映画『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』/「美しく捉えること」のジレンマと破壊力と
セバスチャン・サルガドはブラジル出身の報道写真家として、いわゆる途上国の内戦や貧困問題の現場に赴き、そこで目の当たりにした厳しい現実をカメラで捉え、ありのままの惨状を世界に伝えてきた人物であった。
正直にいうと、映画をみるまで私はその人の名前と仕事が一致していなかった。ヴィム・ヴェンダースがこのドキュメンタリー映画を手がけたことだけが自分にとっての手がかりみたいなものであり、そういえば『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』や『ピナ・バウシュ』のときと同様、ヴェンダースが映画にすることではじめて私はその人の営みを知ることとなった、ということである。
ヴェンダースの側に寄り添ってこの映画をあらためて考えると、ヴェンダースはとにかく「見る/観る/視る」ことへのこだわりがある人なので、そういう意味で彼が写真家という存在をテーマに映画をつくるということには、視ることのアートを探求してきたヴェンダースにとってもそれ相応の覚悟みたいなものがあったのだと思う。
そのうえでいうと、この映画がよかったのは、もはやヴェンダースは単なる「聞き手」であって、もうそれ以上の出しゃばった感じがなく、この映画においては「視る」ことの主役はサルガドの写真作品そのものであり、その1枚1枚の写真が訴える社会の真実だったり残酷な人間の行いだったり・・・が、「それ以上の説明」を必要としないぐらい、圧倒的なチカラで観る者の心に突き刺さってくるのだった。そして映画監督としてのヴェンダースの仕事は、「聞き手役」に徹してそれらの写真作品を生み出したサルガドの人物としての奥行きを伝え添えていくことであり、今回のヴェンダースはいい仕事をしたはずだと、ちょっと安心した(笑)。(や、最近の彼の映画の評判がすこぶる悪いらしいので・・笑)
サルガドの作品が果たした社会的影響力や取り上げたテーマについては、もはやそれを語り得るほどの知識がない自分が残念でならないのだが、今年の2月に仕事で出会った『ASAHIZA』の映画のときと同様、「過酷な現実を、(芸術として)美しく捉えてしまうことのジレンマ」といった問題にも通じるものがあって、映画ではそのあたりのことは触れてはいないのだが、個人的にはそこが問題意識として残ったのが収穫。いろんな考え方ができるが、「過酷な状況を、それでも芸術作品として切り取ったとしても、それゆえに多くの人の関心をひきつけたり、衝撃を与えることができるのであれば、それはアートのチカラとして素晴らしいことだ」という考え方もできるし、一方ではそこにたいする批判も当然ありえる。ただこの映画を見終わった私としては、ほんの少しだけ「美しく切り取ったからこそ、この現実の意味がさらに重要なものになっていったのでは」という側に考えが寄っていっている。
とにもかくにも理屈抜きに、彼の写真作品をあらためてじっくり堪能したくなっている。写真、とくにモノクロ写真の力強さというものにあらためて感じ入った次第である。
あと、ちょっと話がそれるが、湾岸戦争時のイラクによるクウェート油田火災の鎮火作業を追った写真なんて、サルガドはあの炎と油まみれの地獄のような場所で、どうやってカメラ機材をケアしながら撮影していたのか、そういう細かいところがすごく興味をかきたてられたり(当時はデジカメもなかっただろうから、フィルム交換とかもどういうテクニックで行うのか、とか)。
公式ホームページは(こちら)。京都シネマだと明日22
日から上映するようだ。
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