ツイッターとかフェイスブックってこんな有効なツールだったんだ、とあらためて学ばされたという点において、日本政府に感謝したい気分。
「紫陽花革命」、原発再稼働反対の抗議運動が毎週金曜日にこうして首相官邸前やら大阪の関電本社前で週を追うごとにどんどんと人が集まりだし、20万人ともいわれる規模にたいして、日本の大手メディアはことごとくスルーし、何も報じられないという異常状況。少なくとも私の生きてきた限りの戦後史において、この状況、つまり「市井の人がこんなにも多く集まって抗議の声を上げること」も異常事態だし、「それをまったくメディアが報じようとしない」ということも超異常事態だと感じる。
こういう状況でツイッターやフェイスブックで情報が共有され、メディアが報じないがゆえになおいっそう情報がネット上で熱心に取り交わされ、あらためてこの状況下において、ツイッターとかフェイスブックってこういう使い方ができるのか、と勉強になっている。正直自分はこういうソーシャルメディアに疎いので、常に距離をとり続けてきただけに、少々の反省の気持ちとともにある。
皮肉なことに、今回の一連の流れで政府やら何やらに感謝できる点があるとすれば、
これらの経験を通して僕らは、マスメディアの言うこともまるごと信用もしないし、かといってネット上で展開されるこれらの情報とも、適切な距離感を計り続けないといけないという態度も共有しつつあって、このバランス感を保つうえで、メディアリテラシーのレベルアップが急激に行われているように思えることだ。僕ら日本人にとって「政治とメディア」にたいする関係性が、この2011年からを境に、確実に変わっていったものがある。そのことは今後もあらゆる領域で大きな意味を帯びてくると思う。
そして、抗議行動の集まりに「興味本位できてみた」っていう人とかも、それもぜんぜんオッケーだと思うわけである。主義主張を携えてから向かうのではなく、「とりあえず行ってみる、見てみる、経験してみる」という能動的な行為、それも私にとってはひとつのリテラシー向上のありかたとして推奨されると思う。不完全でいい、何も考えなくても、ぜんぜんいい。自分の足で現場に行くこと、そこで少なくとも昨日よりかは何か別のことを考えるはずだから(私だって、いまだにこの問題にたいしてどういう態度を取るべきか、まったく優柔不断なままだったりする)。
とはいえ、とくに上の世代の人々でツイッターなどをやっている人々は少ないことを思えば、まだまだ現実的に起こっていることと彼らが感じている状況との距離感に歯がゆさを感じたりもする(先日、父親と電話で話をしたときにこの原発抗議運動の状況の説明を試みたのだが、やはりこちらの言うことがうまく伝わらなかったのでイライラした)。いま自分ができることのひとつはこのあたりの伝言ゲームに荷担していくことだ。
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Comments
さすがタテーシ!
すばらしいリテラシーだ!!
Posted by: MSK | 2012.07.07 14:15
この手の抗議活動(沖縄の米軍基地問題など)の報道に関しては、「新聞」では扱いは小さくても取り上げていますが、「テレビ」では取り上げられていないのが実情です。「大手メディア」と表現して一括りにしていますが、テレビやラジオ(聴いていないのでわかりませんが)のような視聴媒体と、新聞、雑誌にような活字媒体では、報道姿勢が大きく異なります。(大学の講義でそのようなことを教えられて、私は少なくとも約15年前からそう感じています。)
参加人数といった規模が大きくなれば取り上げて、小さければ取り上げられないというのが現状で、小さくても取り上げる場合は、それこそ「大手メディア」の一つがキャンペーンとして扱う時で、電力がなければテレビも見られなくなるので、そんなキャンペーンをしたら、自分で自分の首を絞める行為につながるので、報道しないというのが現状なのではないでしょうか。
Posted by: M.フィオリオ | 2012.07.07 19:34
MSK>リテラシーといえばMSK!
フィオリオ>「電力がなければテレビが見られなくなる」ってこと、考えたことなかった(笑)
Posted by: HOWE | 2012.07.09 23:19
SMSでもいろんな議論や意見があって、
それらの取捨選択が必要だよね。
だからここでも「適切な距離感を計り続けなければならない」ことに一票。
Posted by: ヒロポン | 2012.07.10 22:46
ヒロポン>そのうち情報ソムリエが求められる時代になりますね・・・
Posted by: HOWE | 2012.07.12 22:55