つながり続けるためのアイデア
卒業式シーズンになり、先日の追い出しコンパもそうだが、先輩を送り出す後輩たちの心情に触れるとグッとくる。
帰る前にもそういう話をしていて、送り出す後輩としてのほっしー氏にたいして「つながりつづけるのもアイデア勝負」と、ついそんなフレーズが口を突いてでてきた。よほど切実なテーマなのだろう、ほっしーは、さっきツイッターでもその私の発言について触れてくれていた。なのでそのことについてちょっとだけ、ロスタイムのパス回しのごとく追加で書いてみよう。あまり熟れていない考えだが、ザッと述べてみる。
たぶん自分にとっては、すでにフリペを作ることがそのアイデアの一環なのだろうと思う。何度も書いたことかもしれないが、そもそも「HOWE」というフリーペーパーは、当初は「遠方に住む友人にむけて」作られていた側面が強かったのである。当時は高校3年生という独特の立場もあって、そういうことをしたくなる心境があったわけだ。ネットや携帯電話が普及していなかった時代を想像してみてほしいのだが、手紙を送るというのは「つながり」を保つための基本ツールであり、フリペというメディアは幸いにも手紙に限りなく似たようなものであった。さらにいえばフリペは手紙を送るうえでの「口実」だったり「オマケ」でもあったりした。
ところが今でも、フリペを送ることの意義は自分にとって変わっていない。携帯やネットが普及しても、フリペは結局便利なツールとして送られている。
となると、「紙のものを作る」というベースは、人とのつながりを保つうえでまだまだ有効なのかもしれない。
そのほかのアイデア。
去年の「水曜日の私塾」で誰かが言っていた話だと思うのだが・・・「毎年(毎月?)、ある場所と時間だけを決めておいて、ただひたすら“人が集まる”ということだけを目的にしてしまう」というイベントの話。これは実際に行われていたことなのか、アイデア段階なのかは記憶が定かではないが、「ただ無目的に、人が集まる」というこのシンプルなアイデアの持つ可能性に私はグッときたのである。「目的はたいして最初から設定しない」というのがすごく大事で、時間と場所だけ決めておいて、毎年同じような状況で人が集まることを意図して、それが繰り返されるようになったら、「よくわからないけど楽しいイベント」になりそうな気がするのだ。
いずれにせよ「異様な持続力」というのが必要になってくるかもしれないが、得てしてこういう「不可解でムダなもの」に向けたモチベーションというものは、わりと維持されやすいのではないかと思ったりもする。
→つまり、たとえばフリペだと「綺麗なもの、面白いものを作らなきゃ」とか思うのではなく、そして「集まるだけのイベント」でも「何かおもしろい仕掛けやアトラクションが必要だ」とか思う必要はない、と。そこをこだわってしまうと持続しないような気がするのだ、こんな些細な活動だとなおさら、どうしても。
そういえば、このあいだここに書いた「カフェ・フリペ」というアイデアも、それに似ていて「ムダかもしれないと思える領域にモチベーションを保ちつつ実行していく」たぐいの試みだったりする。でも実際にこのあいだefishのカフェにいったとき、この「カフェ・フリペ」構想のことをぼんやりノートを広げて考えているうちにどんどんやる気が起きてきて、実際に近いうちに試してみようと思ったり。
と、と。
結論としては、何か、結局「フリペを作ろう」っていうことに集約されていくのか?(笑) どうなんだろうねぇ、ほっしーよ。
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Comments
ただ無目的に、人が集まるというシンプルなアイデアは興味深いです。ただ、それって無目的やなくて集まるという目的になってるのではないですか?
フリペHOWE17~19号が欲しいです。
Posted by: 大分大学4回生 | 2010.03.18 02:31
大分大学4回生>どうもでーす。HOWEのご請求は、メールで直接お願いしまーす。
あ、たしかにもちろん「無目的ゆえに、集まること自体が目的になる」というのは、そのとおりですね。
Posted by: HOWE | 2010.03.18 23:34