17年ぶりに鈴鹿でF1日本グランプリを観に行ったはなし
思いがけず、F1日本グランプリを観に17年ぶりに鈴鹿サーキットへ行った。
K家の方々が都合で行けなくなったとのことで、ご厚意によりチケットを譲っていただいたのである。
あの頃の熱狂的な気持ちはどこへ行ったのか、というぐらいに近年の私はF1グランプリから遠ざかっていた。理由はいくつかあるのだが、どうしても底辺には「あまりにハマりすぎていて、その過去を思い出すと恥ずかしい」という心情がつきまとい、そのことがなおさら、最近のF1を改めて見つめ直す気持ちになりにくくなっていた。
しかし心のどこかで、近年はどんな様子でF1日本グランプリが実施されているのか気にはなっていたので、今回の機会はまさに「17年前の自分と向き合う」タイミングではないかと思い、鈴鹿に向かったのである。
さて朝早くにサーキットのゲート付近にいくと、駐車場で待機している人の列に出くわす。
この人たちは何をしているのかというと、「ドライバーや関係者がやってくる車を出待ちしている」のである。そうでなければここにはいない。サインをもらえる可能性はこの場所だと少ない気もするが、手を振るぐらいはできそうだ。
そして、そう、まさに17年前の自分がまさにそういうことに情熱を燃やしていたわけであり、サーキットに入る前から私のなかには、ある種の感慨深い気持ちがこみ上げてきたのである。本当に。
そしてメインゲートから遊園地エリアを歩く。このあたりの構造はまったく変わっていなくて嬉しかった。
しかし、その先にあるエリアが、やたらと大改装されていて、まったく違う遊園地となっていた。
ただしF1マニアだった私に言わせると、その改装がもっとも重要なのは遊園地の中身ではなく、サーキットホテルのエリアと遊園地を結ぶ導線に変化がもたらされた点にある。どういうことかというと、
このように「ホテルゲート」という門衛所がしっかりと設定されていたのである。
鈴鹿は世界でも類を見ない「よくできたサーキット」で、お客さんにとっては「遊園地とサーキット」があり、そしてレース関係者には「ホテルとサーキット」が隣接して存在する貴重なサーキット場なのである。そして、昔の遊園地エリアをよーく調べると、ホテルエリアとサーキットへの導線のなかに、わずかながらフリーで行き来ができるスポットが存在していたのである。なので私や友人は、かつてそのルートを使ってホテルエリアに行き、朝に晩に出待ちを続け、レース関係者をつかまえてはサインをもらったり話しかけたりして楽しんでいたのである。
それがこうして、立派なゲートが作られたことにより、実質的にホテルエリア周辺での出待ちはできなくなっていた。スターであるドライバーたちは車でサーキット内部(パドック)へ移動し、普通の関係者はこのゲートから遊園地エリアを歩いてパドックへのトンネル通路に行く。
パドックへの通路も改装されてすっかりモダンになったが、トンネル通路そのものは健在だった。こうして柵にそって出待ちのファンが並んでいる。
そしてこれが、ホテルから自動車でパドックにいくルートで、この柵の周りにもたくさんのファンが「出待ち」状態で立ち続けていた。サーキットに来ていながら、普通の道路のアスファルトに長時間熱視線を送るという、これこそがF1マニアの生き様と言える。
おそらく現状ではかつてのようにドライバーにダイレクトに会ったり、チームのスタッフや監督さんと挨拶したり会話するなんていう遊びは到底難しくなっているようだった(学生の頃、たとえ英会話能力は低くても、英語を話すという行為は楽しいことなのだとひたすら心から実感できたのは、年に一度の鈴鹿のF1で、こういう楽しみを味わえたからこそである。そう思うと今の私の礎を作ってくれたのは鈴鹿なのだろう)。
さて、そんな私のノスタルジックな気持ちにさらに輪をかけるように、イベントブースでは懐かしのマシンが展示されていた。ちなみにレース前にはこれらのマシンのデモ走行も行われた。
好きなF1マシンを挙げろと言われたらまずこの87年のフェラーリを推す。実物を初めて観たので立ち尽くしてしまった。
このウイリアムズFW11も思い出深い。小学生のとき祖父がくれたキャノンのジグソーパズルの図柄がこれだったので、私が人生でふれた最も古い記憶のなかのF1マシンはこれになる。
いずれにせよ、こういう80年代後半のF1マシンは造形としてシンプルで美しいとあらためて思った。
さて、この展示ブースに立ち寄った時間帯が、たまたまそこにあった他の2台のマシンにおける「エンジン始動デモンストレーション」の時間に近かったので、そのまま待ち続けた。
動画まで撮影したのだが、これが本当に、よかった。
これは80年代初頭に試作車のままで終わってしまったロータス88という珍車。F1の歴史において名高いフォードのDFVエンジン(のはず)の音をこんな近距離で生で聴けたのはラッキーだった。
そして1990年代を代表する歴史的名車のひとつ、ティレル019。中嶋悟がドライブしたマシンである。こちらはエンジンがフォードのコスワースDFRで・・・と、もはや私は中学生に戻った気分で嬉々としてこのエンジン音を堪能していた。
とくに子どもを対象としたイベントにかなり重点が置かれている印象があって、これもそうだった。マクラーレン・ホンダ第一次時代の最後の名車MP4/6、子どもしか乗せてもらえないので本気で羨ましかった。その近くでは、「F1の模型がついた帽子を作るワークショップ」があったりして、子どもファンを増やす努力をかなり行っている様子がうかがえた。
シアターや博物館も新設されていた。アラン・プロストとアイルトン・セナのレーシングスーツとヘルメットが並んで展示されていて、この並びには涙しかない。
そもそもメインスタンドもすっかり改築され、なんだかサッカースタジアムみたいだし、
そんなこんなで付属施設を楽しんだあと、いただいたチケットの席に移動する。このあたりは完全にハイキングのノリになっていく。その「土の匂いのするアウトドア感」と、「最新ハイテクの車たち」のミクスチャーが、サーキットの醍醐味なのかもしれない。
あ、あと気づいたのは、「授乳室」とか「ベビーカー置き場」なんていうのも各所にしっかり設置してあって、こういうのは昔はそんなになかった気がする。かなりファミリー向けに観戦しやすい状況を整えていることが感じられた。
こうして2コーナーの席に座らせていただく。
さっきのブースでみた古いマシンたちのデモ走行、それぞれの時代特有のエンジン・サウンドを響かせていて、もっと周回してほしかったぐらいだ。中嶋悟がティレル019を走らせていたが、ついぞ私は彼の現役時代を生で観ることができなかっただけに、じっくりとその姿を噛みしめた。フェラーリF187は現在解説者をしているM・ブランドルが走らせていてレア感があり、ロータス88は佐藤琢磨が「壊さないように・・・」っていう感じで走らせていたのが印象的。ゲルハルト・ベルガーは、1991年の鈴鹿で勝ったときのマクラーレン・ホンダMP4/6を1周だけ走らせていて、もうこれだけで私は大満足なのであった。
こうして14時にF1の決勝レースがはじまった。自分のいる席からは、なによりスタートから最初のコーナーリングでの攻防にドキドキし、そうしてレース序盤を見届けて、頃合いを見計らって私は席を立った。
今回、こうしていただいたチケットで観戦をするにあたり、「せっかくなので、昔からやってみたかったことを試してみよう」と思ったのである。つまり、普通にチケットを買ったらあまり心情的にできなかったこと、すなわち
そう、観覧車である。
鈴鹿サーキットにそびえ立つ観覧車、これを「F1のレース中に乗る」という、鈴鹿でF1を観に来た人なら誰しもが一度は味わってみたいことをやってみようと思ったのである。
やはり普通に観戦していると、どうしても席を離れにくいのが心情である。観覧車に乗るということは、席を離れて、小道を歩き、そのあいだはレースが観られない。それゆえに「観覧車に乗る」というのはけっこうハードルがあるのである。
実際、レース中に来てみると、5分ぐらい並べばすぐに乗れたのである。
こんな感じ。
こうして、私は、子どもの頃からの夢を叶えた気分に浸った。
レース中の観覧車、眺めは別格。
こっち向きの写真は白黒しか撮ってなかった。高揚感でちょっとテンパっていたのも確かである。
うむ、本当は、降りたらまた再び観覧車に乗りたいと思ったのは確かだ。けど、どこかで何かが自分を留めた(笑)。
レース中のイベント広場の閑散ぶりも、当然初めて体験した。
とても新鮮な空気感だった。
※ちなみにイベント中の様子はこちら↓
そんなわけで、
もはやドライバーの名前もチームの名前も半分以上は分からなくて、今もなおこうしてF1を観続けている熱いファンの人には怒られるようなスタンスかもしれないが、私なりに17年ぶりの鈴鹿を思いきり楽しませていただいた。
こういうチャンスを与えてくださったK家のみなさまにはひたすら感謝!である。
もっとF1以外のときにも、また鈴鹿には行きたい・・・と思える秋の日だった。
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サーキットにあるボウリング場付近の建物の入口。昔この場所で寝袋しいて野宿したことがあるなーっていう感慨とともに。
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