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September 2011

2011.09.30

ロンドン五輪の開会式や閉幕式は誰が登場するのか問題

というのを、このあいだ帰りの車中で上司のSさんと議論した。

ロンドン五輪での開会式や閉幕式に、どんなミュージシャンやスポーツ選手、俳優・芸能人が登場するのかという問題だ。

これは2012年7月にいたるまで、かなり語りがいのあるテーマである。
というのも、イギリスという国が有する多彩なタレントを列挙すると、「もはや収拾がつかなくなるんじゃないか」と思ってしまうほど、この半世紀ぐらいにおけるイギリスのポピュラー文化全般にわたる「オールスター」が結集しそうなイベントになることが予想されるわけで。なので開会式も閉幕式も、オリンピックの競技そのものに匹敵する「ビッグイベント」である。

そして同時に、「この人は開会式向き、この人は閉幕式向き」というのを勝手にカテゴリー化するのも面白い。
たとえば、ミュージシャンだとエルトン・ジョンやスティングとかは開会式に登場しそうな感じだが、ロッド・スチュワートはどちらかというと閉会式っぽいよな、とか。

北京五輪の閉幕式でも登場したジミー・ペイジとかもどこかで出て欲しいし、あとエリック・クラプトンもギャラガー兄弟(のどちらか)もどこかで出てもらわないとだめだし・・・とか考えると、ミュージシャン部門だけでも飽和状態である。

Sさんは、俳優のショーン・コネリーが司会者役みたいに出てくるのではないかと予想。

私は、開会式の聖火リレーがどのような展開になるかがとても気になっている。
途中で、ミスター・ビーンのローワン・アトキンソンが出てきそうな予感がある。聖火を持って、たどたどしくキョロキョロ周りをみながら、みんなをハラハラさせつつ、あてもなく走り回るビーンの姿が目に浮かぶ。

聖火リレーのクライマックスでは、私のイメージではディヴィッド・ベッカムとか、ミック・ジャガーとか、ポール・マッカートニーとかが出てきそうな気がするのだ。
たとえばこの3人が最後に揃って聖火台に向かうのもすごい映像ではないだろうか。

で、聖火リレーの一番最後の聖火ランナーおよび点火者というのは、往々にしてその国の有名なスポーツ関係者が務めることになるらしいのだが、ウィキペディアでそのあたりを調べて確信しているのは、「案外、その国の人じゃないと知らない人が多い」ということだ。私が覚えているのは、アトランタ五輪のときのモハメド・アリぐらいである。最後の最後までひっぱっておいて、最終ランナーは案外「誰?」というパターンが多い。

なので、せっかくのイギリス開催なのだから、もうちょっとヒネった人選でもいいんじゃないかと思う。
オリンピックの聖火を点す役としてふさわしいと、私が直観で思ったイギリス人は、スティーヴン・ホーキング博士だ。
ベッカムとミック・ジャガーとポール・マッカートニーがホーキング博士といっしょに協力して最後に聖火を点したら、ものすごく感動すると思う。

そんなこんなで、現実のニュースでは、その開会式にあわせてマッカートニーがビートルズを再結成するとかいう話もある模様(こちら)。そんなプランはさすがに予想していなかった。いやはやまさにオリンピックの開会式は、ビートルズまで復活させるぐらいのビッグイベントになってしまうのである。やる前からここまで盛り上げておいて大丈夫なのか実際のところ、と余計な心配までしてしまうな。


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2011.09.29

G大阪×甲府にしびれる

このあいだは、ガンバ大阪×ヴァンフォーレ甲府の試合を万博で観ていたのである。まさか残留争いまっただなかの甲府がガンバをアウェイで0-2で下すとは予想だにしなかった。

ヴァンフォーレを観たかったのは、今をときめくハーフナー・マイクの高さっぷりを拝む目的もあったが、なにより市川や伊東輝悦といった、清水から移籍したベテランたちを観たいのもあった。
で、0-1でリードした残り10分あたりで、伊東輝悦が交代出場した。つまり指揮官は「1点を守りきれ」というメッセージを送った。
ようやくお目当ての伊東テルがピッチに登場したので、必死に守備をつづけるヴァンフォーレのなかにあって、守備的ボランチとして残り10分間伊東テルがどういうプレーを見せるのか、最後までずっと彼の動きを中心に見つめていた。

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「インド人を右に!」

で、これはおそらく、まともに11人制サッカーをやったことのある人だったら当たり前のことなのかもしれないが、私はあの日、伊東テルの動きをひたすら見続けたことで、守備に専念するボランチがどういう仕事量をこなしているかをはじめて理解した気がする。

彼はとにかく、前線の相手フォワードの位置を何度も振り向いて確認をとりながら、中盤でボールを持っている相手選手から簡単な縦のパスがフォワードに渡らないよう、その間のスペースを消すような場所にポジションを取り続けていた。まさに職人ワザとも言える、その小刻みな修正力に、グッと魅了されっぱなしであった。地味なプレイなので歓声は上げられないが、伊東テルが後ろを振り返って、すかさず数歩自分の立ち位置をずらしながら、そして自分の目の前の相手選手にボールが渡るとスッと前に進んでプレスをかけ、そしてまたボールがほかのサイドに流れると、ふたたび相手のボール保持者と、前線の相手フォワードとの間の空間を埋めるべく微調整を繰り返す・・・そして機を見てパスカットも試みるのだが、これは集中して相手のポジショニングやボールの位置をずっと追いかけていたからこそできることなのだろう。そうこうして守備がガッチリはまった甲府は、そこからカウンターでさらに終了間際に追加点を挙げることに成功した。

や、こんなことはサッカーを普通にプレイしたことのある人にとっては当たり前のことかもしれないが、いずれにせよテレビで観ているとどうしてもボールの動きを中心にカメラワークが動いてしまうので、今回のように、「特定の選手が数歩だけポジションを調整したことの意図」というものを、一定の基準線のうえで観察できるのは、やはりスタジアムで生観戦するからこそなのであろう。そうやって少しずつ、生で観戦することの面白さに気づいていくのであった。

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2011.09.28

小学校の運動会で赤組の応援歌は「ウィー・ウィル・ロック・ユー」だった。

デルニエさんで髪の毛を切ったあと、近所に住む姪っ子と甥っ子の小学校が運動会だったので、寄ってみた。もうひとりの姉も駆けつけていたので、思わぬタイミングで家族一同が集合することになった。自分が甥っ子の立場だったら、普段そんなに顔をあわせているわけでもない叔父や伯母まで運動会に来たら落ち着かない気分になるかもしれないが、あまりそのへんは気にしない子たちでいつも助かる。

それにしても小学校の運動会を観るなんて自分のとき以来である。やるべきことはあまり変化がないみたいだが、1年生の「玉入れ」なんて、オトナの目でみたら、個々の子どもたちの「時間内に目標とすべきタスクをいかに効率的にこなすか」という課題にたいする取り組みかたの幅の広さに、「そうか、手際の良い子どもとそうじゃない子どもは確実にこの世代から存在してしまうのか」と思ったり。

ダンスのときにはAKBの「ヘビーローテーション」がBGMだったりするけど、ビックリしたのは「応援パフォーマンス合戦」の時間に、赤組がクイーンの「ウィー・ウィル・ロック・ユー」を一瞬だけBGMにしていたことだった。ダンボールでギターとか作っていましたよ。1年生から6年生までが「ドンドン、ダンッ、ドンドン、ダンッ」とビート刻むんですよ。奈良市の小学校ではとんでもないことが密かに起こっていたりするわけです。

━―━―━

今日、ある先生とたまたま昼食を一緒にとることになったのだが、
その女性の先生が夫婦揃ってF1グランプリの熱狂的なファンだということが、ふとした会話で判明し、ものすごく驚いた
Filippoinzaghiacmilanvsscnapoliseri
まったく「サーキット」とか「アイルトン・セナ」とかのフレーズと結びつくことのないような雰囲気の先生だっただけに。この衝撃は自分にとってF1をめぐるさまざまなエピソードのなかでもとびきりの破壊力を持っている。
いまちょうどF1についてのファニーなZineをイラストレーターのユリコフ・カワヒロさんと作ろうと計画しているのだけど、完成したらこの先生にも読んでもらおうかどうか悩むほど驚く(笑)
つくづく「人生っていろんなことが起こる」と、安直な表現でしかないが、そう思うしかなかった。
いやはや、人生捨てたもんじゃないよ、あたりまえすぎるけど。あまりにも簡単に人をカテゴライズしてはいけないと猛省。

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2011.09.26

シンポジウム「ZINEの未来形:FANZINE・ZINE・art-ZINE」

というわけで休みを利用して金沢21世紀美術館での「art-ZINE:冊子型アート・コミュニケーション」を観賞し、関連シンポジウムを聴く。

2時間がっつりと聴いてメモもとりまくったのだが、終わったあとになんだかいろんなモノゴトがぐるぐると頭をめぐっていくので、美術館の外をでて金沢城とかのエリアをなんとなく散歩しながら、ダラダラとシンポジウムのことを思い返したりして、そうして今日帰宅してブログにまとめる段階になっても、なんだかうまくコトバを出せる自信がない。

以下、思いついたことをタラタラと。

アートとしてのZineを日本で紹介してきたユトレヒトの江口さん、Zineの政治・社会的な背景だったり「持たざる者による表現」としてのありようについても発信しているLilmag野中さん、そしてZineというムーブメントを電子出版業界におけるヒントとして捉えようとしているソニーデジタルエンタテインメントの福田さんという、このまったく立場の異なる3者が集まって語るという場を設定したのは貴重だったと思う。
しかし企画側の意図としては、あえてZineに「art」というフレーズをつけてみて、アートの新しい可能性について考えてみたいと思ったものの、それでもやはりZineのトークイベントは、往々にして「結局ZINEっていうのは何だろうか」というハナシになっていくわけで、そこに終始するあたりがZineらしい、という結果になった気がする。つまり「art」がついてもつかなくても、今はただひたすら、「Zine」というフレーズがフシギで曖昧でナゾなコトバであるので、あまり大差ないんじゃないかと。なのでソニーみたいな企業にとっては、この珍奇であいまいなフレーズ『Zine』を、電子出版業界への参入を図るべく都合よく利用したいというフシが感じられたり・・・や、別にそのスタンスを批判するわけじゃなく、必ずそれはどこかで起こりうる展開だと思っているが。

で、そんななかで野中さんが「『アート』と『アート・ワールド』は違う」と発言して、これがこの日の(少なくとも私にとっては)ハイライトだった。美術館主催のシンポジウムでこの発言はとてもグッとくる。私の理解では、「アート」は「日常生活における技芸全般」であって、アートワールドは、美術館だったり画廊とかで取引可能なものとしてやりとりされる「成果物」みたいなものがめぐっている市場のことだ。
そのなかで「Zine」を対応させて考えてみると、Zineがカバーするものは、そのどちらの領域にも達していて、それがなおいっそう、Zineを語ることの難しさにもなっているんじゃないかと。なので「今後デジタル化が進むうえで、Zineの未来はどうなるんでしょうか」と、この展示を企画した司会者が最後にもっていったけど、それは技芸を捉える営みとしてのZineのことか、アート市場で取引されうるZineのことか、が実は二本立てになっている問いかけじゃないかと自分は感じている。

そうして、電子メディアの時代において、実はあまりにも拡散しすぎる状況に嫌気がさした人が紙の冊子などを作って、ある程度限定された領域でコミュニケーションメディアを作っているという、「広がっちゃう時代に広がらないメディアをつくる(福田さんの言)」というのがZineの特徴かもしれないという、このことがわりとこのシンポジウムをうまくまとめた感じであった。

あとこれは実際に発言しようかどうか迷っていたのだが、ソニーは今後「Zine」というフレーズを使って物作りをするのであれば、「作り手の発掘や育成や支援や挑発」という側面も重視するつもりがあるのかどうか、ということだ。そこが抜けると「単なる旧来からの出版業態の電子版」でしかない、ということを認識してほしい。少なくとも私にとってZineというのは、パンク・ロックの伝統をひきつぐものとして、「演奏者と観客が同一線上に並ぶ面白さ」を含有しているものと捉えたいからだ(そして、そういうことを実際にやると、質の問題やコストの問題で、Zineっていう概念の面倒くささや割のあわなさに直面することになるであろう。そのときにあらためてソニーの根性が試される、と・・・)。

ほかにもいろいろ興味深いやりとりがあったはずだが、いずれ内容がまたネットで公開されるらしいので、またそれを受けて再確認できればと思う。シンポジウムのあと久しぶりに野中さんとお話ができてよかった。

あとこれはまったくの蛇足だが、思いついたこととして。
せっかく今回のようなZineのシンポジウムで企画者であり司会者である側が「Zineって何なんでしょう?」と参加者に問いかけるのであれば、いっそ司会者自らが、「Zineって何だろう?」というテーマのZine冊子を作って、それをパネリストや来場者全員にレジュメ的に配布したほうが、よりZine的なイベントとして面白くなったかもしれない、と。つまり司会者からの問題提起やパネリストの自己紹介部分も冊子に全部書いておいて、みんなで冊子を読みながらあーだこーだ考えたり発言したりするのである。話し合うべき論点や基本的な情報がすべて文字化されているほうが、より時間の節約にもなるだろうし、話の流れもつかみやすくなっていいのではないかと(ディレクションが定まっていてもいなくても、どのみち会話は脱線していくわけだし)。これはもし今後何かで同様のケースが起こりそうなときは自分で試してみたいやり方だと思うので、ここでメモ的に記しておく。


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2011.09.22

なんてことだR.E.M.が解散するなんて

今日の衝撃的なニュースは“世界で最も重要なバンド”と言われ続けたR.E.M.の解散が発表されたことだ。
アメリカのロック史のひとつの時代が終わっていく。

ていうか、ローリング・ストーンズもU2もR.E.M.も解散することはないバンドだと思われていたはずだ。
それを思うとこのニュースが及ぼす衝撃というのは大きい。

いま思い出すのは、日本語版の『ビッグ・イシュー』の創刊号の表紙を飾ったのはこのバンドだったことだ。じつは日本ではローリング・ストーンズほどの知名度はないバンドだが、『ビッグ・イシュー』という雑誌のもつ社会的な意味合いを考えると、R.E.M.のような「良心のロック」みたいな存在がマッチしていたのは言うまでもない。

中学生の私にとってはこの『シャイニー・ハッピー・ピープル』がはじまりだった。「ハッピー」というカタカナ語に触れるたびに自分にとって頭で流れてくる曲かもしれない。

いまYouTubeを眺めていて、なんだか貼り付けたい動画がたくさんあるが、
ここはバンドの終わり、ということもあるので『Its the End of the World』でとどめる。

ブリティッシュ・ロック至上主義な自分としても、「でもアメリカにはR.E.M.がいるからなぁ」という気分でいたわけだが、もうそういうことを考えることができないというのは寂しすぎる。自分に残されたのはなんだ、ソニック・ユースとディアフーフぐらいか。

以前このブログでR.E.M.について書いた印象的な記事としては「アイ・リメンバー・カリフォルニア、もしくは追憶の波」という5年前の記事がある。よければこの記事も見ていただければと思う。

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2011.09.21

art-ZINE:冊子型アート・コミュニケーション@金沢21世紀美術館

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最終日に開催されるシンポジウム「ZINEの未来形 FANZINE・ZINE・art-ZINE」 にあわせて行ってみたい。

以前から、「金沢21世紀美術館はすばらしい」と聞いていて、ずっと行きたかったのである。
まさかZineが関わる内容で行くことになるとは。

それにしてもZineのことがこういう美術館の展示テーマになるような状況について、あらためてその意味をかみしめておきたい気がするが、そういうことをぼんやり考える余裕すら与えられないほどにいろいろなことが起こっている感じがする。

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サッカーU-22日本代表もアジア最終予選がスタート。
舞台が鳥栖のスタジアムだったのが良かった。代表戦は、もっといろんな地方で開催すべきだと思うので。台風を避けることができたという意味でもタイミングはよかった。
今日はブレイク中の清武に隠れつつも、じつは今セレッソ大阪でそれ以上に注目すべき逸材だと思う扇原がボランチでスタメン出場していたので「おおっ」となる。
レイソルの酒井宏樹もそうだけど、身長でかくて技術も高い選手っていうのがどんどん出てくるわけで、二人ともいつか海外挑戦もするんだろうなぁと思わせる風格もたっぷり。

イングランドに目を転じれば、我らがチェルスキーはユナイテッドにコテンパンにされて、今シーズンはこんな調子でガマンを続ける日々が続くんだろうと思うんでスキー。でもチェルスキーを応援しはじめた10年前もそんな感じだったので、ようやく「元に戻ってきた」感じもあるスキー。そう、つまり4位以内目標っていうノリでスキー。

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2011.09.20

footie fashion:今シーズンの海外サッカーユニフォームデザインあれこれ

欧州ではサッカーシーズンがはじまり、各チームの新作ユニフォームもお披露目されている。
最近、「FOOTBALL FASHION.ORG」というブログを知り、世界中のサッカーユニフォーム関連が紹介されまくっていて重宝している(こちら)。

そんななかでピーコばりにチェックして気になったことをいくつか。

フランスのマルセイユといえば、伝統的に「白地に水色というさわやかなホーム用ユニフォームがオシャレ」ということでその道では定評のあるクラブである。

ただしアウェイ用だったりサード用ユニフォームでは、ときおり暴発ぎみになってくれる。

今シーズンのサードユニフォームはこれ。


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どーん。

・・・って、なかなかビミョー。クセの強い配色。

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女性が着ると、それなりにオシャレ度が高くなったような気がするが、それでもこのモデルさんの自信なさげな表情が物語っているように、やっぱりビミョーな雰囲気が否めない。「なんでこんなサッカーシャツ着ないといけないの?」っていうような。

ただし、「サッカーっぽく見えない」という意味では、やはりマルセイユらしいというか、あくまで街中で映えるサッカーウェアという路線を意識しているあたりは高く評価しておきたい。

さて、同じフランスでこちらもオシャレなチームウェアで名高いパリ・サンジェルマン。

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悪くはないのだが、パッと見ると「赤いレスリング用ユニフォーム」を着ているみたいに見えてしまう。


そしてサッカーユニフォームは、もはや「スポンサー企業のロゴマーク込みでデザインの善し悪しが決まってしまう」という宿命があるわけで。
そんななか、いい感じでロゴがうまくハマっていたのが、イタリアのカリアリ。

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うまいですよね、この感じ。でも胸の「SARDEGNA」が企業名ではなく単にカリアリの地元地方名を示しただけの文言であったら申し訳ない。

で、逆に、スポンサーが何もついていない、という哀しさを示しているものの、
イングランドで今シーズン2部におちたバーミンガム・シティが、かっこいいアウェイユニフォームをリリースしています。

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なかなかありそうでない配色。シンプルでよい。これは普通に欲しい。

あと「おおっ」と思ったのは、COPAというメーカーが手がけた「チベット代表ユニフォーム」。
もちろん国として認められていないので、FIFAには未加盟なのですが、ちゃんとサッカー代表チームはあるんです。
これがなかなかすごい。

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「旭日旗みたい」と思う人もいるだろうけど、ともあれある意味これはデザイン的にもすごいトンガったところを突いている気がする。背中の文字のフォントとかも、なんともいえない。

さて、最後に紹介したいのは、このブログで近年やたらプッシュしているドイツはハンブルグのパンクなサッカークラブ、おなじみザンクト・パウリ

ええと、だいたい「新シーズンのユニフォームお披露目」みたいなイベントでは、クラブ所属の選手たちがモデル役となってユニフォームを着てカメラの前に立つのが普通なのですが、このチームはどうしてもパンク精神にのっとって、そういう「前提」を崩してしまいたくなるみたいで





























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「 誰 や ね ん !  こ の オ ッ サ ン た ち !」

といいたくなるわけです。
「今年、勝つ気あんのかっ!?」とか思われかねないノリ。
いやはや、さすが。
たぶんサポーターか何かの人たちです。

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でも3種類ともユニフォームはそれなりにオシャレ度が高いと思える。そのあたりも含めてザンクト・パウリは期待を裏切らない。
なので、トータルのところで「わかっている」んですね。そういう人々がマネージメントする組織っていうのは、逆境に強いはず。

ちなみにハナシは変わって、最近知ったのだがこのザンクト・パウリ、「スタジアムに世界初の保育所を併設した」と話題になっていた(こちら)。「究極の刷り込み教育」と評されている。

保育所の名前が「海賊のすみか」っていうセンスも秀逸。

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でも保育所においても、このチームの黒いボールにはドクロマークなんだよな。そこは容赦しないよな。さすがである。

なんていうか、本気なんだかジョークなんだか分からないところを真剣にやり遂げるその根性ってホレボレする。
ザンクト・パウリ、今シーズンは残念ながら2部リーグに降格しているけど、どこまでもその独自性を保っていてほしいものである。


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2011.09.18

Zine製本作業

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ついにZineの製本作業を行う。
N先生のご厚意により、作業場所を提供していただいたりおいしいご飯をいただいたりする。
製本作業はN先生ゆかりの方々に声をかけさせてもらい、お手伝いをいただいた。感謝、ひたすら感謝。

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N先生が作ってくださったお昼ご飯。あまりにおいしくて私がやたらバクバク食べてしまう。

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こうして次々と製本されていく。製本って大変なんだなということを改めて痛感。あたりまえなぐらい分かりきっていたはずなんだが、やってみないと分からないことばかり。
本当に手伝ってもらえて助かりました・・・ありがとうございます。

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2011.09.16

タイムボカンとか「あたらしい自分になろう」とか鼻歌で曲を検索するサイトとか

堀北真希のでているdocomoのエクスペリアの広告のキャッチコピーが「あたらしい自分になろう」だった。

ちょっと驚いてしまった。

や、たとえば自分も昨日のブログで「新しいステージに進んだ気分」なんて書いているのだが、アップしたあとに「果たしてその表現でいいのやら」とかちょっとひっかかっていたんだが。

そんなことをよそに、今日電車でみたdocomoのキャッチコピーは「あたらしい自分になろう」だ。
こういうのも、いわゆるコピーライターがひたすら考えた末にみんなで決めたフレーズなんだろうけど、でもなんなんでしょう、この「たくさん言い古された感」のあるコトバは。いま21世紀なんだよな、ということを考えると、僕らは何かを使い古し続けてきたのかもしれない。

だがこうして振り返って考えると、もう「これ以上究極のフレーズはない」っていうことを宣言されたような気がする。そうか、そこが驚きだったのかもしれない。「ついに、そう言うしかなくなった」のか。
「すばらしい家族になろう」とか「楽しい生活を送ろう」とか「美しい地球を守ろう」とか、ひょっとしたらdocomoはそういうフレーズを、ストレートに、何も手を加えずに、今後も繰り出してくるかもしれない。ムダに身構えてしまうなぁ。

━―━―━

今日、大学の仕事でいろんな人が「単位互換」というコトバを口にする状況になって、途中から完全に私の耳には「単位互換」が「タイム・ボカン」にしか聞こえなくなってきて困った。

Tb
オシャレだ。

━―━―━

鼻歌で楽曲が検索できるサイト「midomi」を試してみた(こちら)。

で、中学生ぐらいのときから気になっていた洋楽で「なんとかなんとかファイアっ」と歌う曲があったのでマイクをつないで鼻歌で歌ったら、一発で検索されてものすごく驚く!
ビリー・ジョエルの歌だったのか、『We Didn't Start the Fire』!!


そうそう、これこれ。すごく中毒性ある歌だ。

でも、本当に探したかった、小学生のころからずっと気になり続けている女性ボーカルの洋楽は、どんなに歌ってもヒットせず。
このサイトに登録されていない曲なのかもしれない。

どういう仕組みで鼻歌から検索ができるのかはよくわからないが、ともあれデータがでてきたら、今度はその曲名をYouTubeで検索したらすぐ出てくるなんて、便利な世の中である。

ずっと気になっているけど曲名がわからない曲をひたすら脳内で抱えて生きている方、恥ずかしさを乗り越えてトライしてみる価値はありそうだ。

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2011.09.15

「きょうと小冊子セッション」へ参加させてもらうことになりました

Inzaghihai

初のZine冊子『DIY TRIP: SEATTLE & PORTLAND』が、「きょうと小冊子セッション」の一般公募冊子に選ばれました-!!

ありがとうございます。ありがとうございます。

「このZineは、売っていいんだ」という自信を与えていただきました。
自分にとって、新しいステージに進んだ気分です。大げさかもしれませんが自分にとってはやはりオオゴトです。

決定を伝える「きょうと小冊子セッション」のブログは(こちら)。
ほんのりと、まだブログにはアップしていないZineの表紙がうかがえます。
この写真におけるZineの並びを「サッカーの試合前の集合写真」だとすると、私のZineはまさに「三浦カズがいつも立つポジション」みたいでいいなぁ、とか思ってみたり。

そんなこんなで、このようなチャンスをいただいたのでなおさら、10月18日からの「きょうと小冊子セッション」での店頭販売の状況を含め、今後どのようなかたちで販売をさせてもらうかをしっかり検討していかないといけません。

なので販売や製本のこととか、なんだかもういろんな範囲で、いろーーーんな方々からのご支援やご協力をいただくことになるかと思います。
なにとぞよろしくおねがいします!

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2011.09.13

「努力すること」について

最近ずっと頭から離れないテーマがこれである。「努力する、しない」とはいったいどういうことなのか、と。
でも平日夜にこんなこと書いているぐらいだから、以下はあまりきっちりとした論考ではないことを先に断っておく。推敲に推敲を重ねる「努力」は、今日はやらないので。

で。

あまりにも染みついているがゆえに、我々は何かと「努力する」っていうことが求められているわけだ。
ただし、よく政財界とかで「努力目標」とかいう言葉を聞くことがある。あれはズルい。「目標」と言い切ったらいいのに、「努力目標」という言葉は、ニュアンス的に「達成できるかどうかはわからないんだけどぉー」的なニオイを感じる。
つまり「努力しているんだ」と言ってしまえば、その結果はどうであれ、それ以上追及されないというのが、なんだか「努力」という言葉の秘めたる怪しい部分ではないかと思えてくる。
あれほどまでにカンペキにキラキラ光って感じられる「努力」っていうのも、なんだかずる賢い一味とともにニヤッと付帯しているかのように。

で、この「努力」っていうヤツをですね、そこからさらに考えて、世の中のすべての人を、まず「努力する人/努力しない人」と分けてみるわけだ。
はい、そこのアナタ、そうアナタです。いまロープをへだてて「努力しない人」のほうのカテゴリーに自分から歩いたと思います。でも、ちょっとガマンして、この先を読んでくださいね。

「努力する人/努力しない人」と分けましたが、では一方の「努力する人」をさらに二分してみる。
つまり「さらに努力する人/そこまで努力はしない人」だ。
これでさらに集団はふたつに大きく分かれていく。そうしてまた再び、「さらに努力する人」だけのグループを二分して・・・を繰り返す。

さぁ、そしてもう一方の、さっきの「努力しない人」のグループも、そこからさらに二分していきましょう。「絶対努力なんてしないぞ、っていう人/何か条件がついたら、ちょっとは努力しちゃうかな、ぐらいの人」みたいに。

そうやって突き詰めていくと、「何があろうと努力しつづける根性の人」と、「もう誰がなんと言おうと努力なんて1ミリもしないぜ」という人とかが、人類で1人ずつ残っていきます。勝ち抜きトーナメントです。人類60億人のうちの2人の極端な人です。
ということは、多くの人は、そこまで至らないと思えば、いったい我々は「努力する」っていうことにどれだけのものを感じ取っていけばいいのでしょう?
たぶん、「努力する/しない」ということを考えるのにもっとも妥当な態度は、「努力することを否定も肯定もしない」っていうことかもしれない。

努力するときもあるかもしれないし、ないかもしれないし。時と場合によるし、ケースバイケース。
このいいかげんさを、「努力至上主義」の社会では受け入れてくれなさそうなんですね。

なぜか世の中では「努力する人/しない人」しかカテゴリー分けされていないので、このトーナメントの準々決勝とか第429回戦ぐらいで負けた人(何をもって負けているのかはさておき)のことは見えにくい。
何が言いたいかというと、「自分は努力しない(できない)」って思う必要性ってどれほどあるのかねぇ? ということだ。
なので、「努力する」っていうことを、そこまで深く考える必要はなくて、「やるときゃあ、やる」ぐらいでテキトーに捉えておいたほうが、普通に暮らしていくぶんには無難かもしれないんじゃないかと。

そしてもうひとつ言えることは、実は「努力する」っていうことは、努力している本人にとっては果たして「努力」なのかどうか、っていうのもものすごーく曖昧であるということだ。
なので、つい「努力しない我々」から観ると、「努力している人」は、本当にすごいと思ったり、畏敬の念を抱いたりするわけだが、それもあまり深く捉えすぎないほうがいいかもしれない。本当に努力が続く場合、もはやそれは努力というカテゴリーからちょっと変形するというか、感覚的なとらえ方が変わっているんじゃないか、と思えてくる。
自転車をこぐときの例えが好きなんですが、あれと同じで、最初にかかる負荷がもっともキツいので、そこさえ乗り越えたら、あとはわりと足の運びが軽くなって、それで自転車が進んでいったりする。そういう最初の初動のところだけは「努力」がいるのかもしれないが、サイクルに乗ってしまえば、だんだんとその労力も変質していくように。

誤解のないように言えば、私は決して努力することをやめようとは言いたくないわけです。
ただ、「努力する/しない」という2つだけでおおざっぱに区切ってそれ以上を考えないとすると、そりゃあ大変になるよなぁ、ということです。誰だって試合前から敗者の気分になる。それは、もったいない。

もう、あまりにも「がんばります」のヒトコトで済ませすぎている気がするので、昨今の我々は。
さらにいえば「がんばろう日本」って、そりゃあそうだろうし、でもがんばらなくてもいいときだってあるし、もはや「がんばろう」って思考停止なぐらい、言い尽くされる。前に進むだけじゃサッカーじゃないし、守備もしにゃいけん。それよりも今は、がんばることなんてこれっぽっちも考えられないぐらいシビアな人々をも巻き込んで、どうやってサッカーを楽しくプレイするか、みたいなところが問われていたりもする。そこには「知恵」が必要かもしれないし、その知恵をどのように絞り出すかの「努力」もまた必要になってくるのか・・・と、ハナシはややこしくなっていく。

そんなようなことを、ダラダラと考えています、最近。

━―━―━

あ、サッカーネタで、ちょっと微笑ましい記事。とくに写真が秀逸。
「ロンドン暴動で略奪にあったピーター・クラウチ大好きおじいちゃんの理髪店が救われる」(こちら

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Crouchbarbar

いい笑顔。クラウチはこの夏トッテナムからストークに移籍してしまったが、でもストークは「背の高いヤツばかりを集めているチーム」というマンガのような設定を目指しているから、実は行くべくして行った感がある。

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2011.09.11

今もなお続いているものとして

なでしこの中国戦を観たあと、この世では9.11テロから丸10年を迎えていて、いままさにこれを書いている時間帯がそうであった。なので何か書きながらこの時間を過ごしていようと思う。
ヒストリーチャンネルではこの日は9.11特集をずっと流していて、いまは『9.11アメリカを変えた102分』のドキュメンタリー番組をやっていて、この番組については2年前もこのブログで書いていたことを知る
そのとき書いたことは

この番組をみて初めて思い立ったのは、この出来事は一般市民の手によってたくさん映像として記録されたという意味で、人類史上初めてのテロ体験であったということだ。記録されたテロ被災は、その背後に、記録されなかったテロの姿をかかえている。そういう想像力は、当時ニュースでこの状況を必死に見続けていた自分にはまったくなかった。そしてこの番組でも、ちょっと離れたタイムズスクエアなどの巨大モニターでツインタワーの状況を見守る人々が、カメラに向かって簡単に「報復すべし」と口にする、その状況を冷徹に伝えていた。私にとってこの出来事が、それなりの意味を帯びているのは、そういった「想像力の欠如」というものを痛感させられたからであり、その結果当時の私は今までやってきたことをいったんリセットするような人生進路をとることにもなったのであった。

と書いていて、自分としては少し驚いた。まったくそのようなことを、いまさっきまで考えていたからだ。
つまりこの映像を観るのは二回目なのだが、一回目のときのことなんて覚えていなくて(そして自分の書いたブログのことも)、そしてあらためてこの映像たちを、もてあましつつ眺めている・・・もちろん、このあとに何が起こるかを知っている立場から。
そんななかで、自分は2年前に感じて記録した上記のようなことを、いまもまた考えていた。

チャンネルをBBCの生中継に切り替えると、ヨーヨー・マのチェロの演奏だったり、ほかにも追悼の言葉を述べているシーンだったり、別のシンガーが歌っているような、そういうことがグラウンド・ゼロで行われている。
ただどうしても、「今、ここ」の式典会場よりも、結局は私はヒストリーチャンネルに戻って、この生々しいドキュメンタリー映像を観てしまう。強烈すぎて、そっちにひっぱられる感じだ。

番組上では時系列的に淡々といろんな人のビデオ映像を流していて、今まさに当時の9時59分のところにきて、タワーの崩壊が起こった時間帯の映像が流れている。
そうして、なんかもう、迫り来る黒煙と、逃げ惑う無数の人々(それを一般市民がビルからビデオで撮っている、そういう映像)が、もうこの2011年の日本においては、まさに、という映像とかぶってしまうのである。内容はまったく異なるものであるが、2年前のこのブログでも書いたように、崩落後の白煙のなかを逃げ惑う人々の目線でみるとき、あまり考えもしなかった方向からの恐怖感を覚えるし、いまも横目で見ながらそれを思う。そこに2011年の私はさらなる重たさをもって受け止めてしまうことになる。

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2011.09.10

昨日のブログ記事の全面的な訂正

こんばんわ。


昨日のブログで「澤穂希に五輪開会式の旗手を」と述べましたが、

よく考えたら、

オリンピックのサッカー競技は、男女ともに

「五輪の開会式よりも前もって始まる」

という「五輪はサッカーだけフライング開催の原則」を、すっかり忘れておりました。

なので、高い確率で「サッカー代表チームは五輪開会式には出席せず」ということになるかと。

しかもすでにご存じのとおり、「ロンドン五輪」といいつつも、なぜかサッカーだけはロンドン以外の場所でもいくつか会場となっており、日本の感覚でいうと「名古屋オリンピック」のくせに、サッカーだけ会場が「広島ビッグアーチ」だったり「NDソフトスタジアム山形」ぐらいの距離感の範囲で開催されるんですな。

London2012
↑こういう感じ。場合によってはスコットランドまで行くことになる。ロンドンは一番右下の“聖地”ウェンブリー・スタジアムのみ。なのでこれを見ると、サッカー競技の関係者(そしてサポーターも)は、私の読みではバーミンガムとかマンチェスターあたりを滞在拠点にしているかと思うので、ますますロンドンっぽさは薄いため、開会式の出席は見送られそうな気がします。

まぁ、すべては私の想像のハナシなんですけどね。

そういうこと、すべてポーーーンと忘れて、脳天気に「サワが旗手だ、日の丸だ!」とか安直に書いてしまいました。ここに前言撤回します。集中力を欠いておりました。まるで先日の北朝鮮戦の失点シーンみたいです。

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2011.09.09

澤に旗手を

なでしこジャパン、なんとか無事に五輪出場権を獲得。

五輪出場が決まったら言おうと思っていたことは、「ぜひオリンピック開会式における日本選手団の旗手は澤穂希にやってほしい」ということだ。というか実際おそらくそうなるだろうと踏んでいる。

何せワールドカップの決勝の時のこの写真も有名になったわけだが、いま最も日本の国旗が名実ともに似合うアスリートはこの人なんだろうと思う。

Sawahomare

それにしても佐々木則夫監督、北朝鮮戦前に「NHKに寄せられた視聴者からのFAXメッセージ」を選手たちに読んでもらうという演出をして、そのなかに自分で書いた自作自演コメント「失敗を怖れず、自分を信じ、仲間を信じる。これが今日のなでしこの戦術だ(埼玉県50代男性)」を紛れ込ませたなんていうエピソードが明らかになったり、この人やっぱり笑える。ひょっとしたら、わざと分かるようにしたのかもしれない。いずれにせよ、笑えるノリを忘れないのが、(たとえ北朝鮮戦の采配が批判されようと)今のなでしこジャパンの強みであろう。「真剣なんだけど、どこまでも笑えるアスリート集団」って、なんだかいいではないか。

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2011.09.07

イランで「水かけ合戦」が流行、当局は取り締まりに躍起

MSNのニュース。
「イランで「水かけ合戦」が流行、当局は取り締まりに躍起」。

イスラム法に基づき血縁関係のない男女の親密な接触が禁止されているイランで、若い男女のグループがゲリラスタイルで行う「水かけ合戦」の取り締まりに、警察当局が躍起になっている。数週間前にテヘランで始まったこの水かけ合戦は、逮捕者も出る一方で、当局の警告にもかかわらず各地に広まっている。

 イランのメヘル通信が4日報じたところによると、テヘランの公園で2日、フェイスブックなどの交流サイト(SNS)を通じて計画されたとみられる水かけ合戦が行われ、警察が数人を逮捕した。

 複数のウェブサイトに掲載された写真には、水風船や水鉄砲などを使って互いに水を掛け合うびしょぬれの若い男女の姿が写っている。

 イランはSNSへのアクセスを遮断しているが、多くのイラン人は回避策を見つけてSNSサービスを利用している。

 メヘル通信によると、先月にバンダルアバスで起きた水かけ合戦では、女性6人と男性11人が逮捕された。男女らは24時間後に釈放されたという。(ロイター)

水かけである。
なんなんでしょう、このちょっと微笑ましいニュアンス。
それこそエジプトの民衆蜂起みたいに、いろいろなところへ広がっていったりするのだろうか。

そして度を過ぎたらこの制圧に当局側からは「放水車」とかが出てくるのだろうか。そこが気になる。

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2011.09.05

おそらく一生忘れないであろうCM

最初に

「???」

と思わせておいて、

最後のシーンで

「そうきたかぁぁーー!!」となる、
これぞクリエイティヴ・ワークの真骨頂。

CMに魅了されるって、くやしいんだけど、な。

そんなわけで昨日から何度も繰り返し観ているのが、イギリスの自動車メーカー「Vauxhall」のCM。サッカーのイングランド代表のスポンサーになったらしく、代表チーム応援的な企業CMではあるのだけど、これがもうステキな展開で。

「We're not supporting a team.
We're supporting a nation.」

どうしても「ナショナリズム」とかそういうことについては、ややもすれば神経質になってしまう側面はあるものの、でもサッカーはサッカーなので、サッカーのときぐらいこういう気分を刺激されていいじゃないか、と全肯定してしまいます。こんなCM見せられた日にゃ。
謎に満ちた映像が続き、“聖地”ウェンブリースタジアムの入り口が見えるあたりのシーンで「ふうぁわわーー!」ってなった。

あの、日本のサッカー中継における有名なNHKアナウンサーの山本浩さんの名実況のひとつ、初のW杯出場をかけたジョホールバルでの延長開始直前に出た
「この日本代表は、私たちにとっては『彼ら』ではありません。これは、私たちそのものです。」
という、あの不滅の名句を映像化するとこういうことなんじゃないか。

そして、このCMのBGMは、元オアシスのノエル・ギャラガー兄のソロ・デビューアルバムからの曲だそうで。すべてが「・イ・イ」なのである。もちろんオアシスというバンドが続いていたら、と悔やむ部分もあるが、とにかくこのチョイスは鉄板だ。フットボールとロックンロールが比類なき2トップを組んでしまえる国として、これ以上に高揚感をもたらしてくれるコラボレーションをポピュラー文化として示し得る国が他にないからこそ私はえんえんと「イングランド最高」と言い続ける所以だ。ワールドカップ優勝?スペインがなんやねん、オランダもどうなんよ、ロックバンドなんているのか!? (あ、ちょっとドイツあたりは音楽的にも敬意を持ってしまうが)。

・・・と、ちょっと言い過ぎる感もあってだんだん気恥ずかしくもなるが。

とにかく、隅々まで良くできていて、何度も繰り返し観たくなるのは、細かいディテールにも食いついてしまいそうになるからだ。そう、私はこのCMのターゲット・マーケットとして完全な「カモ」であるが、素直にこれについては負けを認めよう。
(ちなみによく見たら、この会社はウェールズ代表もスコットランド代表も北アイルランド代表もスポンサードしている。もし各エリアごとのバージョン違いのCMを作っていたら、もっと尊敬する)

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2011.09.03

ヒストリーチャンネル『世界貿易センタービルの栄光と崩壊』

9.11テロから10年ということで関連番組が多くなるが、ヒストリーチャンネル『世界貿易センタービルの栄光と崩壊』をみてはじめてツインタワーだけでなく、近くにあった第7ビルも火災炎上したのちに崩壊したことを知った。そんな映像はじめて観た気がする。あの事件で周囲の建物もかなり崩壊していたことを、なぜ今まで自分は知らなかったのか。ツインタワーのことしか見ていなかった気がする。

それとあのビルの設計段階では、それでも「飛行機の衝突に備えた設計」を当初から考えていた、とのこと。ただしもちろんそれはテロという要因ではなく、霧などで視界不良のときの状況だったり衝突スピードを想定していたわけだが。

あのときの2機の飛行機とも、ともに衝突する直前は斜めの角度から入っていったのだが、それが結果的にダメージを与えるフロアの階数を広げることになってしまっていたわけで、そこまで計算して飛び込ませたのだろうか。

設計したミノル・ヤマサキ側としては最初は80階のビルにしようとしたのだが、当局からは「どうせなら世界一のビルにしろ」と指示してきたようで、そのことが結果的に標的になってしまうことになるわけだが。
外壁を補強して、中の柱を極力少なくする「チューブ工法」も、結果的には9.11においてアダとなってしまった。外壁からあんなやり方で先に壊れるような事態は想定できなかっただろう。

ともあれこんなふうにこの数日間は10年前のことを思い出しながら、いろんなことを考えさせてくれることになるだろう。

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