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2015.11.03

「闘わない一揆の映画」としての『新しき民』

 大学のイベントで、山崎樹一郎監督(本学の卒業生である)の最新作『新しき民』の上映イベントを実施させていただいた。
 これは岡山県の真庭地域で江戸時代に起こった「山中一揆」をモチーフにした時代劇なのだが、これはある意味で「現代映画」でもある。なぜなら「一揆」とは、言葉こそ違えど特に昨今の日本の社会状況にも大いに関わりを帯びた行為になってきており、このイベントが当初企画されていた年度初めの頃には想像していなかったのだが、この映画はその作品としての意義ゆえに、このイベントを準備しているあいだにもいくつかの劇場公開が決まっていったのである。

 ただ単にこの作品は「一揆を描いた映画」ではなく、最大のポイントは「一揆を闘わなかった人」を主人公に据えていることである。それゆえに、やはり極めて、これは「現代のこと」にも、いろいろな道筋で通じている気がする。
一揆をするべく立ち上がる民衆のなかで、ただ一人それを拒み、すべてを捨てて逃げることにおいて、そこに至る「想像力」が、今の時代に生きる我々にも突きつけられている、そういう映画なのである。

 この真庭地域の特殊事情もあって、農民だけでなく山奥で林業を営む木地師など、この地域にはさまざまな職域にまたがるコミュニティが協働していて、民衆の主張を通すには、すべての派閥において納得できる決着に至るよう交渉する必要性があった。しかしそれが少しでもできなかった場合、一揆を蜂起する側に亀裂が走り、仲間割れを起こすことだってありうる。場合によってはそこから「異なる他者」への排斥や差別意識だって育まれかねない。「それこそが権力側の意図だ」という旨が作中にも語られるが、それはそのままストレートに、現代の我々の社会状況にも言えるのである。

 そして、この映画の主人公である治兵衛が、究極の選択として仲間や家族を見捨てて一揆から背を向けて逃げたこと、そこに至る想いや苦悩は、当時の農民たちと現代の我々とで共有することだってできる、そんな想像力こそが、そうした権力側の意図をすり抜けていく可能性の一つになり得ること、そうしたことを考えさせることがこの映画の重要なテーマとなっている。

 身内びいきとか完全に抜きで、たくさんの人に届いて欲しい、「今」の日本の映画。

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