無骨なディフェンダー
この数日間、松田直樹について語られているエピソードのなかに、日本代表のトレーニングキャンプ中にトルシエ監督と意見が衝突して「無断帰国」した話があった。そういえばそんなことがかつてあったようななかったような、と曖昧な記憶をたよりなく探っていっても、結果的にはその後も松田直樹はトルシエジャパンの生命線であった守備戦術「フラット3」の遂行には欠かせないディフェンダーとして、2002年ワールドカップの最後の最後までピッチに立ち続けていた記録上の事実によって、すべてが覆われてしまう。
誰であれ自分の主張をしっかり表明するサッカー選手としての松田は、それでこそ日本を代表すべきディフェンダーであったと思うし、そしてまた、意見が衝突して無断帰国するような選手をそれでも最後まで信じて起用し続けたトルシエ監督もよくやった、と思う。
サッカーは技術だけでなく、ハートで闘うものなのだ、ということをお互いよく分かっていたのだろう。
そんな邂逅の末に、日本代表はワールドカップではじめて一勝をあげ、そして決勝トーナメントに進むことができた。いわゆるシドニー五輪世代として、同年代だった私はおそらく今後もこれ以上ないほどの思い入れでこの日本代表を応援しつづけていた。「僕らの世代の日本人で、いちばんサッカーがうまくて、そしてとんでもない偉業をやってのけた人々」のうちの一人の早すぎる死は、ただただ哀しい。合掌。
Comments
同い年だったんだよな。
同じ年月を生きてても、あれだけのことをやってきた人生は密度がつまっている。
Posted by: ヒロポン | 2011.08.08 09:08
ヒロポン>残された我々はがんばって密度を濃くしていかねばならないんでしょうなぁ。。。
Posted by: HOWE | 2011.08.09 22:58