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2011.11.07

大学の今後についての自分なりのメモ

オフィシャルな意味では一緒に学んだ関係ではないが、ある意味で「一緒に学んでいた」かのような不思議な関係であった、同い年のSRくんのご結婚記念2次会パーティー。
おめでとうございます!!!
そしてみなさんお疲れ様でした。

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3次会の場でたすくんや久しぶりに会う卒業生の方々と話をしていて、大学の今後について、はじめて「あ、そうか」となったことがあるので、以下自分のためのメモ。

あらかじめ断っておくと、とてもビミョーな話題になるので、いまから書くことはすべて「たとえ話」で展開するので、分かりにくい話になるかと思います。

サッカーで例えると。

サッカーのポジションでいうところの「リベロ」という名前で呼ばれるポジションがある。
でも現代フットボールの世界では、あまり最近そういうポジションが言われなくなっていて、実質的に「消滅」した呼び方となったとしよう。
で、その状況において、たとえば自分は「リベロ」というポジションに強いこだわりをもっていたとして、そしてこれからサッカープレーヤーを育てる側になったときに、どうにかしてリベロのポジションについての面白さや重要性を知って欲しいと思ったとする。
でも一般的にはすでに「リベロ」というポジションについて語ることは時代遅れのような感じがして、そしてあまり現代フットボールでは重要視されなくなってきている状況において、どうすればいいか、という問題がある。

そのときに、「リベロ」の消失を嘆いたり文句を言ったりする気分にもなるのだが、とりあえずそれはそれとして、今後取り得るべき方策として可能性を見出すとすれば、サッカーをはじめた子どもにたいして「君が今やろうとしているプレーは、それは『リベロ』のポジションみたいなものだよ」という方向付けを個別に、積極的に与えていく、というやり方があるのでは、と。
そのように言われたサッカー初心者の子どものなかで「リベロって、何?」となったら、しめたものである。
そうなると今度は「サッカーの歴史において、リベロというポジションでどのような選手がどういうプレーをしたか」を学んでもらうきっかけが生じる。

それが積み重なれば、たとえ現代フットボールで「リベロ」というポジション名称が消滅したとしても、「リベロの本質」みたいなものが脈々と学ばれていき、ひいては「自分はリベロをやっている」と思ってもらえるチャンスも広がっていく。そこから個々の選手がプレーヤーとして自ら成長していく。(いろんなポジションを体験しながら)

つまり、「リベロ」という呼び方がなくなったからといって、リベロのポジションそのものがなくなった、という極端な結論には絶対にもっていかないようにする、と。呼び方がなくなるのは確かにやっかいで面倒なことなのだが、逆にいえば「名称が存在しない時空間」だからこそ、「ある一定の呼び方で表されるポジション」がポツッと示されたときに、ひるがえってそれを受け取った学び手にとっては「ある種の対象(=ひょっとしたら興味を喚起させるかもしれない対象)」として浮かび上がるのかもしれない、という可能性があるのではないか、と。(分かってもらえるだろうか・・・?)

・・・と、そういう例え話。
わかりにくいかもしれないが、少なくとも今日の今日まで、そういう発想を自分がしてこなかったので、今日はみんなとそういう話ができてよかったと思う。少なくとも自分はちょっと、単なる悲観論に陥らないように、そのあたりの方策を探る方向で、今後の動向を見守っていきたいと思うようになった。

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