「子どものなかの子ども」、そしてサッカーのチカラ
上司のSさんのお子さんは、かつて幼稚園の先生から
「この子は『子どもの中の子ども』です」
と評されたらしい。なんか笑ってしまった。そして清々しく思う。「子どもど真ん中」な生き様。ザ・子ども。
さて、いまリアルタイムに千葉で地震があったり、
ツィッターでは放射能についてちょっと不安になるニュースが飛び交っていたり、いろいろであるが。
今日は早朝に起きて、トッテナム×アーセナルのノースロンドンダービーを途中から観ていた。
裏番組でチェルシーが試合をしていたとしても、やはりこっちのダービーマッチを観るしかない。
しかし時間通りに起きられず、気づいたときはすでに1-2でアーセナルがリードしていた。
でもそのあと試合は動きまくり、3-3になる。
やはりノースロンドンダービーは裏切らない、と思った。熱い。2008年の時は4-4なんて試合もあった。
横になってテレビをみていたので、やはり案の定、そのあと眠ってしまっていて、気がつけば試合が終わっていた。
スコアはそのまま3-3のまま。うっかり眠ったことを悔しがりつつ、ちょっとホッとしたり。こういう試合の得点シーンを見逃すほど悔しいことはない。
職場にきて洗面台でうがいをしていると(そう、『うがいマニア宣言』以後、しっかりうがいをするようになった)、別部門で働くNくんがたまたま入ってきて、まさに早朝同時刻にWOWOWでやっていたバルサ×レアルマドリーの国王杯決勝のことについて話をした。Nくんはレアルファンで、レアルが延長の末に勝ってうれしそうだった。そしてやはり彼も朝3時に起きて試合の中継をしっかり観ていたらしい。お互い苦笑い。これだからサッカーファンってやつは。
そして今日は思わぬところから「サッカーが好きでよかった」と心から思うメールもいただく。
そしてあらためて、自分はサッカーを応援し続けようと、祈りに似た誓いをたてつつある。
Jリーグの「再開幕」は今週末。
これは単なる「再開」というよりも、ひとつの時代の転換期のようにも思う。
サッカーのある日常を取り戻そう。そういった「日常」のすごさを思い起こそう。
ボールを蹴り合う人々に、ありったけの想いや声援をぶつける営みを取り戻そう。
何も得るものがなく、何も生み出さず、何も起こっていなさそうにみえる、そのグラウンド上に展開されている様相から、いろいろなものを見出して受け止めていけるだけのアンテナを磨いていこう。
そんな気分が高まっていたので、たまたま相談事でやってきてくれた学生さんと話をしていると、つい(いつものことでもあるが)サッカーのたとえ話をしてしまう。
そうしてしまいに「サッカーファンっていうのは、最後まであきらめないから」とか言ってしまった。
それは自分にたいして言い聞かせたいセリフだったんだろう。
学生さんは「何を言ってんだこの人は」とか思ったかもしれない。
でも本当に、それはサッカーに限らず、生きるうえで真剣にそう思い、願っていることでもある。
このあいだの長居のチャリティーマッチに際してセルジオ越後が言っていた
「倒れた人のぶんまで走るのがサッカーだ」
という言葉を、最近よく想起している。
■■■■
Comments