書籍という生命体
先日、ある先生の研究室を訪れたら、ちょうど「自炊」にうってつけのスキャナーがあったので、つい「最近は『自炊』が流行っていますよね」という話になった。
その先生は「自炊」の意味するところを知らなかったようなので、「本を断裁して、自動紙送り機能のついたこのようなスキャナーを使って、PDF化して、電子書籍のように読むことです」と説明した。
そしてその先生は、「便利なのは分かるけど、やはり本を切るのはイヤですね~」というようなリアクションだった。
たしかにその気持ちはじゅうぶん分かる。
その一方で、書棚という空間は、ひとつの「資産」として存在しているわけだから、その空間をムダに圧迫する書籍たちが一気になくなっていったら、それも確かにステキなことのようにも思う。
(最近のいわゆる『断捨離』ブームも相まって、モノが部屋からスッキリとなくなっていく効用は、確かにあるわけで・・・)
そしてつい先日のニュースで、新潮社などは今後発行するすべての新刊本を、発売半年後をめどにすべて電子書籍でも販売していく方針だということを発表したり(こちら参照)。
こうしてどんどん電子書籍が日常的なものになっていきつつある。
そして過去の本までをそうした電子化の流れに載せるべく、「自炊」するようなこともどんどん日常的なものになっていきそうである。
でもやはり、先述の通り、どこか紙の本は、「切り刻む、裁断する」という行為を思いとどめさせるものがある。
きっとそれは、本には情報だけを抜き取ってそれでおしまい、というような感覚では計り知れない「生命体っぽさ」があるからかもしれない。
もともとは本も「紙の束」で、その背後に「紙→木」という関係性があるから、物理的にも書籍は「生命体」の名残であるともいえるかもしれない。
「自炊」の電子書籍が、栄養だけを抽出した野菜ジュースみたいなものだとすれば、紙の本はキュウリに海苔でも巻いて食べてみるような(←村上春樹です)、みずみずしい「生命」を思い起こさせるものがあるわけだ。
私は決して自分が「本好き」だとは思っていなくて、そしてさらにいえば書籍のカタチそのものに、さほど愛着を感じないようにしている(たぶん、そこはあえて自分を遠ざけている気もする。しかるべき電子書籍の時代に身構えるかのように)。
ただし、こうして紙のミニコミ/Zine/リトルプレス/フリーペーパーといったものを作ることにこだわっている私としては、ある種の予感として、「紙の印刷物を作り続けていくこと」が、やがて時代を経て、次の世代の若い人から見たときに、「予想だにしない意味合い」を感じさせることがあるのではないかと思う。それを具体的にコトバにすることが今は難しいのだけど、「え、そこがポイントなの?」と思ってしまうような、そういう角度から、何らかの印象的なリアクションが示されるような気がする。なんとなく。
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Comments
少し前に書いたBLOG記事ですが、
関連づけて、ご紹介しておきます。
様々な角度から、知る喜びを
享受されたいです
http://mikihiko-sax.blogspot.com/2011/05/blog-post_07.html
Posted by: mikihiko | 2011.05.19 23:35
LAMAの音源発見しましたよー。
http://www.youtube.com/watch?v=FM8zkkjHGV0&feature=related
4分くらいから田渕ひさことナカコーのギターが・・・
Posted by: 民音の演奏会でスーパーカーについて話したもの | 2011.05.20 16:33
mikihiko>もちろん、本を支えたりページをめくることが難しい人にとっては、電子化された書籍がもたらすものは大きいですね。
ごめんどうしても名前が思い出せない>音源情報ありがとう。ものすごく、ものすごーく期待させてくれるサウンドです。久しぶりに血が騒いできます。
Posted by: HOWE | 2011.05.20 23:44
売れないだろうけどそれなりに意義のある専門書なんかは電子書籍になるとリリースのチャンスが増えるだろうと。
Posted by: isaac | 2011.05.21 22:04
isaac>ロングテール論ってやつですね!
Posted by: HOWE | 2011.05.21 22:35