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August 2011

2011.08.31

バンドの件と、Zine冊子づくり裁断作業についてのメモ

Jdparis

お知らせ。
この夏結成したバンド、ワルシャワ・ドロップ&ロマンティックについて、
学園祭での出場はかないませんでした(落選!)

残念ですが、別のイベント(大学で1月に『音都弁当』というイベントが実施される予定)での出場を目指すことになりました。
学園祭観に行きます、と言ってくださった方々、申し訳ありません。
たぶんおそらく、来年の(笑)学園祭を目指していくことになるかと。

それにしても今年の夏は、
「Zine冊子づくりをし、ベースを練習し、Jリーグを観て、『月曜日の私塾』に参加したり」ということをひたすら繰り返していた気がする。
まるで学生の生活みたいだが、きっと文字通り私は「こういう学生生活をしたかったんだよな」というのを今さら実行しているとも言える。そしてあらためて考えると、「アートとロックとフットボール」という、見事なまでの要素がつまっている。ヒトコトでまとめたら「ロンドンごっこ」とでも言えそうだ。

━―━―━

さてZine冊子だが、先日は印刷したA4の紙の束を運んで、フェデックス・キンコーズにて「裁断サービス」を利用した。そのときのことについて、メモとしてここに記しておく。キンコーズをちゃんと利用したのははじめてだった。

・フェデックス・キンコーズでは持ち込みの紙でも裁断をしてくれる。
・だいたい250ページの裁断1回につき100円。なので今回のようにA4用紙500枚を半分カットすると、1束あたり200円。それを今回は10束持ち込んだので、消費税込みで合計2100円かかった。
・紙をスタッフが預かって裁断してくれる。それに要する時間は、今回は2時間だった(平日夜で、あまり混んでいなかった場合)。予想以上に時間を必要とした。
・万が一のこともあるので、どのように切ってもらうかをスタッフに入念に伝えるのがベター。
・2時間後店に戻り、紙を預かったあと、それを今度は自分で「A5の束に包み直す」という作業を実施。事前に用意した「紙を包むための紙」で包んでいくのだが、この作業に1時間半ほどかかった。ちなみにこの作業はキンコーズ店内のスペースを貸してくれる。ハサミや定規、ペン、セロテープなどが利用できる。ただしペンは油性のものしかなかったので、包んだ紙の上に何か大きく筆記したい場合は、水性の太いペンを自分で用意していったほうがいいだろう。
・たぶん希望を言えば、スタッフが裁断した紙を一時的に収納したダンボールの箱ももらえるのかもしれない。これについては未確認。
・キンコーズの照明の明るさは、まるでF1のピットガレージみたいだと思った。かつて夜の鈴鹿サーキットでひたすら眺めていた、あの煌々とした雰囲気に通じている。つまり「作業しやすい空間」のために、あの光量が必要なのだろうと思う。そんなことを考えながら、立ちっぱなしで黙々と単純作業を繰り返し続け、「いまごろ世界中のキンコーズで、似たような状況で作業をつづけているジンスタ(zineを作る人、zinesters)がいるんだろうかねぇ」などと考えて自分を勇気づけつつ。

ちなみに、あまり言いたくもないが、このキンコーズでも私は大失態を犯している。

キンコーズは24時間営業なのである。

ただし、平日のみ。

そう、この間の日曜日の夜に、私はそのあたりのことを確認しないまま、重たいキャリーカートとともに来店したのだった。
キンコーズは土曜日と日曜日は、22時に閉店する。
そのとき私が店に到着したのが、21:50ごろ(笑)

Arsene

なのでくやしいので、とりあえず店に入って店員さんに「基本的すぎる質問をして確認して」帰宅。

というわけで、キンコーズも「2回来店」している。

こればかりは完全に自分のミス。

焦らないで、ちゃんと営業時間を確認してから利用しましょう・・・。


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2011.08.28

東京にて父の水彩画が展示されます(9/7-13)

Hiroshi
                ↑
父・ヒロシ(HOWE20号より)

HOWE19号・20号でそのキャラを良くも悪くも発揮してくれた私の父だが、おかげさまで東京にてグループ展覧会に水彩画を展示させていただくことになった。
「第2回ちゃかほい展」ということで、かつて多摩美術大学の寮で暮らしていた寮友会のメンバーがそれぞれの作品を持ち寄り、展覧会を行うそうで。

パンフをみると、それぞれの作品が紹介されているのだが、

Chakahoi2_2

小さく印刷されているとなおさら、父の絵画は「写真かよ!」とツッコミたくなるのであるが、これは水彩画。

性格があらわれている・・・。

いずれにせよ、HOWE19号で書いた、「コッツウォルズ地方大雨ザーザー・泥道グチャグチャ紀行」の想い出がこうして無事に水彩画作品となり、人様にお見せできるようになったのは素直に喜ばしい。
その後、このコッツウォルズ地方からの帰りに、この旅での第2位の災難「自分のデジカメ破壊事件」と、第1位の災難「父のデジカメ、バッテリーの充電器あえて持ってこなかったこと判明事件」が起こったことも今では良い想い出だ。

父はここまでの絵を描いておきながら、あまり今まで人前で作品を展示したことのない人なので、関東地方にお住いの方でもしお時間のある方は、ギャラリーまで足を運んでいただき、激励のお言葉をお書き寄せいただけるとものすごく幸いです!!(って、感想を書くノートとかあるのかどうか分かりませんが)。

会場の場所はこちら(クリックすると拡大します)
Chakahoi1

会期は2011年9月7日(水)~13日(火)、ただし11日(日)は休みとのこと!
時間は朝11時~夕方6時まで。
ただし7日は午後1時からオープン、13日は午後1時でクローズとなります。

ちなみに父は7日と8日に現地にいるらしい。なのでもしこのブログを読んだ方でこの日にお越しいただいて、うっかり父親と出くわした方は、ぜひ一緒に写真に収まってやってください。その写真を私に送っていただいたら、もれなく今度の新しいZine冊子をプレゼントさせていただきます(笑)。


ところでこの「ちゃかほい展」のパンフをよく読んでみると、かつての寮生の想い出話などがいろいろと記されているのだが、昭和30年代に「チャカホイ踊り」という恒例行事があったようで、

Chakahoi3

と、今でいう「サウンドデモ」みたいなことを(笑)銀座や渋谷で敢行していて、半裸状態で踊りまくっていたらしく、おそるおそる父に「あなたもやったのか」と聞くと、あっさり「やったよ」と認めたので、すました顔で実は自分よりもかなりアナーキーでファンキーな行為を若かりし頃にしでかしていたことにジェラシーというか、悔しさというか、複雑な感情を覚えた。

芸大生で寮住まい、絵に描いたような貧乏生活だったようで、「昼飯はコッペパンを半分にわってマーガリンとバターをはさんで食べる。お金があるときはそこに納豆をはさんだ」とか訳がわからない話だったり「1個5円のコロッケを食べ、たまに贅沢したいときはクジラのカツを食べた。クジラの肉は硬い」という、いかにもな時代。ちなみに60年安保のときは多摩美大も相当激しかったらしいが、「そういうことがあったなぁ」ぐらいに「あっさりと」話してしまう感覚に対しても、自分としては複雑な感情をわきおこさせる。


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2011.08.27

ダンボールでソリのようにすべる遊びについて

初期の『3年B組金八先生』のオープニングの動画をみていたら、「ダンボールをソリのように使って芝生をすべる子どもたち」の姿が描かれている。

映像であらためて観ると、すごく楽しそうである。このオープニングでも、金八先生はつい子どもたちと一緒になって混じってソリ遊びをしたもんだから、学校に到着するのがギリギリになって慌てるというオチだ。学校の先生すら通勤を忘れて夢中になるほど何回でもやりたくなる気持ちも分かる。子どもの遊びってこういう反復性による中毒的面白さを覚えるものが多いよな。テクノ音楽みたいな。

この遊びってとてもありふれているように思えるのだが、でもよーーく考えると自分はやったことがない。

その理由を考えると、たぶん「近所に、この遊びに適した場所がなかった」というのが挙げられる。
近所を思い巡らせると、たしかに川の堤防じゃないと、ここまでの坂はなさそうである。
ただし、滑り落ちた先のエリアに若干のスペースがないと危険である。そのまま川に落ちたり路上に飛び出したりしたら、まるで懐かしの『風雲たけし城』みたいだ。

それに、坂の傾斜角度も肝心である。
映像のように、ここまで急角度じゃないと、すべらなさそうだし、面白くなさそう。

ということは、アタマの中で勝手に思い込んでいた「昭和の子どものありふれた遊び」であるダンボールソリ遊びは、スキー場に出かけるのと変わらないぐらいに「限られた場所でしか成立しない遊び」だったのかもしれない。

どこかでこの遊びに適した関西近郊の場所があれば、ぜひ教えていただきたい。
そしてぜひ誰か一緒にダンボール持参で集まろう。
さすがにこればかりは一人でやりたくない。

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2011.08.25

なんとかかんとか

ということで印刷のつづきをしに再び今日も高槻へ。
雨が降りそうだったので、午前中のあいだに移動。
結果的に帰宅するまで雨が降らなかったのでラッキーである。

今後のことも考えて記録しておくと、
4500枚の紙の束をトランクで運ぶのは、異様に重たい。あと自分の愛用しているトランクだと容量がギリギリなので、これにカラー印刷のページと、やや厚紙で作った表紙をセットで運ぶとなると、ちょっと難しいことが分かる。
紙を傷めない程度に、別のカバンに入れて、肩にかけて運ぶしかない気がする。

つまり、ページ数作りすぎだ、と(笑)

そのほかにも予想外のことがいくつか。
勉強になりました・・・。

実際の仕上がりについては、またおいおい。

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2011.08.24

ついに、Zine冊子のページを印刷する! のだが・・・

この日を迎えることを4年間待ち望んでいた。

ついにミニコミZine冊子の本文を印刷する。

Crouchap0504_468x545_2
わーー。

で、いろいろ検討した結果、もっとも安価にできるのは、印刷チェーン店「カンプリ」の大阪府下の支店にいくことだと結論づけた。
なぜか京都・滋賀にあるカンプリの支店は、輪転機(リソグラフ)の印刷が1000枚単位からとなっており、今回のように1枚の原稿あたり500枚ずつ印刷したい私にとっては不利な値段設定となっている。それに対して大阪府下のカンプリは総じて枚数に関わらず1枚2円で印刷ができるのだ。
ちなみにその他のコピー屋さんでは、1枚3円がだいたいの相場である。今回の合計印刷回数は4500枚の紙に両面印刷=9000回なので、それを思うと1円の違いで1万円近くコストが変わる。
なので多少遠くても大阪のカンプリの支店にいくだけの価値はある。

さらに今回向かった高槻京口店は、ほかのカンプリの店舗よりも営業時間が遅く(21時まで)、かつ年中無休。なぜこの店だけこんなにがんばっているのかよくわからないが、ともかく私にとって最も使いやすい店であろうと思い、この夏期休暇中の時間を利用して、ついに原稿を印刷することとなったわけだ。

空っぽのトランクとともに阪急高槻市駅に降り立ち、「ついにこの日がきたか・・・」という感慨とともに歩く。
ほどなくカンプリ高槻京口店に到着。

R0049423

おそらくかなり大量の印刷をこなすことになるので、時間の余裕をみて昼の12時半頃に店に入る。

そして会員カードを提示し、輪転機の利用をしたいのですが、と伝え、
そして「両面印刷で・・・」と言ったら、

店員さんに

「両面印刷の場合は、1日置いてから裏面を印刷してもらうことになるんですが・・・」

と言われる。

Inzaghi1

いやいやいやいやいや、たしかに輪転機を使って両面印刷したいときは、機械の故障を避けるためにインクの乾燥を待つことは大事なんだけど、以前大阪の日本橋のカンプリで両面印刷したときはだいたい一時間ぐらい乾かしてから裏面を印刷してオッケーだったはずなんやけどーーーー!! あと、そんなに黒いベタな図柄とか使っていなくて文字テキストが主体の原稿ばっかりなんやけどーーー!! 
とかなんとか必死に食らいついてみたのだが、
とにかく「すいませんが両面の場合は1日置いてもらうことになります」
との一点張り。

Mz

しかし、「片面を印刷し終わった紙は店で預かることもできます」
ということも言われたので、しょうがないのでそのようにしてもらう。

なので2日連続で高槻に行くことが決定。
ていうかこの夏期休暇のタイミングのあいだずっと天候が悪くて、雨の日に印刷物をトランクに入れて動くなんて絶対にいやだったので、ようやく晴れた日を狙って来たのにも関わらず・・・この展開は予想外。仕上がりのタイミングがどんどん遅れていく。

こうして、やや失意の状態で印刷に(半分だけ)とりかかる。

R0049424

できあがりはA6サイズで本文72ページ(それと別にカラーページも差し挟む)の冊子になるので、A4用紙1枚に裏表で8ページを印刷する。なので500枚入りの紙の束が9セット必要となる。

R0049426

印刷をしながら「このまま片面の印刷物を、別のカンプリの店舗に運んでつづきの印刷をしたらいいんじゃないか・・・?」という黒いタテーシからの提案もアタマをよぎったが、すでに「印刷物を預かってもらう云々」の段取りを確認しあった後だっただけに、それもやりにくくなる。

そんなわけで、ガーッと片面ずつ印刷をし続け、500枚ずつ紙でくるんで、それを9回繰り返して、そうしてあっさり14時半には作業終了・・・。
レジで印刷物を預かってもらい、会計をすませて、そして空っぽのままのトランクとともにすみやかに帰宅。

なので、延長戦に突入した気分・・・なでしこジャパンかよ!!
監督は笑っている場合じゃねぇよ!!

・・・こうして失敗を重ねて知恵をつけていくのである。ディーアイワイ精神。オーイエー。


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2011.08.23

今シーズン「私塾」最終回:ファシリテーションとサッカー、つけっぱなしのテレビと「窓」のこと

「月曜日の私塾」今シーズンの最終回は2つのプレゼンと卒業交流会。
教育現場におけるファシリテーションについてプレゼンしたNさんは、ご自身がサッカーファンということもあったので、個人的に「サッカー的にファシリテーションを考えることはないのか」という質問をしたら、よくミッドフィルダー(ボランチ)的な動きに例えられることもあるが、あくまでも「グラウンドで一緒に選手とプレーする」という意味合いでいうと、ファシリテーターの役割はそこには当てはまらなくて、しいていえば「芝生」みたいなもの、と言われてなるほどと思う。そこで出た一応の結論としては、「監督と審判の両方を担うような存在」がファシリテーターかもしれない、ということ。現実のサッカーの場面で当てはめてみるとそれは矛盾した存在ではあるが、それゆえに協働的な学びの場を促進させる役割の難しさがよりいっそう感じられるわけで。

もうひとつのプレゼンは、「家族と住む家の居間にあるテレビが一日中つけっぱなしであることについて」の問題。これは学問的にもいろんなジャンルが関わってきそうなテーマ。建築学的にもメディア論的にも家族社会学的にも、そしてそれこそ「デザイン」の問題だったりもするかもしれない。
で、居間という空間でそれぞれの時間帯を生きる家族にとって、日常生活のなかで切り離せないものとしてひたすらつけっぱなしにされているテレビという存在について、「部屋にある窓の向こうの景色を見ているかのよう」と発表者のKさんが言ったとき、ちょっと衝撃だったのは、そんなテレビの次なるメディアとして90年代にインターネットを普及させるべく世に放たれたパソコンのOSの名前が「ウインドウズ」というネーミングであったことの不気味なほどの予見性みたいなものが感じられたことだった。まさに「メディアの転回点」の核心を突いたような発言だなぁと感じ入った。

今シーズンの「私塾」は短期集中的な気持ちで参加させてもらいつつ、自分自身の活動のドタバタもあってプレゼンをやったりとか積極的な参加ができなかったが、普段あまり考えないことをじっくり考えたり、いろんな人の意見を聞いたりする時空間をキープするのはやはり大事だなぁと実感。みなさんおつかれさまでした。

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2011.08.21

ガンバ 6-3 フロンターレ

大阪は雨が降っていた。

しかし前売りチケットを買ってしまっている以上、万博競技場に向かうしかあるまい。
ガンバ大阪×川崎フロンターレ。
それでも12000人も客がいましたよ。みんなレインコートかぶってご苦労様である。

おかげで、雨の日の観戦ノウハウが蓄積されましたよ。たとえば古新聞は必須アイテム。とくに万博のようにスタジアムのほとんどに屋根がない場合は。新聞紙は最初に座るベンチの水気を取り除くために使うのだ。
あとレインコートは行きがけに100円ショップで買ったもので間に合わせた。こういうときのためにずいぶん以前からアウトドア用のレインコートを買うべきかそれとなくチェックしているのだが、でも人生でレインコートが必要になる回数って自分の場合は何回あるかと考えると(しかもスポーツ観戦に限定すれば、動かずにじっと座っているからレインコートの性能が悪くて蒸れやすくても別にかまわないと思うので)、そのつど安価なレインコートで間に合わしてもいいのかも、とこの日あらためて思ったり。(もちろん、応援したいチームがあるのなら、チームグッズのレインコートは普通にアリだが)

ちなみに雨は当初ほとんどパラパラ程度で、夕方には雨がやむだろうと根拠のない自信があったので、今回も茨木市駅から自転車でスタジアムに行ったわけだが・・・帰り道が、いちばん雨降った(笑)
ズブぬれ。
前回の観戦記でnahoさんがコメントしてくれた茨木駅近所のたこ焼き屋に帰りのときに寄ろうと思っていたのだが、急な強雨のために泣く泣くスルー!

ただし試合はすごかった。
スコア6-3。

でも数字だけ観ても分かりにくいポイントがある。
前半、ガンバは2点リードした。
「あー、強いなぁ」と思っていたら、そのあと前半のうちに川崎が3点取って逆転してしまうのである。
そこポイントだ。こんな試合展開、あまり記憶にない。
なのでもし前半だけで試合が中止になったとしても、ほとんどのお客さんは「入場料のモトはとれた」と納得して帰ることができたはずである。さすが攻撃的チーム同士の対戦は熱かった。

しかし、後半が開始されて1分もたっていなかったのではないだろうか。
川崎DFがペナルティエリアで相手を倒して、微妙な判定だったがPK+2枚目イエロー退場。これがこの日のすべてだった。

このとき、主審の名前をガンバサポーターがコールしていた・・・「イエモト、オーレー!」と。この主審、僕ですら名前を記憶しているぐらい「微妙なジャッジで有名な審判」で、実は試合開始前に場内アナウンスで主審の名前が告げられるとガンバサポーターから大きなブーイングをもらったりしていた。それが今や「オーレ-!」と讃えられているので笑うしかない。

というわけで、空気の読めない審判のおかげで後半のほとんどを10人で闘うことになった川崎は防戦一方となり、そこからガンバが4点叩き込んで大勝した試合となった。
でもさすがに中村憲剛を擁する川崎も随所でチャンスを作りまくっていたので、まさに殴り合いのような試合は雨の中スタジアムに来たかいがあったというもの。
この夏、やたら連敗して優勝争いは正直厳しくなった川崎だが、私の今シーズンはじめの直観「今年はフロンターレがくるかも」というのは決して間違いじゃなかった! と言いたくなる熱い試合だった。

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2011.08.19

“スーパーグループ”LAMAのデビューシングルから

前回の記事で「積極的目標」とかエラソーに書いておきながら、人生でホラー映画とかお化け屋敷とかジェットコースターとかに決して近づかない男、タテーシです。みなさんこんばんわー。

さて、元スーパーカーのあの2人や、元ナンバーガールのあのギタリストが参加して誕生した「個人的には“スーパーグループ”と呼びたい新バンド」、LAMAのファーストシングルの音源2曲がYouTubeでアップされていたので削除される前に貼り付けておきたい。

イントロがかっこいい、けどアニメの主題歌になったからか、ミキちゃんボーカルの歌い方がどうにも微妙に感じる。でもまぁ、今の時代にスーパーカーが新曲を出したらこんな風になるんだろう、と。でもせっかくなんでこのバンドは田渕ひさ子のギターをガンガン活かしてほしいものだ。

こちらも良い曲。酔い曲。
ライヴでどのように演奏するのかが興味深い。
ギターが決して表に出てこないバンドではあるが、この曲でも印象的なフレーズをなぞっている。

あと、このシングル盤のジャケットデザインが妙にツボなのだ。
なんかこう、80年代的というか、まさにキング・クリムゾンの『beat』を連想させるけど、あのどことなくポップだけどシンプルかつ静かな雰囲気が、かえって楽曲の凄みを秘めているような。

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2011.08.17

積極的目標と消極的目標

先週、今週と「月曜日の私塾」では参加者によるプレゼンをもとにいろいろな議論があって盛りだくさんであったが、とくに今週、ずっと話を聞きながら、なぜかずっとアタマの隅っこで鳴り響いていたことがあって、ついぞそれについては発言しなかった。話の文脈とは関係がありそうなんだけれども、でもやっぱりなさそうな気がして、それらを接続させる言葉が見つからなかったのである。

それは「積極的目標と消極的目標」についての話で、『問題解決のアート』という古い本にでてきた話である。

たとえば、ラジオから音楽が流れていて、あなたはその音楽を「聴きたくない」と思ったとする。

そこで、ラジオのスイッチを消す → これを消極的目標、
ラジオの選局を変えて、別の音楽を流す → これを積極的目標、というふうに考えることができる。

で、ここがポイントなのだが、「積極的目標の達成は消極的目標の達成を含むが、その逆は真ではない」ということだ。

なるほど!! と思ったわけだ。
このことって、広く人生全般にも応用できる視点のような気がしているのである。ずっと。

ここからは自分の考えで、うまくまとまらないのだが、ある物事について自分が受け入れにくいなぁと思ったとき、その物事についてそれ以上関心を持たないようにしたり、避けたり、無視したりすることはよくあるわけだが、これが「消極的目標の達成」であれば、どうせならラジオのチャンネルを変えるかのように、「少しでも粘ってみて、別の側面がないか、とりあえず探求する姿勢を手放さない」ということのほうが、人生を確実に面白くしていくのではないかということだ。消極的目標、つまりラジオのスイッチを消してしまったら、たしかにそのときの望み通り、自分にとっての気に入らない音楽は聞こえなくなるが、未知なる名曲に出会う可能性も閉ざしたことになる。

サッカーに例えると(笑)、自陣でピンチを迎えて守備をしていたが、なんとかしのいでボールを大きく相手側に蹴り返す(クリアする)、そういった対処方法をとるのではなく、自陣でマイボールになったら、すぐに大きく蹴ろうとするのをガマンして、なんとかがんばって味方にボールを細かく回して、パス交換でつないで相手陣内までボールを移動させるようなプレーを選ぶ、ということのほうがより有利な展開に持ち込みやすい、っていう。

いずれにせよ、「積極的目標」のほうを選ぶことは、「ちょっとネガティブな事象に、もうしばらく向き合う、付き合う、試行錯誤する」という努力が要るかもしれないが、そういう努力をすることで、すでに「消極的目標」は達成済みになるし、さらなる「ごほうび」みたいな体験が待っているかもしれないということだ。つまり「お得」なのである。

でも、そういう考え方ってあまり自発的にやろうとは思わないんだよなぁ、と。それは教育の影響なのだろうか、とふと思ったり。

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2011.08.15

スウォンジー・シティFCのマスコットキャラクターCyril the Swanがナイスすぎる件

プレミアリーグも新シーズンが開幕しました。
今年から、ウェールズにあるクラブとして初めてプレミアリーグに昇格したスウォンジー・シティFCですが、以前から

この本のおかげで、スウォンジーのマスコットキャラクターのポテンシャルの高さは存じ上げていたわけです。

それがまぁ、なんと今年はトップリーグに昇格したので、ひょっとしたらテレビでも観られるかもしれませんな。

ええと、チームのエンブレムが白鳥なので、おのずとこういうキャラクターになるんですが

Swan


いやはや、もう。

いろいろとエピソードもかなり豊富みたいなのですが、それはまたおいおい。

ていうかこのよくわからない動画もかなりウケてます。
スタジアムの周辺をトボトボあるく白鳥です。

よいシーズンになりますように。


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2011.08.12

「日本人は、バーベキューの経験が足りない」

「場づくり支援」を行っているというエンパブリックという会社のホームページをみていたら、「なぜ日本のNPOや社会起業家は欧米のように大きくなれないのか」という問題について、
「日本人は、バーベキューの経験が足りないから」
と論じていて面白いので紹介(こちら)。

欧米の人は子どものころからホームパーティをしたり、BBQをしたりして、新しい人とつながるイベントを主宰する経験を積んでいます。学校でも、ワークショップ型の授業や、クラブ活動のための地域からの募金集めやチケット販売などが盛んに行われています。誰もが「人が集る場を自ら運営する」という経験値を自然に高めています。それに対して、日本の若い世代は、小中高と教えられる授業を中心にし、チケット販売や多世代がつながる場の主宰をあまり経験していません。そんな経験値が弱いまま、いきなり地域の様々な関係者の力を集め、一つに束ねていく社会起業をしようとしても、うまくいかないのです。
  日本と欧米の若者に志の高さや事業計画立案力に差はありません。しかし、実際に現場で、ワークショップ、勉強会、イベント、ボランタリーな組織の運営などをやってみて、うまくいかないと苦労する人が多いのです。参加者を募るにも、寄付を集めるにも、場づくりや運営の経験値がなければ、概念を実現させることはできません。また、人が新しい場に集まっても、どう動けばいいか、何をどう手伝えばいいか、直感的にわからないので指示待ちになります。そこが欧米と比べると圧倒的に足りない以上、欧米のNPOや企業に勝てないのです。

 それは地域やNPOだけでなく、企業でも同じ課題があります。グローバル対応が進む中で、かつて日本企業にあったコミュニティは失われ、職場の人間関係作りに悩んだり、精神的に追い詰められる人が増えています。社会や制度から「場」が忘れられ、人々の間から「場づくりの経験値」が失われてしまっているのです。

あ、タテーシのアタマのなかでは、こういうのもぜんぶすみやかに「フットボール変換」されてしまうので、別にNPOとか大学の学生のこととかをマジメに念頭に置いているわけではなく、単に「いかにサッカー日本代表を強くするか」みたいなところをまず最初に思ってしまったり。

なのでこれはまるでオシム語録みたいだ。

Osim
「日本人は、バーベキューの経験が足りない。遠藤や俊輔は肉だけを用意すれば相手が喜ぶと思っているだろう。しかし、それではバーベキューとは呼ばない。」

Osim_2
「バーベキューに求められる能力のなかには、使い終わった鉄板を洗うことも重要なのだ。焼いて食べるだけが能力ではない。遠藤や俊輔はリスクを恐れずに進んで鉄板を運び、コゲつきを洗いながら、かつデザートのアイスを出すタイミングを見極めることが求められる」

(・・・や、別に遠藤や俊輔に他意はないのだが、最新号の『Number』誌でオシムさんがなでしこジャパンへのお祝いメッセージを寄せているなかで、名指しで「遠藤と俊輔も見習え」みたいなことを言っていて、あぁこの人はいつまでもこの2人には言いたいことがたくさんあるんだろうなぁー、とちょっと微笑ましかったので)

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2011.08.10

4年間悩んだ結果

いまアワアワしながら仕上げにかかっている小冊子のタイトルを、
『DIY TRIP SEATTLE & PORTLAND:手作り印刷物とDIY精神をめぐる旅~シアトル・ポートランド編』
にすることに決めた。4年間ずっと決まらずに悩んでいたのだが、結局こうなった。もうちょっと他にあるんじゃないかという思いもあるのだが、もはや決めなくてはいけない。

━―━―━

携帯電話のディスプレイが壊れたままで文字が読みにくい状態だった。重い腰をあげてようやくソフトバンクの店に行って機種変更をしにいく(できれば修理したかったが、仕方ない)。
携帯電話についてはまったくこだわりも期待もないので、いま使っていたのと同じ、一番チープなPANTONEのシリーズの在庫を調べてもらうと、奥からでてきた店員さんが苦笑いぎみに「すいません、青色しかありません」と言ってきたので、「じゃあそれでお願いします」となった。
3年ほど前の機種変更のときも、あまりにもあっさりカラーを決めたことで店員さんから苦笑された経験があるが、今回も似たような状況だった。結果的に私の新しい携帯電話はちょっとラメなキラキラ気味のブルーとなった。

ちなみに、お店のカウンターに座っていたら、テーブルの上をアリが1匹歩いていた。
都心のビルのテナントの1階で、携帯電話を売っている現場にアリがちょこちょこと動き回っている状況は、なんだかフシギな感覚であった。まるで俳句のネタになりそうなシーンだ、ならないか。

━―━―━

ちなみに新しい携帯に最初にやってきたメールは、Fくんからの「今日のサッカーの日本×韓国を一緒に見ませんか」という、まったく色気のないものだった。
聞けば、Fくんは最初に韓国人留学生の友人たちと一緒に見ようとしたのだが、「さすがに今日は来ないでくれ」と言われたそうで(笑)。ならば我々は日本代表を応援しまくろう、ということでさっきまで「香川にケガさせんじゃねぇぞ」的なことをブツブツ言ったり言わなかったり、代表デビューの清武くんの「センパイに遠慮しまくりなアシストぶり」を讃えたりしていた。
とにかく今日の試合は、テストマッチとはいえ、そう、松田直樹の名の下に負けるわけにはいかない試合だったのだ。とくにディフェンス陣が無失点に抑えたことが重要である(後半は危険なシーン連発だったが)。

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2011.08.07

「誰しもが人生の初心者である」

駅のホームで地下鉄を待っていたら、4,5歳ぐらいの男の子が高いテンションで盛り上がっていた。
まるで地下鉄に関するすべての事柄について興奮を覚えているかのように。

反対側ホームにやってきた電車をみるや歓声をあげ、どういう車体なのか、どこへ行くのか知りたがったり。
自分のいるホームにやってくる電車は、いつ来るのか、いまどの駅を通過したのか。
電車に乗り込むと、ちょっとの揺れも大げさなほどに驚いたり。
その子は次の駅で降りていったのだが、たしかに地下鉄というのはよくよく考えたらすごいメカニズムであるし、いつも当たり前のように乗っては降りていくだけの出来事も、あの少年のように捉えるとすべてがスペシャルイベントに感じてしまうかもしれない。

「誰しもが人生の初心者である」
という名言のことを思い出した。

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2011.08.05

無骨なディフェンダー

この数日間、松田直樹について語られているエピソードのなかに、日本代表のトレーニングキャンプ中にトルシエ監督と意見が衝突して「無断帰国」した話があった。そういえばそんなことがかつてあったようななかったような、と曖昧な記憶をたよりなく探っていっても、結果的にはその後も松田直樹はトルシエジャパンの生命線であった守備戦術「フラット3」の遂行には欠かせないディフェンダーとして、2002年ワールドカップの最後の最後までピッチに立ち続けていた記録上の事実によって、すべてが覆われてしまう。

誰であれ自分の主張をしっかり表明するサッカー選手としての松田は、それでこそ日本を代表すべきディフェンダーであったと思うし、そしてまた、意見が衝突して無断帰国するような選手をそれでも最後まで信じて起用し続けたトルシエ監督もよくやった、と思う。
サッカーは技術だけでなく、ハートで闘うものなのだ、ということをお互いよく分かっていたのだろう。
そんな邂逅の末に、日本代表はワールドカップではじめて一勝をあげ、そして決勝トーナメントに進むことができた。いわゆるシドニー五輪世代として、同年代だった私はおそらく今後もこれ以上ないほどの思い入れでこの日本代表を応援しつづけていた。「僕らの世代の日本人で、いちばんサッカーがうまくて、そしてとんでもない偉業をやってのけた人々」のうちの一人の早すぎる死は、ただただ哀しい。合掌。

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2011.08.03

まだ試合は終わっていない

練習中に倒れた松田直樹の状況が気になって仕方がない。
松本山雅FCの練習場にAED装置がなかったというのが、本当に不運。
思えば今年のJリーグ開幕直前に出版されたエルゴラッソの季刊版の雑誌の表紙は、松田直樹であった。
マリノスでの涙の解雇から、JFLに舞台を移して、あらためてボールを蹴ることのできる喜びをかみしめている松田の表情が印象的であった。
そんな彼が、シーズン初頭のサッカー本の表紙を飾っていたことに、彼が背負っている使命みたいなものを感じたわけである。松田直樹が見てきた世界、経験してきた出来事は、これから続くたくさんの若い才能のためにもっと活かされるべきなのであり、まだ彼の試合は終わるべきではない。ひたすら回復を祈る。

Matsu

こうして、日本サッカー界はこの一ヶ月、良くも悪くも衝撃的な出来事が起っているわけである。

良かったほうの出来事、つまりなでしこジャパンについては、雑誌「Number」が緊急で作った「なでしこ特集号」が本日発売。

Sawa

やはり期待通り、写真のすごさで迫ってくる雑誌だ。

熊谷がPKを決めた瞬間を高い位置から俯瞰的に捉えた写真は、淡々とした雰囲気に思えるけれども、ここに添えられたキャプションによって、たしかにこの瞬間こそが伝説が生まれた瞬間なのだと認識させるパワーを放っていたり。
さらに感動した写真は、28-29ページの澤の写真。カップを掲げたときに吹き上がった金色の帯たちがピッチ一面に降り注いだあと、日本の国旗を背負って笑顔で手を振る澤が一人だけ画面のなかにいるというもの。無駄なものが入り込まず、ひとり金色の芝生を歩いているかのような、まさに澤穂希のサッカー人生最高のシーンを捉えたと思える写真。こういうシーンを切り取る写真技術と、セレクトする編集センスもグッとくる。

そして、淡々と語る宮間のインタビュー(タイトルは『浮かれてる場合じゃないですから』)を大きく取り上げるあたりNumberらしい。あのアメリカ戦の同点ゴール、何も考えずに左足アウトサイドで押し込んだだけのように見えたが、実はそうじゃなくて、昔からお互いをよく知る相手キーパー、ソロとの一瞬の駆け引きの結果だったことが語られていて興味深い。

そして「なでしこの選手みんなにバラを贈りたい」とかねてから宣言していたカズによる寄稿文も、今回とてもよかった。

で、巻頭言で金子達仁が書いているように、花を咲かせ続けるために「水と土」がこれからも必要になってくる、という問題意識が重要になってくる。
むしろサッカーファンの出番はこれからなのである。

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2011.08.02

「月曜日の私塾」第3回<内から壊す>ということ

「月曜日の私塾」前回は欠席。第3回目はソーヘイさんによる話題提供「<内から壊す>ということ:「自壊」する資本主義社会と「表現」の可能性」。

去年の私塾でのソーヘイさんのプレゼンでは「資本主義のいやなところ」を中心的に考えてみたので、今回は資本主義の「可能性」をも視野に入れてみようというお話。で、そのためのブレークスルーとして、「内側から壊していくことはできるのかどうか」という問題提起。

つまり資本主義大嫌いだ、と言いつつ、でもそこに荷担しつつ、内部からしたたかに仕組みを読み解いて転換させうる可能性が、このシステムに残っている。少なくとも資本主義体制のなかでそういう可能性が残っているのであれば、案外これは悪いシステムでもないわけだ、と。二項対立で闘うという時代はとうの昔に終わったのだから。

これ、すんごい自分にとってはタイムリーすぎるほど重要な視点。
「片足つっこんでおいて、そこから行動するなり考えてみる」というスタンス。

昔、作家の宇野千代のエッセイで読んだ「嫌なこと、悩み事があれば、むしろそっちに向かって進んでみると、案外うまく切り抜けられる」といったような視点。

ちょっと本論から脱線するかもしれないが、なんだか、メディア環境なり世論なりは、どうしたって分かり易い「二項対立」に持ち込みたがるわけだし、その思考のフォーマット自体が「国民的リアクション」として(教育的に)染みついてしまっていて、「嫌なモノがあれば、対立するか逃げるか」ぐらいの選択肢しかないように思い込まされているんじゃないかと思うわけだ。

たとえば私が思った例として、「引きこもり」という用語がメディアを通じて広まっていくことが挙げられる。そもそも「引きこもり」という現象は、この言葉がメディアで叫ばれる以前から、大昔から世界中のあちこちで起っていた現象のはずなのである。それが「引きこもり」という言葉でカテゴライズされると、
(1)程度の大小に問わず、家にこもりがちな人がすべて同一の現象として見なされる
のと、
(2)社会的にうまくいかない人々に、対処方法として「引きこもる」という概念なり、リアクションの引き出しなり、考え方みたいなものが「ぼんやりと強要される」可能性が高まる
ということが挙げられると思う。

なので、ちょっと気持ち的に不安定な人々が

嫌なことがある→引きこもる、逃げる、徹底的に闘う

という、この単純なリアクションに陥らないように、

嫌なことがある→むしろその嫌なことに近づいてみよう、理解し合って仲良くなってから考えてみよう、気が向いたら壊してみよう(笑)

という、別の選択肢を選ぶ勇気をどこまで教育的に醸成できるか。
実はこういうリアクションって、あまり選択されにくい気がする。
だから「内部から壊していこう」という、この発想が出にくい環境にあるんじゃないか、と。

このこと、いつもの自分ならすべてサッカーに例えて話をしたいところなのだが、ちょっと眠いので保留。

ちなみにさらに脱線するが、以前も書いたが私は「引きこもり」という用語の使用をやめて「精神的立てこもり」と言い直せ、と昔から主張している。こうしてコトバをすこしズラすだけで、その当事者の主体性なりアクティブさがまったく違ったものに変質するように感じないだろうか。彼らは立てこもっているんだ、と。ある意味での「人質」を盾にとって籠城している、と捉えてみたいのである。「引きこもり」とレッテルを貼ることで、当事者の彼らは「弱々しいヤツラ」みたいにカテゴライズ(しかもかなり強要)されてしまっている気がする。とんでもない話だ。引きこもりにどれだけのエネルギーとアクティブさが必要か、と。勝手に弱々しいイメージをつけんな、と。そのあたりに見え隠れする「政治性」っていうやつをどこまであぶり出せていくか、が課題ではないかと。

ちょっとまとまらないが、そんなことをザーっと考えていた。


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