「現実が夢を壊すことがある。だったら、夢が現実を壊すことがあってもいいじゃないか」
「現実が夢を壊すことがある。だったら、夢が現実を壊すことがあってもいいじゃないか」っていう、アイルランドの小説家、ジョージ・ムーアという人の名言のことを思い出した。
なぜか私たちは、「夢/現実」という、対立軸でこのふたつを捉えがちになっていないだろうか。
「夢を取るのか、現実を選ぶか」みたいな。
「現実を見ろ」っていう人がいる。
もちろん、それを否定するわけにはいかない。実際に現実を見ないといけない。日本はいま、がれきの山から考え、動かないといけない局面に立たされているわけで。
でもだからといって、そこですぐに「夢」を否定するのも、もったいない気がするわけだ。
なので、「夢をかかえながら、現実を見ていく」という作法ができればいいな、ということだ。
欲張りかもしれないが、夢も現実も大切にしていこう、と。
もちろんそのためには、かなり大変な道のりを歩むことになるのかもしれないし、才能や努力も必要かもしれない。
でも「夢を選ぶか、現実に生きるか?」っていう「Which」よりも、「夢も現実も、どうやって生きる?」っていう「How」の考え方を志向し続けることのほうが、より可能性や面白さやパワーが秘められているような気がする・・・へこたれても、煮え湯を飲まされても、地面に倒れても、なお「エヘヘヘ」と笑いながら立ち上がってヨロヨロと前のめりに歩き続け、「それでもやっぱり夢は大事」と言い切り続けるような・・・これこそ自分にとっては「パンクの実践」イメージでもあるんだけど、まぁ、とにかく、そんな感じ。
それに、だ。
「現実をみろ」っていうその人が日頃から享受しているあらゆるモノやサービスというのは、そもそも誰かが『こういうのを作りたい』って思ったから出来上がったものだと考えることができる。ギターも自転車も、自分を取り囲むありとあらゆるモノたち、それは「夢」を基点としてわき上がるアイデアや意欲や行動力が結実した結果だとすれば!! そう思うと、やはり「夢」を捨てるわけにはいかない。この世のすべては「夢のおかげ」で成り立っている。そんな気がする。
サッカーにたとえると、「現実を見ろ、堅実に生きろ」だったら、やるべきことは11人のプレーヤーをゴールマウスに密集させて、どんなボールがきても全員で防ぎ続けて90分間を耐えればいい。少なくとも引き分けには持ち込められる。
でもそれはサッカーの試合として、何も生み出さないと思う。
サッカーというスポーツが面白いのは、前を向いてゴールを狙い、何らかの果実を得るためには、「どこかで誰かがリスクを負う」というアクションを起こさないと、自分たちを取り囲む世界が変化しないということを、ボールと人の動きの連動性で表現していくことにある。それはまさに人生を生きるうえでの知恵をみんなで考え合う取り組みだと思う。少なくとも私はいつもサッカーをそのように捉えている。
というわけで、こういうことを考えるときは、たいてい私はひきつづき、「夢をかなえる人が必ず通り抜けるであろう『愚か者や変人の道』の話」とか、「『夢』という日本語が持っているある種の弊害や問題についての話」をしたくなるのだが、それについてはまたいつかじっくり書いてみたい。
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Comments
全面的に肯定します。夢だけでもだめですが、働き始めて思うに、夢がなければ人生なんて生きられたものじゃないです。現実に向かう人にこそ夢は必要だと思います。
Posted by: αω | 2011.04.14 23:20
αω>イエス。ほんとうにそう思います。現実も夢も、そんなに違う領域ではないような気がするのです。両方がひとつになっているぐらい、それらは近くて大事なものような気がします。
Posted by: HOWE | 2011.04.16 22:02
「夢が現実を壊す」その発想、全くなかったです。目からうろこ。でもほんと、二律背反で物事を考えないと楽になることって多いと思う。
Posted by: くろねこ | 2011.04.17 01:47
くろねこ>サンクス。どうしても「好き嫌い」とか「勝ち負け」ですぐに判断してしまうクセが僕らにはありそうですよね。
Posted by: HOWE | 2011.04.18 00:10