「さよなら」という言葉をあまり使わなくなった気がする
ずいぶん前のこと、仕事場で、ある学生さんが帰宅するときに、ある先生が「さよならー」と学生さんに向かって言って、そのときのことがなぜだか妙に印象的で、たまにそのことを思い出す。
きっと自分は「さよなら」という言葉をあまり普段では使わないからだろう。
日本語としては正しい使い方であり、なんらおかしいものでもない。でも自分としては「さよなら」という言葉を発することにどこか抵抗があるのかもしれない。
人と別れるときには「じゃ!」とか「ではでは!」とか「どーも!」とか、そしてフォーマルな場では「失礼します!」といったふうにここ数十年間やり過ごしてきたような気がする。
「さよなら」は、もっと正式にいうと「さようなら」であるが、どちらにせよ、私はこの言葉をたぶんこれからもあまり使わない気がする。
たとえ、また明日おなじ場所で一緒に過ごすであろう人に向かっても、帰宅するときに「さようなら」とは言わないんだろうな、と。
少なくとも私にとっては「さようなら」は人生で最後に言うようなニュアンスを、どうしても、感じてしまう。
「さようなら」は、なんだかもう二度と会わないことを決め込んでしまうような、そういうキビしさがあるような気がしてしまう。
明日はうちの大学の卒業式なのだが、今年もこの「さようならの日」を迎えることとなった。でも毎年私は、卒業していく学生さんに「さようなら」とは声をかけていないはずである。「きっと、また、どこかで会うだろうし」というニュアンスをこめて、「じゃ!」とか「また!」というボキャブラリーを選ぶであろう。
それはおそらく、自分自身がいちばん「さようなら」をしたくない気性ゆえだからかもしれない。そしてまた、いつだってこの人生は、この世界は、この宇宙のなかでは、偶然だと片付けられようとも、いつかどこかで、また何らかの作用が働いて、ふたたび出会うことがありえるわけで、その微妙な「さじ加減」がもたらす可能性についていつかまた笑顔で味わえたらいいな、という「祈り」を込めているように思う。
■■■■
Comments
これ読んで気付いたが私は平日「さようなら」の嵐だわw
幼稚園の送り迎えでねー帰り、すごく親しいママさんを除けばたいてい「さようならー」が挨拶なのだよ。
親しい人は「ばいばーい」とか「またねー」とか「じゃ!」になるけど。
あと、当然幼稚園の先生はひとりひとり園児と別れる挨拶するとき「さようなら」になる。それが日本語の正しいお別れの挨拶になるから、だろうねえ。
立場や年齢によっていろいろ使いやすい言葉や使うべき言葉ってのは違って来るのがおもしろい。
Posted by: Yuri Meine | 2012.03.18 23:10
Meine>さようなら、を使う相手とそうじゃない相手が異なるのは、なるほどなぁと。子どものときは、たしかに「先生さようなら、みなさんさようなら」で締めくくっていましたね、毎日。
Posted by: HOWE | 2012.03.20 22:33