年の暮れに銀色夏生のことを思い出したりしてみる
早いものでもう大晦日。
今年の紅白歌合戦の司会をつとめる吉高由里子という女優さんの名前も顔も分からなかったので、何気なくウィキペディアで調べてみたら、そこで書かれているいくつかのエピソードのなかに詩人の銀色夏生のことが書かれていた。
なので、ひさしぶりに、本当にひさしぶりに、
銀色夏生のことについて思いを巡らせることとなった。
実は、
気恥ずかしいことに、自分が高校生のとき、古本屋で出回っている銀色夏生の過去の詩集の文庫版をちょくちょく買って読んでいた時期があったのである。
(写真をそえた詩集のコンセプトとか、それは結局ZINEづくりなどを通して今に至る、ある種の嗜好がここに連なっていることも認めざるを得ないわけだが)
本人には失礼だが、その時点で自分にとって銀色夏生は「80年代を体現していた人」という認識でいた。とくに作詞家として、大沢誉志幸の名曲『そして僕は途方に暮れる』を書いた人というイメージが強烈であったので、その時点で彼女の作品を読むことは、どちらかというと、私の好きな「超短期ノスタルジア」的な対象として、ちょっと距離を保って読む詩集という感じでもあった。
それでも読んでいくうちに、本当に好きになれる作品が出てきた。
特に思い出深い作品は『君のそばで会おう』(1988)だ。
表題の詩が最後に出てくる。
終ってしまった恋がある
これから始まる恋がある
だけど
僕たちの恋は決して終りはしない
なぜなら
終らせないと僕が決めたから
自信をもって言えることは
この気持ちが本当だということ
いろんなところへ行ってきて
いろんな夢を見ておいで
そして最後に
君のそばで会おう
冷静に考えると「君のそば」っていう距離はなんだろうか、と思う。でもそのちょっとした「わからなさ」を超えて届くフィーリングの部分が、何かを残していく感覚。
そして「いろんなところへ行ってきて、いろんな夢を見ておいで」っていう、このフレーズでかきたてられる感情は、おそらく自分自身の恋愛観だったり、人生でやりたいことの中心点みたいなもののひとつをその後も形作っていったようにも思う。
しかし、
90年代半ばに、ヘタレ男子高校生が銀色夏生の詩を読んでいることなんて当時誰にも言っていなかったし、言いたい気持ちもなく、ただ心のうちに「“君のそば”ってなんだろうか」っていうことをボンヤリと考えていたりする、そういう時代だった。
そこでひとつ強烈に覚えているのは、高校2年だか3年のとき、おもむろに後輩の女の子が、この詩を朗読している状況に出会ったことだった。そのあとの自分のリアクションは記憶にない。もしかしたら黙ったままやり過ごしたかもしれないし、「銀色夏生いいよねー」っていう話をしたのかもしれない。いずれにせよ、私が単に「80年代の産物」だと思っていた銀色夏生は、普通に自分たち世代もちゃんと読み継いでいるんだよな、っていうことを認識させられた最初のきっかけだったように思う。その後も大学に入ってから、銀色夏生を読んできた同年代(男も)がたくさんいることを知ることになる。
そしてさらにこの詩について驚いたこととして、1999年のことである。
この年、Jリーグの横浜フリューゲルスの「消滅」が親会社の都合で決定し、選手・チーム・サポーターが悲壮な想いでシーズン最後の天皇杯決勝まで勝ち進み、見事優勝を遂げるわけだが、そこでゴール裏のサポーターが掲げた横断幕のメッセージが、この『君のそばで会おう』の引用だった。
チームが消滅し、選手もスタッフもバラバラになっていき、それでも人生は続く。
サポーターも、この場所も、すべてが遠い記憶のなかに消えていく。
それでも、いろんな場所で、いろんな夢を見て、それぞれが再びどこかで出会うことを信じていく。
今となっては、この銀色夏生の詩はサッカーファンとしての自分にもダイレクトに染み入ってくる。
この年の瀬に、ひょんなことで、そういうことを思い出させてもらった。
この一年ありがとうございました。2015年も素敵な一年でありますように。
↑NOKKOと競演したバージョンの『そして僕は途方に暮れる』があるのを知る。グッとくる。
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