今シーズン「私塾」最終回:ファシリテーションとサッカー、つけっぱなしのテレビと「窓」のこと
「月曜日の私塾」今シーズンの最終回は2つのプレゼンと卒業交流会。
教育現場におけるファシリテーションについてプレゼンしたNさんは、ご自身がサッカーファンということもあったので、個人的に「サッカー的にファシリテーションを考えることはないのか」という質問をしたら、よくミッドフィルダー(ボランチ)的な動きに例えられることもあるが、あくまでも「グラウンドで一緒に選手とプレーする」という意味合いでいうと、ファシリテーターの役割はそこには当てはまらなくて、しいていえば「芝生」みたいなもの、と言われてなるほどと思う。そこで出た一応の結論としては、「監督と審判の両方を担うような存在」がファシリテーターかもしれない、ということ。現実のサッカーの場面で当てはめてみるとそれは矛盾した存在ではあるが、それゆえに協働的な学びの場を促進させる役割の難しさがよりいっそう感じられるわけで。
もうひとつのプレゼンは、「家族と住む家の居間にあるテレビが一日中つけっぱなしであることについて」の問題。これは学問的にもいろんなジャンルが関わってきそうなテーマ。建築学的にもメディア論的にも家族社会学的にも、そしてそれこそ「デザイン」の問題だったりもするかもしれない。
で、居間という空間でそれぞれの時間帯を生きる家族にとって、日常生活のなかで切り離せないものとしてひたすらつけっぱなしにされているテレビという存在について、「部屋にある窓の向こうの景色を見ているかのよう」と発表者のKさんが言ったとき、ちょっと衝撃だったのは、そんなテレビの次なるメディアとして90年代にインターネットを普及させるべく世に放たれたパソコンのOSの名前が「ウインドウズ」というネーミングであったことの不気味なほどの予見性みたいなものが感じられたことだった。まさに「メディアの転回点」の核心を突いたような発言だなぁと感じ入った。
今シーズンの「私塾」は短期集中的な気持ちで参加させてもらいつつ、自分自身の活動のドタバタもあってプレゼンをやったりとか積極的な参加ができなかったが、普段あまり考えないことをじっくり考えたり、いろんな人の意見を聞いたりする時空間をキープするのはやはり大事だなぁと実感。みなさんおつかれさまでした。
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