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2011.09.26

シンポジウム「ZINEの未来形:FANZINE・ZINE・art-ZINE」

というわけで休みを利用して金沢21世紀美術館での「art-ZINE:冊子型アート・コミュニケーション」を観賞し、関連シンポジウムを聴く。

2時間がっつりと聴いてメモもとりまくったのだが、終わったあとになんだかいろんなモノゴトがぐるぐると頭をめぐっていくので、美術館の外をでて金沢城とかのエリアをなんとなく散歩しながら、ダラダラとシンポジウムのことを思い返したりして、そうして今日帰宅してブログにまとめる段階になっても、なんだかうまくコトバを出せる自信がない。

以下、思いついたことをタラタラと。

アートとしてのZineを日本で紹介してきたユトレヒトの江口さん、Zineの政治・社会的な背景だったり「持たざる者による表現」としてのありようについても発信しているLilmag野中さん、そしてZineというムーブメントを電子出版業界におけるヒントとして捉えようとしているソニーデジタルエンタテインメントの福田さんという、このまったく立場の異なる3者が集まって語るという場を設定したのは貴重だったと思う。
しかし企画側の意図としては、あえてZineに「art」というフレーズをつけてみて、アートの新しい可能性について考えてみたいと思ったものの、それでもやはりZineのトークイベントは、往々にして「結局ZINEっていうのは何だろうか」というハナシになっていくわけで、そこに終始するあたりがZineらしい、という結果になった気がする。つまり「art」がついてもつかなくても、今はただひたすら、「Zine」というフレーズがフシギで曖昧でナゾなコトバであるので、あまり大差ないんじゃないかと。なのでソニーみたいな企業にとっては、この珍奇であいまいなフレーズ『Zine』を、電子出版業界への参入を図るべく都合よく利用したいというフシが感じられたり・・・や、別にそのスタンスを批判するわけじゃなく、必ずそれはどこかで起こりうる展開だと思っているが。

で、そんななかで野中さんが「『アート』と『アート・ワールド』は違う」と発言して、これがこの日の(少なくとも私にとっては)ハイライトだった。美術館主催のシンポジウムでこの発言はとてもグッとくる。私の理解では、「アート」は「日常生活における技芸全般」であって、アートワールドは、美術館だったり画廊とかで取引可能なものとしてやりとりされる「成果物」みたいなものがめぐっている市場のことだ。
そのなかで「Zine」を対応させて考えてみると、Zineがカバーするものは、そのどちらの領域にも達していて、それがなおいっそう、Zineを語ることの難しさにもなっているんじゃないかと。なので「今後デジタル化が進むうえで、Zineの未来はどうなるんでしょうか」と、この展示を企画した司会者が最後にもっていったけど、それは技芸を捉える営みとしてのZineのことか、アート市場で取引されうるZineのことか、が実は二本立てになっている問いかけじゃないかと自分は感じている。

そうして、電子メディアの時代において、実はあまりにも拡散しすぎる状況に嫌気がさした人が紙の冊子などを作って、ある程度限定された領域でコミュニケーションメディアを作っているという、「広がっちゃう時代に広がらないメディアをつくる(福田さんの言)」というのがZineの特徴かもしれないという、このことがわりとこのシンポジウムをうまくまとめた感じであった。

あとこれは実際に発言しようかどうか迷っていたのだが、ソニーは今後「Zine」というフレーズを使って物作りをするのであれば、「作り手の発掘や育成や支援や挑発」という側面も重視するつもりがあるのかどうか、ということだ。そこが抜けると「単なる旧来からの出版業態の電子版」でしかない、ということを認識してほしい。少なくとも私にとってZineというのは、パンク・ロックの伝統をひきつぐものとして、「演奏者と観客が同一線上に並ぶ面白さ」を含有しているものと捉えたいからだ(そして、そういうことを実際にやると、質の問題やコストの問題で、Zineっていう概念の面倒くささや割のあわなさに直面することになるであろう。そのときにあらためてソニーの根性が試される、と・・・)。

ほかにもいろいろ興味深いやりとりがあったはずだが、いずれ内容がまたネットで公開されるらしいので、またそれを受けて再確認できればと思う。シンポジウムのあと久しぶりに野中さんとお話ができてよかった。

あとこれはまったくの蛇足だが、思いついたこととして。
せっかく今回のようなZineのシンポジウムで企画者であり司会者である側が「Zineって何なんでしょう?」と参加者に問いかけるのであれば、いっそ司会者自らが、「Zineって何だろう?」というテーマのZine冊子を作って、それをパネリストや来場者全員にレジュメ的に配布したほうが、よりZine的なイベントとして面白くなったかもしれない、と。つまり司会者からの問題提起やパネリストの自己紹介部分も冊子に全部書いておいて、みんなで冊子を読みながらあーだこーだ考えたり発言したりするのである。話し合うべき論点や基本的な情報がすべて文字化されているほうが、より時間の節約にもなるだろうし、話の流れもつかみやすくなっていいのではないかと(ディレクションが定まっていてもいなくても、どのみち会話は脱線していくわけだし)。これはもし今後何かで同様のケースが起こりそうなときは自分で試してみたいやり方だと思うので、ここでメモ的に記しておく。


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Comments

先日は、お越しいただきありがとうございました。まったくもって、zineというのは不思議な存在です。アートなのか?本なのか?
私自身やみくもに、シルクzineや電子zineをプロデュースしておりますが、手探りの状況です。ただ、シンポジウムの結果。とりあえずの勝手な定義として、1.作り手の自発的な制作。2.中綴じコピーなど手作り。3.コピー化が可能な原版の存在。この3点が必須と思いました。また、ご質問の、「作り手の発掘や育成や支援や挑発」については、「発掘」すること自体が上記のzineの定義からはずれ出版プロデュースのようなことになってしまわないか自問自答しております。ただ、コンテンツプロデューサーとしては、敷居の低い出版物として、出来るだけたくさんのzineを手がけたいと考えております。

長くなりました。今後ともいろいろなご意見賜りますよう、よろしくお願いいたします。

Posted by: 福田淳 | 2011.09.27 at 10:34

福田さま>コメントをありがとうございます。たしかに「発掘」というのはふさわしくなかったかもしれません。自主性を重んじるなかでは、「発掘する/される」というのはちょっと違うのかもしれません。なので「作り手にたいする挑発、挑発、ひたすら挑発、そして問題提起と、ほんのちょっとの暖かいまなざし」というのを期待したいと思います。

あとZineに興味のある者として、他者の作ったZineを買うときには「くやしいから買う」という要素があるんじゃないか、でもそれって従来の出版業界においてはあまり考慮されていなかったことかもしれない、ということをフト今日になって思いました。作り手と読み手が近接する領域だからこそ起こりえることなのかもしれません。
 なので、どんどん悔しがらせていただければと思います(笑)

Posted by: HOWE | 2011.09.27 at 23:14

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