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November 2015

2015.11.19

いまの日本でもっとも重要な展覧会のひとつとしての「ジャングルにひそんで28年 横井庄一さんのくらしの道具展」@名古屋市博物館

 決して大きい展覧会ではないが、これを観るために名古屋市博物館へ行ってきた。私にとっての「DIY的精神」の、もっとも過酷な極みの事例として横井庄一さんがあると思ったからである。

 この展示では、実際に横井さんがグアムの残留兵士として生き続けるなかで自力で作った道具や衣類を紹介し、それとともに地元の名古屋の人が収集保存してきた、戦時下におけるプロパガンダポスターを背後に掲示することで、横井さんが巻き込まれた物事の背景を示していた。

 そして当時の新聞記事もいくつか展示されていて、無知ゆえに私は横井さんの他に2名の元日本兵が一緒に暮らしていて、横井さんが発見された年の8年前に亡くなっていたことを、今回の展示を通してはじめて知ったわけだが、とある新聞の隅に小さく掲載されていた記事に衝撃を受けた。それは途中で亡くなった元兵士の遺族のコメントで、「8年前まで生きていたのなら、横井さんにもっと早く出てきてほしかった」というものである。それは横井さんの帰還にまつわる賑やかな報道のなかにおいて、そしてそれにともなって伝えられる「歴史のありかた」において、確実に私にとって完全に盲点の角度だった。そしてその遺族のコメントが示すような、数多くの同じ境遇の兵士たちの無念な想いが、横井さんの影で歴史のなかで消し去られていくことも、しかと認識させられた次第である。

 ちなみに 「横井庄一記念館」は、いま横井さんの奥さんが自宅を毎週日曜日に開放して行っているとのことであるが、もっとパーマネントに多くの、とくに子どもたちに伝えられるような状況になってほしいと強く願う。

 名古屋市博物館での「横井庄一さんのくらしの道具展」は11月29日まで(くわしくはこちら)。

 ジャングルでのサバイバルのために作った道具たちもさることながら、帰国したあとの日々において横井さんが書いた掛け軸の書たちにも圧倒された。自分の力ではどうにもならない、ある種の愚かな人間たちの歴史的な過ちによって翻弄された人が書く「今日無事」、「仏心」の文字は、まちがいなく今の、この日本において、必見のものと思える。


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2015.11.09

11/28に古雑誌を使った封筒づくりワークショップをさせていただきます@ともいきフェス

このたび勤務先の京都文教大学にて「ともいきフェスティバル2015」というイベントが11月28日(土)に実施されます。これは大学を1日開放し、周辺地域の方々や本学関係者などさまざまな人びとが集い、交流を図る催しです。いろいろなステージ発表や物品販売、ワークショップや講座などが展開されます。

そこで今回、タテイシは個人で「ワークショップ出展」をさせていただくことになりました(←団体での参加がほとんどのようなので、タテイシはピン芸人状態です)。

内容は、ちょうど去年のいまごろに北浜のFOLKさんでやらせていただいた「不要になった古雑誌を利用した、封筒づくりのワークショップ」です。
具体的に説明しますと、透明のプラスチック板から「テンプレート」を作ってもらい、そのテンプレートを雑誌の好きなページにあてがって、形に沿って切り抜いてもらい、そこから両面テープ等を使って、「ビジュアル的に味のある封筒」を作ってもらうというものです。ハサミを扱える人であれば、子どもからお年寄りまで参加できる内容です。
作ったテンプレートと封筒は、お持ち帰りいただくことができます。
ご参加にあたっては材料費として100円をいただきますのであらかじめご了承ください。

「ともいきフェスティバル」は京都文教大学の「サロン・ド・パドマ」を中心に実施します。時間は11時~16時です。タテイシの封筒づくりワークショップは席があいていましたら随時参加可能です(混雑しているときは、1人につき5枚の封筒を作ったら交代していただく予定です。あらかじめご了承ください)。
フェスティバルの詳細は京都文教大学のホームページのこちらのリンクをご参照ください。


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2015.11.03

「闘わない一揆の映画」としての『新しき民』

 大学のイベントで、山崎樹一郎監督(本学の卒業生である)の最新作『新しき民』の上映イベントを実施させていただいた。
 これは岡山県の真庭地域で江戸時代に起こった「山中一揆」をモチーフにした時代劇なのだが、これはある意味で「現代映画」でもある。なぜなら「一揆」とは、言葉こそ違えど特に昨今の日本の社会状況にも大いに関わりを帯びた行為になってきており、このイベントが当初企画されていた年度初めの頃には想像していなかったのだが、この映画はその作品としての意義ゆえに、このイベントを準備しているあいだにもいくつかの劇場公開が決まっていったのである。

 ただ単にこの作品は「一揆を描いた映画」ではなく、最大のポイントは「一揆を闘わなかった人」を主人公に据えていることである。それゆえに、やはり極めて、これは「現代のこと」にも、いろいろな道筋で通じている気がする。
一揆をするべく立ち上がる民衆のなかで、ただ一人それを拒み、すべてを捨てて逃げることにおいて、そこに至る「想像力」が、今の時代に生きる我々にも突きつけられている、そういう映画なのである。

 この真庭地域の特殊事情もあって、農民だけでなく山奥で林業を営む木地師など、この地域にはさまざまな職域にまたがるコミュニティが協働していて、民衆の主張を通すには、すべての派閥において納得できる決着に至るよう交渉する必要性があった。しかしそれが少しでもできなかった場合、一揆を蜂起する側に亀裂が走り、仲間割れを起こすことだってありうる。場合によってはそこから「異なる他者」への排斥や差別意識だって育まれかねない。「それこそが権力側の意図だ」という旨が作中にも語られるが、それはそのままストレートに、現代の我々の社会状況にも言えるのである。

 そして、この映画の主人公である治兵衛が、究極の選択として仲間や家族を見捨てて一揆から背を向けて逃げたこと、そこに至る想いや苦悩は、当時の農民たちと現代の我々とで共有することだってできる、そんな想像力こそが、そうした権力側の意図をすり抜けていく可能性の一つになり得ること、そうしたことを考えさせることがこの映画の重要なテーマとなっている。

 身内びいきとか完全に抜きで、たくさんの人に届いて欲しい、「今」の日本の映画。

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