポケットにいつも入れているメモ帳を取り出して、何か記載するフリをして、隣に座る人に気づかれないよう、そのペンケースに描かれていたデザインをこっそりスケッチした。

そしてさっき帰宅して、あのペンケースに描かれていたイラストを、ブログ用にお絵かきソフトで忠実に再現してみた。

こんなイラストだったよ。


Hello


私が写真に撮りたかった気持ちが分かっていただけるであろうか。

なにこのギャップ。おっちゃん、なぜこれを・・・
(昔からそうだが、私は老若男女問わず、見た目とのギャップを感じさせる人にグッとくる)

しかも、文字通り「年季の入ったペンケース」で、あきらかに変色が甚だしく、正直「ボロい」ペンケースであった。
なので雰囲気的には、1990年代初頭っぽい感じがする。

いやぁ、いいもの見せてもらった、そんな気分。
出張して何を見てきたんだか、っていうツッコミは無しの方向で。


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2010.02.07

何を考えるか、を記載しておくメモをどうするか、について考えている

『HOWE』新作19号、まだ折りたたむ作業がほとんどできていませんが、早く読みたい方は返信用切手を送ってくだされば、すぐに折って送りますのでよろしくおねがいします。
そんななか、17号から最新号まで1部ずつをまとめて、先日紹介したアムステルダムのZINEイベントに送ってみた。ちゃんと届くかどうか。あてのない落書きを放り投げてみた気分。

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携帯電話には、別途大容量のミニSDカードも装着しているのだが、ちょっとしたテキストメモを書くときはもともと内蔵されていたメモリーのところしか使われないらしく、私の携帯電話のテキストメモは「これ以上新規作成できません」となるほどにトピックスがあふれている。こんな時代に、テキストデータが容量オーバーで入力できませんと言われるとは思ってもなかったので(ましてや数百メガのSDカードもさしていながら)、なんだか理不尽な気分にもなる。

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頭のなかでアイデアをごろごろとひねり出すために、何らかの「考えておくべきテーマ」をいつも携えて生きているつもりなのだが、そもそも「あらゆることをすぐに忘れる」という自分の性質のためにメモを活用するようにしている以上、「あのことについてアイデアを考えてみよう」という、そのトピックそのものも忘れやすい。なので「何を考えるべきか」ということをどのようなかたちでメモしたり、考えたことを記録しておくか、そのメモのありかた自体についても「アイデアを出す必要があるテーマ」となり、そしてそのことをさらに忘れてしまいそうで・・・って、すごくややこしい文章ですいません。

でも今日はそのことに気づけたので、今後のテーマとして忘れないように書いておこう・・・って、携帯電話のメモに書こうとすると「これ以上書けません、容量オーバーです」となる。あぁもう。

そういう理由で、いまiPod Touchが欲しくなってきたりする。高いメモ帳やね。

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2010.02.06

折りたたみオフィス

Oritatamioffice2

この板を変形させると

Oritatamioffice

このように、ワークスペースになる、という。(こちらより

でも日本人の感覚からみると、「警察の取り調べ室」を連想した。
入ったことがあるわけでもない部屋なのだが、ドラマのイメージって大きいな。


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2010.02.05

学術的ドキュメンタリーはもっとキャッチーであってもいいはずだ。

今日、人類学者によるドキュメンタリー映像作品を観る機会があった。
ドキュメンタリー映画というのは、客観性を保ちつつも、でも結局は作る人の思いやメッセージが反映されることになる。
そして一方、文化人類学というのは、複雑で答えの出ない部分をひたすら考え悩む営みでもある。
この両方の事情はよくわかる。
でも、だからといって「映画をきれいにまとめるのは、芸術家にまかせておけばいい」と言い切る意見にたいして、それもなんだかちょっと違うような気もして、そのことをずっと考えながらこうしてブログを書いている。

お客さんがたくさん見込めるテレビ番組や商業映画は、たしかに最近あまりにも「わかりやすい構図」でしか作られないような気もする。もっとわかりにくい微妙な問題を取り上げて、考え悩むことも必要だろうというぐらい、善悪・白黒はっきりしすぎているきらいがある。
でも逆に、ドキュメンタリーだったり学術的トピックスというのは、むしろもっとキャッチーでポップで「わかりやすい」ものであっていいんじゃないのか。というのも、わかりにくい問題をわかりにくいまま悩むドキュメンタリー映画なんていったい何人の人が好きこのんで観たがるか? ということだ。
ドキュメンタリーや学術資料は、ただでさえ幅広いオーディエンスを獲得するのが難しいのだ。
だから、学術的な視点ですぐに「作り手のポジショニングがどうのこうの」とか「視点の恣意性がどうの」とか「見る/見られる人の立場性がどうの」とか、そういうことを「すぐに」議論として持ち出すと、それこそ若い人にとって文化人類学とか硬派なドキュメンタリー映画とかが急速につまらなく思えてきたりするんじゃないか、なぜ入り口の時点でそんな面倒くさくて難しい本質的議論にすぐにもっていきたがるのか、それって回り回って損な話じゃないか、とか思うわけだ。

なので、むしろ「わかりやすいノリで、作り手の恣意的なディレクションにより思想的にも偏った、とてもキャッチーで親しみやすい学術的ドキュメンタリー」を目指して、ツッコミどころをたくさん備えていたほうが、そのぶんそこで議論がわきおこり、よっぽど有意義じゃないかと思う。論文と違って、映像を「作品」として作る以上、あえて開き直ってツッコミどころを満載にして作っていくことが何らかの突破口になるんじゃないか、そう思った。通常のパターンで消費される映像作品とは異なり、学術的なドキュメンタリー映画はとにかく「なるべくたくさんの、幅広い立場の人に見てもらい」かつそのうえで「議論のネタをたくさん提供する」ことができるかどうかでその価値が見いだされると思うからだ。

それこそいつも私が自戒を込めて考えていることだが、「表現しないよりかは、何らかの表現を、たとえ拙くても生み出すことのほうが、1ミリでも世の中にとって多様性をもたらす以上、やはりアウトプットはやったほうがいい」ということ、だ。二項対立的で迷うところでもあるが、どちらかといえばそっちの側に賭けたいのだ。「学術的なものだから、中立的で客観的なものをちゃんと作らなきゃ」といって初発の思いを押し殺して映像作品を作ったところで、どのみちその目標は幻想でしかないはずだから、どうせならどんどん好きなようにたくさん作ってみたらよろしーやないの、っていう気分なのである。

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2010.02.04

「AMSTERDAM ZINE JAM」

Lilmagのサイトで、アムステルダムで開催される「ZINEジャム」のことが紹介されていた(こちら)。
この主催者に自分の作ったミニコミ・ZINEを送ると、展示してもらえるらしい。

海の向こうからやってきた、まったく文字が解読できないZINEたちも、オールオッケーで展示されていくわけで、そのおおらかさ、無国籍性、こだわりの無ささ加減みたいなものが、僕は好きだ。

そしてDIY精神およびZINE文化の常として、「交換」という姿勢も重視されているから、こちらから作品を送ったら、お返しに展覧会カタログが送られてくる、とのこと。こういう感覚を共有しあえる状況を楽しみたい。HOWEを送ってみようかなと思わせる。締め切りは2月17日必着か・・・。

オランダに向けて手紙を書く人生最初の機会が、「オレのフリペを受け取ってくれ」というメッセージになるという、ささやかな面白味。その一言に添えて「今年のワールドカップは、いっちょヨロシク」って書いてもいい。

で、
「あ、封筒もいっそ自作で何かの素材を工夫して送ってみたらいいのか」

と、いま書きながら思いついた。

やっぱりブログに何かを書くというのは大事だと思う。

今日のヤフーニュースで「ブログ人口が減少しつつある」とか書いてあったけど。
たぶんブログが出始めた当初に求められていた役割と、将来においてブログが担う役割は、少しずつ変わっていくかもしれない。
それが何なのかは今は分からないけれども、こうして日々書き続けることで「ムダに壮大な人体実験」をやっている気分である。


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2010.02.03

僕はライヴを2回みた、といって別れる

アメリカの大学で博士論文を書いていて、現在東京の大学に留学中のアダムさんという方が、先週末からうちの大学へ研究調査のため来訪していた。

僕とよく似た風貌の人で、日本語がとても上手な方であった。

さきほど終電の新幹線で東京へ帰るため、見送りをさせてもらった。

タクシーに同乗し、研究の話などをしていたのだが、ふと最後に「音楽を聴くのは好きですか」とたずねたら、インディーズのロックやハードコア・パンクなどが好きだという。なので当然のごとく「パンク/DIY精神」の話などを熱く語ってしまった。「パンクの本質が日本においてはゆがんだ形で認識されていると思う」と私が言えば、「ぜひそれを学問研究のテーマにしたらどうですか」と言われた。あと「パンクとヒッピーが反目しあっていた歴史があるが、お互い目指してきたものは同じだったはず」という認識をあらためて確認できた。さらにアダムさんいわく、「そのことは学生運動における『セクト』の問題にも似ている」とのこと。

そうやってタクシーが駅に着く直前に、急ぎ気味でDIYや音楽の話をし、インディーズ系のバンドが好きならばと思い、最後につい「ディアフーフって知ってますか」と尋ねてみた。一瞬相手は考え込み、やっぱり知らないよな、うむ・・・と思ったら、どうやら僕の発音がまずかったらしく、「DEERHOOF??」と返された。イエス、ディアフーフ! ということで、そのときの私のテンションの高ぶりは想像におまかせするが、タクシーを降りて階段を上って新幹線の改札に向かうまでに、「あのドラマーはすごいよな」「ボーカルは日本人だよな」ということ、そして僕は大阪で初めてライヴをみて、数日後旅行先のシアトルでもライヴを観たという話(そのことはこの2年間制作が滞っているミニコミでも触れているのだが)を矢継ぎ早にしゃべった。
「ディアフーフなんて知っているんだ!?」と、たぶんお互い思っていたであろう。

とかく、いろんな音楽を聴きまくっていてよかった、と実感しながら、握手をし、再会を約束し、改札を通っていくアダムさんに手をふった。

アダムさんに敬意を表して、今日はディアフーフの動画を貼り付ける。

このバンド(特にドラマー)についての過去記事は(こちら)や、(こちら)へ。


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2010.02.02

鉄球

ひさしぶりに姉の家にいったので、以前も紹介したキャラ立ちしまくりのキツネさん(こちら参照)にもHOWEの最新号をわたす。

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満足げな様子。

ところで、姉の携帯電話についているストラップがとても大きいことに気づく。

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この黒くて大きい球体について、姉は

「“あさま山荘”みたいやろ?」

といったので、その着眼点にウケた。
姉いわく、若い人に言ってもポカンとされた、とのこと。


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