なぜ米国のダイナー文化は戦後日本に輸入されなかったのだろうか
「ダイナー」ときくと、どうしてもこの、ドラマ『ツイン・ピークス』に登場するRRダイナーのことを連想する。この長いドラマのなかで、ダイナーのシーンは何度も登場し、さまざまな登場人物が現れては、ここで食事を取ったりコーヒーを飲んだりしながら交差し合う。
最近、スカパーの料理番組専門チャンネルで『食べまくりドライブ in USA』という番組をみていて、あらためてダイナーについて思うことが多くなった。
この番組では、いかにも食いしん坊な風貌のレポーターが、アメリカのあちこちにあるダイナーを訪れ、そこの店主が作る名物料理や地元の人たちの常連客っぷりを紹介するのである。とにかく質量ともにアメリカンな料理が次々と紹介され、油で揚げたり焼いたりがメインの、その高カロリーすぎるボリュームたっぷりの料理は、自分が食べるのではなくそれをテレビを通して眺めるぶんには、ただひたすら楽しい。
ウィキペディアで「ダイナー」について調べると、とても充実した内容の説明が日本語で読める(こちら)。
これによると、ダイナーの定義は難しいけれども、おおまかな特徴としては「アメリカ料理を中心とした幅広いメニュー、気取らない雰囲気、カウンターのある店内、深夜営業」という点にあるとのこと。
ダイナーというものが成立するプロセスにおいて、使われなくなった列車の食堂車の車両をそのまま街中において、そこで軽食堂が営まれたりすることが行われてきたりと、なるほどなーと思う。
そうして今でもダイナーはアメリカらしい外食文化の一形態としてコミュニティに根付いているようで、先の番組でも、あちこちのダイナーには必ず地元の常連客がいて「ほぼ毎日来る」とか「土曜の朝起きたらまずこの店のことを考える」とか言うわけだ。そしてスタッフも家族経営のところが多かったり、あと移民の人たちが営んでいる店も多そうだ。そういう店では、出身国ゆかりの料理が提供されたりしているようだ。
で、この番組を観ながら最近ふと思った疑問が、表題にあるように「どうしてこの文化が戦後の日本には輸入されなかったのだろうか」ということだ。
もちろん、日本にも古くから町のあちこちに定食屋だったり居酒屋だったりがあるかと思う。でもやはりダイナーとは違う気がするし、どちらかというと、ダイナーはカフェ・レストランに近いものがあり、そして「集いやすさ、通いやすさ」という意味では、英国風パブの機能も併せ持っている気がする。
ウィキペディアの説明のなかでも、1970年代はアメリカでもファストフード業界によってダイナーが追いやられていった、ということがあるように、やはりファストフードの影響力が無視できないのかもしれない。
日本でもマクドナルドが進出したのはまさに1971年で、戦後の占領期を経てここまでの間に、ダイナーをアメリカ人がわざわざ日本で作るようなことまでは手が回らなかったのか。そうこうしているうちに、大きな産業として「外食」が志向され、個人営業でダイナーのようなものを作るよりも、よっぽど効率的で儲かる仕組み(フランチャイズ制度など)が列島を席巻していったのであろうか。そのあたりはちゃんと考えてみるといろいろと面白いかもしれない。
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