失点
長年、
「自分に限っては、
そんなことは絶対にやらないだろう」
と、思っていたことを、
ついにやらかしてしまった。
アマゾンで古本を買ったのだが、
数日後に同じ本を書棚の奥で見つけてしまった。
同じ本、2回買ってやんの。
でもまぁ「改訂版」と「初版本」の違いがあるから、「これは書誌学的には別々の本なのだ!」と言い聞かせて自分を慰めて(ごまかして)みたりする。
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ところで、幻冬舎新書『思考・発想にパソコンを使うな』という本をなにげなく読んだのだが、これはつまり「手書きノートをいかに活用するか」ということをひたすら述べる本で(そのうちの一章では、著名人の手による日記帳をめぐるあれこれについて、いろんな事例が紹介されていて、それはそれで面白かったです)、要するに「メモ」で書いた断片を、あとで改めて(できれば記憶の鮮明なうちに)「ノートに文章化する」、そして「それを読み返す」というサイクルがいかにすばらしい効用をもたらすか、っていう話である。
で、私の周辺の方々は、ここまでくるとすぐ連想するだろうけど、文化人類学や社会学などでいう「フィールドノート」のつけ方って、まさにそのことそのものだよなぁ、と思うわけだ。いくらデジタルデバイスが進化しても、この手作業による泥臭い知的作業の意義は、その輝きを失うことはないようだ。
(まぁ、最近は手書き文字をそのままデジタルデバイスに残せるようにもなってきているが)
ちなみにこの本、著者がフリーライターであることもあって、インタビュー術という側面でも有益なことが書かれている。どんなにメモ書きが重要でも、相手の話を聞きながらひたすらメモだけ見ていたり、あとICレコーダーに頼りすぎて、メモを取ることをおろそかにしたり・・・っていう、やってしまいがちな事柄だったり、あと「メモを取るという動作そのものが相手の言動に及ぼす影響」についても論じている。
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