ゴールキーパーはゴールを守るのではない
人生のあらゆることをサッカーでたとえて話するのが好きなので、たまに人生論を考えているのかサッカー論を考えているのか分からなくなってくるときがある。
たとえばさっき思ったのは、サッカーにおけるゴールキーパーは、もはや「ゴールマウスを守っている」という認識を「捨てる」ということが大切ではないか、ということだ。ゴールのあの四角い空間を守る役目を負っている、と認識したとたん、ゴールキーパーとして本当にやるべき仕事の領域を、実は自分から狭めているのではないか、と。
ゴールキーパーにとってもっとも重要な役割は、「危険な領域にボールがこないように、味方にはできない独自のやり方(つまり手を使う)を活用して動いたり、味方に注意を与える」ということだと思うのだ。「ゴールマウスを守る」というコトバで認識される世界観とは、ほんの少しだけ微妙にずれてくると思わないだろうか。
つまり、ボールが相手選手に触れて、そのボールの動きが自分たちのゴールマウスの枠内に飛んできてしまうことを避けることが大事なのであるから、キーパーは「ゴールを守る」という認識ではなく、「相手の動きとボールの動きの連動性に(積極的に、願わくばそのグラウンド上で誰よりも早く)気づき、その連動性を阻止する」ことができればいいのであって、そこで求められる認識は「守る」ではなく、むしろ限りなく「攻める」認識に近い気がするのだ。そしてゴールキーパーにありがちな「守護神」っていう呼び方も、実は適当ではないと思うのだ。
そう思うと、サッカーで唯一「手が使える」ということをキーパーというポジションに課したというのは、オフサイドのルールとともに重要な「サッカーにおける偉大な発明」ではないかとも思う。
そして蛇足ながら、だからこそ(一時期の)川口能活みたいなキーパーは好きなのである。どれだけ「飛び出しすぎ」と批判されようが、あの攻撃的な姿勢こそがゴールキーパーの真骨頂ではないか。まぁ、たしかに飛び出しすぎたかもしれないが(笑)
思い立ったので「日本代表における川口の好セーブ集」の動画を。一気にみると痛快。ていうかこの人は、ゴールキーパーというポジションにつきまとう「神秘性」を見事に体現してきたような気がする。
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