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2011.06.29

ギリシャのデモの生中継

ギリシャで財政緊縮案に反対するデモが大規模で行われているようで、昨日ぐらいからBBCワールドニュースでは随時ニュース速報として、アテネ市街地の生中継に画面が切り替わっている。

で、昨日からそれとなく眺めていて、こういうデモの争乱を高い位置からカメラであちこち俯瞰的に捉えている映像に妙な新鮮さを覚えてしまうのだが、その原因の一端は、おそらく「デモといえども、ダラダラと生中継で見ていると、実は現場で何が起こっているか、よくわからなくなってくる」ということではないかと思った。

もちろん、自分はこのような争乱の現場にいたことがないから理解が難しい、ということが前提となっているわけだが。

つまりニュース映像として報道されるときは、「いかにもデモ隊が騒いでいる」とか「いかにも警官隊と衝突」といった「わかりやすい場面」が切り取られて、限られた時間で流されるのであろうけど、じつはデモとか争乱って、そのほとんどの時間は「よくわからないまま人間がたくさん集まっていて、警官隊もそれなりに集まっているけど、でもそこまでキビキビと動いて制圧にかかるわけではない」という状況の連続なのだということに気づかされる。もちろん、白煙があちこちであがっていたり、局所的にはたぶん緊迫した状況があるのかもしれないが、もし自分がこの現場のなかにいたら、ひたすらバタバタ動き回る気がするのだ。だからなおさら、「ちょっとダラダラした状況の連続」が「争乱です」と言われると、「ホントに?」と思ってしまうわけだ(あるいは、ギリシャ国民もはやみんなデモに慣れている、のかも)。

つい「ウォーリーを探せ」の絵本みたいに、デモの生中継の画面のあちこちを眺めたくなるのだが、ひとつの広場的空間のなかにも「投石している人」だったり、「なんとなく集まってあちこちの方向に向いている群衆」だったり、「そのへんを適当に自転車で通り抜けている人」とかだったり、そして警官も、何らかのアクションを群衆に向かって行っていたり、そんなふうには見えないトロトロとした動き方をしていたり、とにかく「何が起こっているのかよくわからないビミョーな雰囲気」が、あちこちにただよっている。もちろん、その「ビミョーさ」が、「一触即発」といった緊張感を失ってはいないのであろうけれど、でもいずれにせよこのことをどう表現したらいいか、書きながらも分からなくなってくる。そしてカメラの捉えるリアリティって面白いよな、と改めて思っている。

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