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2010.09.19

『日本人はなぜシュートを打たないのか?』

湯浅健二さんは、自分が最初に「サッカーにくわしくなりたい」と思って選んだ本の著者である。
なので自分としても、この人の考え方にかなり影響を受けてきた気がする。

この本は結局湯浅氏自身のドイツサッカー留学時代にあったエピソードをもとに、いかにサッカーは「ボールのないところでの勝負」が決まるか、そして高い意識をもって有機的に連動していくことが大事かということをひたすら述べている。
「守備は、次の攻撃への準備」とか、このあたりの発想は興味深い。
そしてこの本に通底して流れているのは、「一般社会においても使えるサッカー的精神論」みたいなもので、「リスクチャレンジなくして勝負に勝つことはない」というメッセージにつながっている。不確実性に満ち、そして個々の判断力や意志の積み重ねで展開していくスポーツであるサッカーは、「21世紀の社会的イメージリーダー」となるのではないかと書いていて、そここそが自分にとってもサッカーを楽しく感じるポイントだったりする。

アマゾンのレビューだと「同じことの繰り返し」とかで酷評されているのだが、私がこの本でもっとも感じ入ったのは、かのギド・ブッフバルト(元ドイツ代表ディフェンダー、元浦和監督)との対話だったりする。
P148からのかなり長い引用だが、ブッフバルトの語った話がものすごく面白いと思った内容なので、ちょっと書いてみる。

「相手の得意なプレーを観察し、そのタイプや勝負のタイミングなどを、しっかりとアタマに刻み込むんだ。もちろん、アクションを起こすときの身体の動きのクセなんかも、気がつくかぎり、しっかりと把握しイメージタンクに貯めておくんだ。

 とはいっても、相手のプレーに対処するという意識が強すぎたら、受け身のリアクションになってしまう。相手のプレーの特長を把握するというのは、あくまでも、自分が主体になって積極的に仕掛けていくためなんだよ。マークしているときの間合いの取り方とか、どんな体勢で相手に自分を見せるのかとか・・・まぁ、それは相手にパスを出させるという意図もあるわけだけど、それも、相手がどのような体勢でパスを受けるかというところまで意識して、自分のポジションを調整したりするんだ。

 もちろん天才肌の相手に対しては、まず何といってもボールに触らせないのが一番だよな。タイトにマークして、パスをカットしたり、まともな体勢でトラップできないようにプレッシャーをかけるんだ。それでもボールをコントロールされたら、今度は振り向かせない。もちろん身体を寄せすぎたら、逆に回り込まれてしまうから、ピタリと身体を寄せると相手に感じさせ、次の瞬間には、スッと身体を離して、相手の次のアクションを先取りするんだ。

 そのためにビデオでスカウティングするんだよ。相手のプレーの特長をイメージに叩き込むのさ。それと、実際のグラウンド上での失敗という学習機会もある。自分の予想を超えたプレーでマークを外されてしまうことだってあるわけだけれど、そこで学び、工夫をして、自分のプレーをグラウンド上で発展させていくという学習能力も重要なんだ。考え続けることが一番なんだよ。もちろん、同じプレーでは二度とやられないという強い意志も重要だ。その緊張感が集中力を高めるからな。そんなプロセスの積み重ねが、相手のフラストレーションを倍加させるような効果的な守備につながるというわけだ。相手は、コイツは二度と同じ過ちを犯さないと感じる。それだけで大きなプレッシャーになるというわけだよ」

ということで、私はこの箇所を感度も繰り返し読んだ。味わい深い内容が随所にある。「守りのプロ」としての「攻めの姿勢」だったり、試行錯誤のプロセスの積み重ねを大切にしていくことなど、実は我々の普段の仕事生活などにもものすごく通じる話であったりする。

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