10月19日という日
この数日のあいだ、がんばっていた祖母が今日、永眠した。101歳だった。
前にもこのブログで書いたことがあるが、明治期に、特に山口県から多くの人々がハワイへ移民として渡った時代があり、それにともなって各宗派のお坊さんたちも海を渡ってハワイの日本人向けにお寺を建てたり布教活動をしていた。私の曾祖父はそういう僧侶のひとりだった。
そこで1911年に祖母はハワイのオワフ島、カフクという場所で生まれ、まもなく日本へ戻ったという。
そのことを思うたびに、あの当時ハワイから日本へ戻る船というのはどういう状況だったのだろうかと想像し、おそらくお世辞にも快適な環境ではなかっただろうなぁと思う。とくに小さい子どもにとって、衛生面ではリスクが相当高かったんじゃないかと思う。もし長い長い航海の途中で、万が一のことが起こったら、まず確実に私は今、この世の中に存在していなかったかもしれない。そういうことを思うと、命のリレーというか、もはや「ラッキーな連鎖」というものにどうしたって感謝したくなるわけで。
とにもかくにも、何歳ぐらいの頃かは分からないが、生まれたばかりの祖母は、無事に、ハワイから日本へたどり着いたのである。100年ほど前の時代に。
祖母が生きているあいだに、私はぜひオワフ島のカフクという場所がどういうところなのか行ってみたかった。そこで撮影した画像を祖母に見て欲しいと思っていた。しかし結局それはできなかった。しかもこの孫は、オトナになって海外にいけるチャンスを得れば、ことごとくイギリス方面に行きたがるようになってしまっていた・・・。
私は、やはり旅が好きである。
そして私の祖母は、いきなり人生のはじまりをハワイで迎え、そして想像を絶する困難をなんとか無事にくぐり抜けて、大海の向こうにある日本まで無事にたどり着くことができたわけで、それは文字通りの大冒険でもあったと思う。そして孫の私は、そういう祖母がかかえてきた途方もない移動の歴史、移動の痕跡について、とても誇らしく思っている。私のなかにある、「遙か遠く」への憧憬がそうさせるのだ。
そして私はさっき、ウィキペディアで「10月19日」について調べていたら、日本の記念日でこの日は「海外旅行の日」だということを知ったのである。
「遠 (10) くへ行く (19)」の語呂合せ、だそうだ。
ハワイから日本へ、そしてもっとさらに遠くへ。
「そういうことなのか、おばあちゃん?」
と思った。
合掌。
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