世界に表現されることのなかった、すべてのかくされた創作物へ:『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』
ジョン・マルーフという若い歴史家が、シカゴの街並みをとらえた写真資料をオークションで漁っていたことから、このヴィヴィアン・マイヤーなる無名の人物が撮影したフィルムを手にする。そこから「ヴィヴィアン・マイヤーとは何者か」を探究する旅がはじまり、やがて多くの人に彼女の作品が知られるようになる。このドキュメンタリー映画はあらためて「ことの次第」と、さらなる深い探究の軌跡を収めた作品となっている。
ネタバレ的に書くが、結果的にこの映画を観ても、我々はヴィヴィアン・マイヤーについて知るどころか、さらに多くの謎をつきつけられて終わっていく。家庭を持たず、乳母として生きるかたわら、路上に出てカメラを持ち、あらゆる瞬間、あらゆる人物をファインダーごしに捉えていった謎の女。ちょっと常人離れした部分を抱えつつ、あれほどの技術と才能がありながら、生涯においてまったく公表することのなかった膨大な写真作品。
ゆえにこの映画は、おそらくもっとたくさんいるであろう、ヴィヴィアン・マイヤーのような人びとによる無数の創作物、決して陽の目をみることのなかった「いくつもの輝き」についても思いをはせるドキュメンタリー映画である。
こういう過去の埋もれた芸術作品が人の目に触れるにあたって、やはり現代におけるインターネットが果たしうる役割というのは大きいなぁというのはきわめて月並みな感想ではあるし、今後も似たような事例が生まれてくることも予想できよう。しかしだ、それにしても、このヴィヴィアン・マイヤーの遺した作品たちは、お世辞抜きに本当にどれもこれも見事なのだ。
もちろん、すべての創作物が人目に触れなくてはいけない理由はないし、本人の意向に従って、それらが秘密のまま保持されてもまったく問題はない。それは分かっているのだが、次々と映画のなかで惜しみなく・・・その刹那的な見せ方も、演出としては効果的だったが・・・紹介されていく彼女の写真作品に触れれば触れるほど、このクオリティが埋もれていた人生のありよう、そしてそれが現代において発掘された数奇な運命を、どのように受け止めればいいのだろうか、と思案しながらこの映画を観続けていたのであった。
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