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September 2012

2012.09.30

ベルリンマラソンはインラインスケートの部門があるのだった。

テレビをつけたらたまたまベルリンマラソンの生中継をスカパーでやっている(スカパーは10月8日まですべてのチャンネルで無料放送している)。
思えば年始はベルリン旅行をしていたので、戦勝記念塔をバックに多くのランナーが走ってくる映像にしばし見入ってグッとくる。
トップランナーのレースとともに、市民参加型マラソンなので、話によると4万人ぐらい参加しているとのこと。このなかにもサッカーウェアのランナーさんがいたりするのかな、と想像してみたり。これを書いている途中も、たまに放送のなかで後続の一般市民ランナーの「仮装っぷり」を映していたりしていて、和む。

で、今回はじめて知ったのだが、ベルリンマラソンって「インラインスケートの部」があるのだった。

そう、スケートである。大勢のスケーターがシャーシャーと走っていく部門。コーナーで曲がりきれずに多重クラッシュしているシーンなんかも、放送のなかでダイジェスト的に流されていた。

つまりだ、これは何を意味するかというと、「スケートでマラソンコースが走れるほどに、一般の車道はどこまでもフラットである」といえるわけだ。さすがである。うらやましい。

思えばロンドンでも公園でインラインスケートをしている人をよく見かけたので、愛好者の数はやはり「フラットな道」をたくさん持っていそうな欧米諸国にかなり多いのだろうか、と思ったり。少なくともここ数年、日本国内でスケボーの人は見かけてもインラインスケートの人って見かけない(出来る場所がかなり限られそう)。

そしてひょっとしたら世界中のインラインスケート愛好者がこのベルリンマラソンに参加するべく集まってきている可能性もある。普段は公園とかで走っている彼らにとっては、ベルリンの街中を対向車もなく思う存分走りまくれるというのは非常に魅力的かもしれない。

なにより魅力的にみえるのは、「これだったら自分もやってみたい」と思わせるところだな・・・5キロとかすべったらもうバテバテで限界だったりするかもしれんが。

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2012.09.29

ミシマ社のイベント「寺子屋ミシマ社・表紙その他編」にいってみた

かねてから噂にきいていた不思議な出版社、ミシマ社。東京の自由が丘と、なぜか京都府城陽市にオフィスと実店舗(でも普通の一軒家なんだが)をかまえる異色の存在。つい先日、卒業生のKくんがたまたま用事でいくというので、それにあわせて初めてミシマ社にお邪魔させてもらい、運良く三島さんともお話をさせていただいた。その折にもらったチラシのイベントが面白そうだったので、時間をあわせて行ってみた。

そのイベントはずばり、「編集会議を公開で行う」というもの。
今回は元『Meets』の編集長でもあった「140B」の編集者、江弘毅さんの近刊著について、本のタイトルや表紙の雰囲気や本文の小見出しの一部分などについての「会議」をお客さんとともにあーだこーだ言い合うというもの。三島さんの趣旨説明でもあったとおり、たしかに出来上がる前の本づくりについて、こういった「あーだーこーだ」というのが実はものすごく面白くて美味しい部分であるわけで、映画だと「メイキング」というのがすでにジャンルとして存在しているが、書籍づくりにもこうした「メイキング」を共有できる仕掛けがどんどんあっていいと思う。

本の内容は、さすがミーツの編集長だけあって、大阪(を中心とした関西圏の)美味しいお店についてだったり、オトナの飲み食い遊びにまつわる作法だったりプロセスだったりを語りまくるエッセイ集だ。たぶん普通に書店にあっても自分は手に取らないタイプの本かもしれないのだが、こうして著者を目の当たりにして話を聞いていると、少しずつ書籍と著者と出版社にたいする親しみが増してきたりするのも面白い感覚だ。

そして印象的だったのは、江さんの豪快な語りっぷりによって、話の内容が多種多様にガンガン広がっていったり、そうかと思えば本作りの細かい部分についての繊細かつ注意深い着眼点だったりも伺えたりで、この「絶妙な緩急」に、情報誌を長く作り続けてきた人のもつ幅広いプレースタイルみたいなものを感じさせた。
で、江さんのように「余裕をもって、好奇心のアンテナをひろげておく」ことができると、そこから「他者からみて、これはどうなのか」という推察の感度があがっていくのであり、そうして常に読み手のニーズを外さないように売れる雑誌を作り続けることができたのだろうと思った。


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2012.09.27

今日わき起こったマイブームな言葉「デシンセイ」

デシンセイ、元ヤクルトスワローズな。

80年代のプロ野球の助っ人外国人、どの名前みてもグッとくるの多いが、そのなかでも最高峰クラス。何度でも発音したくなるな、デシンセイ。

━―━―━

先日のNHKの朝のニュースで、オスプレイ配備について報じていて、
リポーターが「市民団体と反対派のメンバーが・・・」
と言ったわけだ。ちょっと気になった。

「団体」とか「反対派」とか「メンバー」という言葉の使い方によって、なんとなく「あなたとは違った人々」という、「何気ない線引き」が行われているかのように思えた。

「団体」とか「派」とか「メンバー」っていう、このニュアンス。それってなんとなく「過激派」とか「赤軍メンバー」とかのイメージに直結していそうで。
本来はオスプレイ配備に反対を唱えて行動しているこの人たちも、あなたやわたしと同じように、(組織化もされていない)普通の市井の人々である、という可能性だって高いと思うのだが、なんなんだろうこの「ちょっと違っている感」は。反対をしている人がごく少数(派)であるかのような。


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2012.09.23

『岐阜マン』の作者さんに、会う!!

京都音博に来られていたフリーペーパー『岐阜マン』作者のツカハラさんとお連れ合いさんに、お会いした!!
僕がバンドのスーパーカーが好きなのを知っておられて、お二人ともこの日は『iLL』のTシャツ着てくれていてカッコ良かった!!

テンション高くなってうれしくて思わず岐阜マンみたいに『プヒャ~!』って言いまくってしまった!!

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最新号もいただく!! 23号!! 『岐阜マンと日本一暑い街!!の巻!!』

いろいろ聞いてみたいこと、たくさん聞かせてもらった!!
よく分からないコマも、意味を込めて描かれていることが分かったりして興奮!!

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そしてなんといってもツカハラさん、FC岐阜が大好き!! 
19号ではついに岐阜マンとシェフチェンコ、FC岐阜のスタジアムに行った!!

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このコマがすごい好き!! 手前のサポーターのユニフォームも忠実に描きこんでいる!! 「いつか長良川競技場がこれぐらい満員になってほしい」という祈りを込めとる!! 

そして最も驚いたのは、ツカハラさんがFC岐阜の応援にいくときに持って行くゲーフラ(ゲート・フラッグの略)、内容はズバリ「岐阜マン」を描いとるとのこと!! プヒャ~!!
それは、ぜひ実際に観たい!! FC岐阜のホームゲームはゲーフラに注目!!

今回の記事は『岐阜マン』の最初の『登場人物紹介!!』ページ風に文章書いてみた!!
ツカハラさんとお連れ合いさんに感謝!! 

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↑エルゴラの選手名鑑のFC岐阜のページに岐阜マンとシェフチェンコ描いてもらう!!


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2012.09.18

「マンガ皿」がすごい

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Manga_1


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すげーー!「マンガ皿」。
MIKA TSUTAIさん作。
ほかにも見てみたい方は(こちら)へ。

日常生活の時空間に直結して、そして実用性だって兼ね備えている「アート」は、ものすごくハイパーでスペシャルに称賛したくなる。


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2012.09.15

神戸アートウォークのポスターデザイン盗作騒動に思う

「神戸アートウォーク」公式ポスター デザイン盗作発覚で回収へ

 神戸市内の美術館やコンサートなど芸術・文化イベントを巡るスタンプラリー「神戸アートウォーク2012」(1日~12月10日)の公式ポスターとリーフレットのデザインが米国の食品会社のポスターの盗作だったことが判明し、主催する神戸市民文化振興財団は回収を始めたことを明らかにした。このデザインは市内の学生から公募した作品の中から採用されていた。

 盗作が発覚したのは、公募38点の中から最優秀賞に選ばれた専門学校の男子生徒の作品。女性と子供3人が並んで歩いている様子が描かれている。

 同財団によると、今月3日に市民から「盗作ではないか」と連絡があり、この専門学生に確認したところ、「デザインを練習するのに普段から参考にしており、模倣してしまった。言い出せなかった」と認めたという。

 同財団は「審査過程では気付かなかった」としており、すでに出回っているポスター800部とリーフレット15万部の回収を急いでいる。新しいデザインには公募作品の中から次点の作品を採用し、今月下旬をめどに、新しい冊子とポスターを再発行する予定。
産経ニュースwestより

その問題のデザインがこれ。

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そして元ネタとなっていると思われる広告が、「ジェロ Jell-o」という粉末ゼラチンの商品で、

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というわけで・・・。
別に自分はデザインの専門家ではないのだが、あえて言いたいことを述べさせていただく。

まず、デザインした学生さんに言いたいのは、
「パクるなら、もっとうまくパクれ」ということだ。

あらゆる表現行為はパクりから来ていると思う。
ただしこのままだと単なるトレースである。そうではなく、全体の色調とか構図とか、パクるというのはそういうところを参考にしてパクるべきなのだ。

この、男の子の水色の服のイニシャルを「J」から「B」に変えただけとか、そこが中途ハンパやねん! と。せめて神戸なんだから「K」にしろよとか(笑)。そのあたり、分かってほしい。

あともうひとつ言いたいのは、「(特にアメリカの)広告産業を甘く見てはいけない」ということだ。意匠、デザインというものにたいする蓄積に関して、この高度情報化社会ではますます検索が容易だったりするわけなので、このパクりかたはとっても危険すぎる。

さらに言えば、元ネタの広告は何気なく描かれているような陽気なイラストだと思うだろうけど、広告業界はこの「何気ないデザイン」のなかにとんでもなく精緻な「サブリミナル・メッセージ」を込めて作り上げている可能性が高い(とくに嗜好品、食品の広告は)。たとえばそのへんの雑誌にはいつもたくさんの広告ページがあって、読者はそれを1秒も見ずにさっさと次のページをめくるわけだが、ではなぜそんな意味のなさそうな広告ページに、今も昔も企業が巨額の金を投資していると思うだろうか? じつはたった1秒未満でもその広告を見ただけで、企業にとって大金を払う価値のある作用が働いているからだ。そのあたりの「怖さ」をぜひ知っておいてほしい(なので以前の『HOWE』14号でも書いたが、ウィルソン・ブライアン・キイの『潜在意識の誘惑』という本は、デザインを創る人に特に読んで欲しい本だ)。

そしてこのポスターを作った学生さんだけではなく、それを選んだ財団の側にも問題があった。

なぜ、こんなノーマン・ロックウェル風の、「いかにもアメリカン」なイラストを選んでしまったのだ!
「神戸」と「アート」と「ウォーク」との関連に、なぜ「アメリカン」が必要だったのか。そこの感覚がどうにも残念なのである。異人館があるから? しかし今さらなんでこんな微妙に古くさいタッチのイラストが必要なのか・・・

これ、ポスターとか作り直す費用は選考に関わった人たちが自腹で出すべきではないか。デザインを選ぶというのはそういうリスクが伴うものだ。


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2012.09.09

A4用紙を手軽に三つ折りする方法

『HOWE』は三つ折りなので、私はどちらかというと人生で「A4用紙の三つ折り」について考えることが人類の平均値よりもちょっと高いはずだ。それゆえにこんなライフハックを見つけたので思わずリンクを貼っておく(こちら)。

「なるほど」と素直に思った。これは思いつかなかった。なんか悔しくなる。
『HOWE』の版下を作るときにはこれからこの方法を活用しよう。


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2012.09.06

ポカリスエット買って飲んだこんな味だったけな


小さい頃、まだペットボトルというものが存在していなかった頃、ポカリスエットで大きいビン入りのものが売り出されていたことがある。

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それとなく覚えている。こうしてみると大きさの感覚が分かりにくいかもしれないが。
これはペットボトルとちがい、フタをふたたび閉めることができない形状となっていた。
だから一度あけたら最後まで飲みきらないといけない。
つまり、「お気軽感」とはほど遠いバージョンなのである。ビン入りポカリは。

それはともかく、当時のテレビCMで舘ひろしがモノクロームな風景のなかでこれを飲んでいるCMが印象に残っている。なぜ外でわざわざこのでかいビン入りポカリを飲むんだ、そんなにノドがかわいていたのかよっていうぐらいの。

いずれにせよ、屋外でポカリスエットを飲むと、きまってそのことを思い出すわけだ。

そして、最近はいろいろなスポーツドリンクが売り出されていて、甘さがだいぶ抑えられているものもあって、「元祖」たるポカリは、「ちょっと甘い」というイメージがあったので最近あまり飲んでいなかった。

ところが今日ひさしぶりに屋外の自販機で買ってその場で飲んだポカリは、どういうわけかすごくスッキリとした味わいで、そんなに甘く感じなかった。
屋外だったからそう感じさせたのか。

また飲もう。

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2012.09.02

ポメラを使い始めてみている


最近、このブログで斎藤孝の本を紹介して、「より積極的に外出先でフリペを書いたりZineを作ったりできないか」と意識するようになり、「ひょっとして、テキスト文書をひたすら入力するデジタルメモ帳のポメラは、自分にとって有効かもしれない」と思うようになった。そして聞けば友人のFくんがあまり使っていないというポメラを持っていたので、格安で譲ってもらった。

昨日の記事で『今すぐ書け、の文章術』なんて本を紹介しておきながらこんなことを言うのはとっても心苦しいが、何らかしらの「気合い」を要する文章を自宅で書くのはどういうわけかあまり気乗りがしないのである。

そこでポメラである。「文章を書く」以外の機能を備えないこのストイックなツールを持って外出先でそれとなく文章を打っていると、なぜこれが家でできないのかというぐらいに高い集中力でもって文章が書けてしまうのだった。昨日もたまたまポメラを持ったまま外出し、立ち寄った電気店に小さいカフェ・コーナーが併設されていたので、思い立ってパチパチやっていると、そのうち調子が乗ってきて、前から書こうと思っていて先延ばし続けていた文書を一気に仕上げることができて嬉しくなった。

痛感した。私は外じゃないとこういうまとまった文章を書く気になれないのだ、もはや。
昔は逆に、図書館とかで勉強できるような子じゃなかったのに、なんなんだろうこの変化は。

まぁ、筆記用具の問題というよりも、カフェでお金を払って机を借りていることによる「モトを確実に取り返すぞ」というプレッシャーによる要因のほうが大きいのだろうけど。

「たまたま仕方なく、モバイル機器を使って外出先で文章を書く」ということと、「あえてわざと外出先で文章を書く」のは確実に違うのであって、でも従来だと「最初から家でできれば、そんなことわざわざする必要ないだろ」と思いがちであったのだが、齋藤孝があの本で「あえて外にでましょう! 家ではなかなかできないっていうことを認めましょうよ!」みたいなノリで降参宣言のごとく訴えていたので、私もどこかで気持ちを楽にして「そうだ、うん、自分も家では難しいんだよなー」と認めて外にでようと思えるようになってきた。

ポメラではなくノートパソコンで薄くて軽いやつがあったとしても、まぁたぶん同様のことができると思うのだろうけど、でもあえてポメラでしか出せない集中力があるかもしれない。つまり「文章打つ以外はなにもできませんよ」っていう。この究極の制限状態下においては、もはや店主のこだわりラーメンしか注文することができないのだ。ギョーザとか唐揚げとかチャーハンセットはないんですか。なにが言いたいんだ。

そして私は今回はじめてこの文章を電車の中でポメラを使って書いている。まぁそれ以前に電車のなかでフリーペーパーを手書きで書いてきた経験もあるので、あまり恥ずかしさは感じないのだが。おそらく自分はスマートフォンを持っていないから、まだこういう状況に新鮮味を覚えているのかもしれない。もはやスマートフォンやiPadのユーザーにとってはテキスト入力という行為がもっとなめらかな日常感覚のなかに溶けこんでいるのだろう。

次に自分が作る予定のフリーペーパー(的な、たぶん冊子)は、ハウとはまた違って、サッカーファンとしてマラソン大会を応援しようという(例の)プロジェクトを伝えたいためのものになる。それはこのポメラですべてのテキストを書いて作ってみた最初の作品になるはずだ(と言いながら、また数年先に続きの作業を引き延ばしていたりするかもしれない)。

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2012.09.01

ほとんどのページで「まさに!」と線を引きたくなった快著『いますぐ書け、の文章法』

ほとんどのページをめくるたびに、「そうそう、そうやねん!!」となった本。
ずっと自分が抱いていたモヤモヤが、かなり代弁されている気がした。
別に自分はこの著者みたいなライターではないのだけど、常々文章を書くことだけじゃなくて、大きい意味で「対人コミュニケーション」を考えるうえで、ものすごおおおおく大事なポイントを示してくれていると思ったのだ。だから特に学生さんたちに読んで欲しいのよこの本マジで。

フリーライターとして、人に読ませる文章を書き続けてきた著者が伝えたいことはシンプルだ。

文章を書くことの根本精神はサービスにある。
サービスは「読んでいる人のことを、いつも考えていること」である。

これはもはや、文章に限らない話なのである。
メールなりソーシャルメディアなりでさんざん自分からの一方的な言葉を垂れ流しておきながら、いざ人前でプレゼンをするとなるとまったくお粗末だったりする若者が多いんじゃないかと想像されるのだが、結局はすべてこの問題に通じてくる。サービス感の欠如。相手の立場になってみる想像力の欠如。そして相手が自分の言いたいことを分かってくれないと見るやすぐに諦めてふてくされたりキレてしまう、プライドだけが高いままの学生、みたいな。

著者の思いきった書きっぷりが、いちいち共感できる。
たとえば、「自分の言いたいことをいったん曲げてでも、読み手に楽しんでもらうことを考えて書く」とまで言うが、まさにそれはアリなのだ(もちろん、学術論文とか法律文書は除くぞ)。これはマジメな人ほど反発したくなるかもしれないが、その頑なさがまたあなたの「サービス産出力」を失わせていることにいいかげん気づいてほしい。あらかじめ想定していた内容だけで書かれる文章は、読む方も書いている方もつまらない。それは同時に、あらかじめ想定されている「人生」だけがすべてではない、ということでもある。結局問われてくるのは、予期できない局面での対応力、工夫力、そして粘り強さだったりする(あぁ、まさに自分に言い聞かせつつ)。

ほかにも、「文章で自己表現はできない」というのも、まさに。単なるツールなんですよ文章は。(詩作とかはまた違うからな)
そこを分かってくれないがために、文章を書きたがらない人は「ちゃんとした文章を書かなきゃならないから勉強が必要」とか、「時間があるときに書こう」とか、いつまでたっても書かないわけである。このあたりのことも著者はじっくり突っついてきます。

で、著者はしまいには「文章を書くのはアタマではなく肉体の作業だ。踊りながら書け!」とまで言うのだけど、これはそういうグズグズの引き延ばしではなく、分からないなら分からないなりに、書けないなら書けないなりに、手足および身体を動かして文章をひねりだしていくことでしか結局は前に進めないことを伝えてくれる。これも、文章作成の場面だけじゃなく、広く一般的なコミュニケーション行動すべてに言えることだわな。要するに「行動」することほどシンプルかつ前に進める方法はないんだよなぁ、と。

「定年退職して、そのあと時間がたっぷりできたら、よし、何か書こう、なんておもってる人がいるなら、もうそう考えてる時点で“人に読んでもらえるもの”が書ける可能性がかなり低いですね。だめだよそんな考え。いま書け。いますぐ書き始めなさい。『いや、いま忙しくて時間がないんですけど』って、あんたは中坊か、そんなものは何とか作れ。ゆったりとした環境としっかりした余裕がないと書けない文章なんてものは、墓場の飾りくらいにしか使えない。生きている状態で生きている文章を書け。いま書きなさい。

そのほかにもたとえば2章~4章なんていうのは、卒論のテーマ設定にのぞむ学生だったり、会社で何らかの企画立案を迫られたりする若い人とかにぜひぜひ読んでほしいと心底思う。この「人に伝えること」=「サービス精神」というツボを徹底的におさえておきたいのである。

ちなみにこの本を私はガケ書房で知った。棚にぽつんと、この新書が置かれていた。さすがガケ書房、的確に面白い本をセレクトして存在感たっぷりに置いてくれていたわけだ。今年出会った本のなかでかなりのヒット作だ。

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