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2014.03.29

いまさらだが神戸開催がもうすぐ終わる「ターナー展」がとてもよいのである。

4月6日に終了する神戸市立博物館での「ターナー展」がとてもよかったのである。あまりにグッときたので、終わる前に明日また観に行くつもり。

ロンドンのテート・ギャラリーの収蔵品のなかから、今回は想像以上に良い作品がワールド・ツアーで回ってきていたのであった。『月光、ミルバンクより眺めた習作』は、あらためて観ると本当にそこに月の光が照らされていると感じさせ、「これは、ヤバイ!」と唸ってしまった作品。
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あと『ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ』の大きな絵は、こうしてあらためて見るとなんとも言いようのない、ノスタルジーと開放感と、ちょっとした切なさみたいなものが混じって感じられる不思議な作品だと思った。
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↑この構図がそうさせるのか、なんだか不思議な安らぎと高揚感を覚える。

あと今回の展示で一番最後に掲げられている作品、図録集の表紙にもなっている『湖に沈む夕陽』は、まさに音楽で例えれば「シューゲイザー・ロック」です、爆音ギターの恍惚感。

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繊細な風景画も魅力だけど、(たとえ未完成の可能性を残していたとしても)このようなシューゲイザーの爆音的な粗っぽくもファンタジーを喚起させる世界観も描ききるのがターナーの魅力かと。

で、美術史には疎いので、さすがに今回あらためてちょっと「お勉強」をしてみてターナーのことをちゃんと知ろうと努力してみた。そこで感じ入ったのは、ターナーが風景画を描くまでは、あまり風景画というのは絵画の世界では重要視されていなかったみたいで、そしてさらに当時新しかった蒸気機関車なども題材に取り上げたりするターナーは、当時の価値観でいえば異端でもあり、冒険野郎でもあったわけだ。確かによく考えてみたら、今の僕らにとっては違和感がない「古い時代の風景」ではあるが、それが描かれた当時においては、写真のように「今っぽい風景」でしかないわけで、それが重量感のある評価を受けるには相当な難しさがあったのだろう。

なのでターナーが「いままさに自分が歴史を作り、歴史を残していくんだぜオーラ」をまとって創作に打ち込んでいた姿を想像するわけで、「いかに売れるか根性」をもって、あの手この手を駆使して、画壇における自分の作品の位置づけを高めていったか、ということも興味深い部分だ。

たとえば荒波の観察をすべく、船員に頼んで船のマストに自分の体をくくりつけて、ひたすら大波にゆられたことがあるなんてエピソードも、まるでバラエティ番組の若手芸人ばりの体の張り方である。「売れるためにはここまでやるぞ根性」としても捉えられるわけで、そういうヒューマンな部分っていうのが分かると、1枚の絵にたいする鑑賞者としての自分の見方や角度みたいなものも少しずつ変わっていくようで面白い。

あとターナーは、自分がずっとお手本にして尊敬してきたクロード・ロランの絵と自分の絵を並べて展示して欲しいと遺言に残したらしく、ロンドンのナショナルギャラリーでは今もその遺志を受けてそのように展示してあることも今回初めて知った。そんなオシャレな事情があったとは。


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