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2016.08.10

「上司の故郷に一人で勝手に行ってみる旅」をしてきた(その4)

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つまり、こういうことだった。

熱い祭り・・・ていうか、ひたすら「熱そうな祭り」である。

普段同じ町内で暮らしている近所の人が、大量の火の粉を浴びて耐えている姿を目の当たりにすることって、なかなかないと思うわけだ。それがこうして年に一度、この地域の人々は手筒花火の奉納というかたちでお祭りにしちゃっている。

しかもこの手筒花火、着火したあといつ終わるのかは誰も予想できなくて、終わるときは

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である。これが毎回ドキッとなって、心臓にくる。

この爆発で、手筒を持っている人の耳の鼓膜とか大丈夫だろうかと心配になる。

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スマホで撮った動画をアップしてみる。(画面をタテにしていたので小さくしか表示できないが)


(最初の爆発で、スマホを持つ手がビビッて揺れている様子も味わってください)

「ヤバい、この祭りはヤバい!」

いやはや、まだまだ知らない世界がたくさんある・・・・

この手筒花火は、それぞれの町の人たちが自分のぶんを手作りで用意し、周到な準備をもって臨んでくるらしい。
そして動画をみてもらえば分かるように、スタートはお社に向かって火をぶっ放すのも、なんだか凄い(祭りの開始直前、拝殿のあたりでは大きなタタミみたいなものを何枚も並べて防御態勢を整えていた)。

ほとんどの場合は2人が同じタイミングで花火をあげるのだが、これは時間の都合上というのもあるのかもしれない。それぞれの4つの町から結構な本数が奉納されるからだ(なのでトータルで3時間ちかい祭事であった)。

そしておそらくその年の「幹事役」みたいな人は一人だけが真ん中に立って、「ソロ奉納」をすることもある。そして当然、さきほど見かけた女性の幹事役もこの手筒花火を天高くぶっ放し、「ボンッ!!」と爆発させていく。ふへー。

このとき手筒花火に使った竹の筒は、それを奉納した人がその後自宅玄関の軒先に縁起物として飾る風習があるそう。たしかにこれが玄関にあれば「オレは手筒花火をやったぞ」と示すことになるわけだ。

それぞれの町による手筒花火の奉納の前に、小さめの花火を持って「前座」的に振る舞う儀式もすごく綺麗で、迫力があり、そしてやっぱり、当事者は熱そうだった・・・

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また、「子ども連」による花火奉納も行われ、それは手筒花火ではなく、打ち上げ花火である。おそらくそれも町ごとのオリジナルな作品で、目の前で高く打ち上げられる花火も、初めて見る自分にとっては至近距離すぎて圧巻だった。神社のサイズとかどうでもよくて、とにかくデカい花火を一発ぶち上げるぜ的な気持ちのこもった花火であった。

またこの手の「台座に乗せて打ち上げる花火」においては、儀式の最中は、ひとりの人が花火の上に覆いかぶさっていて、なんでそんなことをするのかと思ったら「予定外のタイミングで火の粉が舞って、着火するのを防ぐため」との解説を近くの人が喋っていた。

こうして最後は、御神輿に乗せてきた「大筒」を奉納する。
この場合は、燃えるたいまつを儀礼にのっとって振りかざしながら、そのまま途中で「被さってた人」が退いて、そのまま着火して、火がついたままゆっくり降りていく様子がドラマチックだった・・・いやいや、普通に危険ですよ、みなさん! って言いたくもなるが。

これも動画で。

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・・・というわけで、この祭りを見たことについては、上司の地元だからとかはもはや問題ではなく「これは多くの人に観て欲しい」と思えた、テンションの上がるエンターテインメント要素満点の祭りだった。この時期ほかにも豊橋・豊川エリアではこうした手筒花火があちこちでガンガンやられているのであるが、なぜ今まで知らなかったのか。

ちなみに当然のごとく後日上司のSさんにはこの旅の報告とともに手筒花火のことを心から称賛した。そしてSさんには手筒花火の経験があるのかと尋ねると、「もし自分が地元の大学に受かってそのまま実家で暮らしていたら、自分も手筒花火をあげていただろうし、人生が変わっていたと思う」とのこと。たしかに「手筒花火をあげたかどうか」っていうのは、かなり大きな人生のポイントになる気がする・・・や、自分だったら絶対やりたくないと思うけど(笑)。

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この夜は祭りのあと豊川稲荷のあるエリアまで移動して宿に入り、翌朝は早くからチェックアウトして、豊川稲荷神社に向かった(私にしては珍しく寺社仏閣を重点的に回っている旅だ・・・とはいえ残りはカレーうどん屋と書店と高校とスーパーぐらいしか行ってないわけだが)。

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ここでは早朝から祈祷を受け付けてくれるのである。そして4000円以上の祈祷料を納めると、あとで精進料理の接待が受けられるのだった。

祈祷の申込書には、祈願したい内容を表から選んで書けるのだが、神社の公式ホームページで「あれもこれもと欲張ることは精神的にも散漫になり、実るものも実らない結果となる」と書いてあったのを記憶していたので、ここは男らしく、祈願は一つに絞って書いてみた。

受付を済ますと待合室に通されて、隅っこにおじさんが一人座っているだけだった。やはり朝一番に来ると人が少ないのもあって、夏の朝の静けさにシャキッとして身が引き締まる思い。

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そうして、祈祷の儀式が行われる次の順番は、結局そのおじさんと私だけの組になり、係の人のあとをついていき、長い廊下を進んで、本殿に入らせていただく。

10人ほどの神職さんが集まって祝詞が読まれ、祈祷を受ける。この人数の多さに恐縮。

そして私としては祈祷される人の名前や内容というのは、もし読み上げられても儀式の流れのなかでは一般人には聞き取りにくいのかと想像していたのだが、その予想とは裏腹に、えらくクリアに高らかと読み上げられることとなった。



「京都市左京区~

 タテーシナオフミ~

 良縁具足~」


「・・・。」

祈祷終わり。

すいません、こんな場所で朝から笑いをこらえることになるとは・・・や、真剣でしたよ、ええ。


そそくさと、おじさんの後をついて元いた待合所に向かう。
廊下からみえる庭も、早朝の光が気持ちよかった。

すると戻った座敷には、二人分の精進料理が並んで置かれていた。

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広い座敷にピッタリ二人ぶんが並んでいて、そこでモソモソと料理をいただく。実はこんなに早くスムーズに祈祷が受けられるとは思ってなかったので、さっき食べた朝食のことを後悔した。

手慣れた感じでお箸を動かすおじさんに話しかけてみたら、この人は毎月一回は祈祷に来られているとのこと。おそらく何か商売や会社経営をやっているのかもしれない。「遠くから来られたんですね」と言われ、やはり祈願内容はしっかりリスニングされていたようである。「このあたりは私の上司の故郷なので、来てみました」っていう説明をしてみたが、コンセプトがうまく通じたか自信はない。

となりの待合所に新たな参拝客の老夫婦がやってきたのだが、隣のおじさんは「あの方も毎月来られてます」と教えてくれて、先に料理を食べ終えたら、その夫妻に挨拶をして、帰っていった。

いただいた点心料理は見た目以上にボリュームがあり、じっくりゆっくりといただく。そういう時間を味わうこと自体が大切である。


こうして食べ終わったあとは、出口の近くで祈祷料に応じた御札をいただくことになっていた。

するとそこにいた係のおばさんが、僕を見るなりパッと表情が明るくなり、

「サッカーのイングランド代表のファンなんですか!?」

と聞いてきた。

そう、私は「祈祷を受けるなら真っ白の服を着ていったほうがいいのかしら」と思い、でもワイシャツとかを旅先で着る気もせず、しかし適した服装があまりなかったので、結果的にイングランド代表のシャツを身にまとっていたのであった。

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そのおばさんは2002年のワールドカップにおけるベッカム人気のときに火がついた方らしく、「最近はあまり観てないんですけどねー」とか言っていた。それにしてもまさか良縁の祈祷を受けたあとに、さっそく係のおばさんにサッカーファンとして声をかけられるとは、これが祈祷パワーのなせる技なのか、それともこれが答えなのか。


そんなわけで朝一番の祈祷を受け、すがすがしい気分とともに、豊川稲荷のもうひとつの注目スポットに足を踏み入れる。

それがこの霊狐塚だ。

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そしてこの記事を読んで知ったのだが、大岩の隙間に入っているお金を取り出せたらそれをお守りにし、金運に恵まれたらまたここに戻ってそのお金以上の硬貨をここに戻しに来る、という言い伝え?があるようで・・・

近くの注意書きに「岩に登らないように」と書いてあったので、そこは守りつつ、よーく岩の隙間をチェックすると、ほどなく1円玉と10円玉を手に入れることができた!
ぜひまたここに戻って今度はお金を納めに行きたいものである。

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( ↑ でもこれを見ると、岩を登る気分にはなれない。)


そんなわけでこのあとは豊橋市に戻って美術博物館でやっていた「アンドリュー・ワイエス水彩・素描展」というのを観たりして、満喫のうちに京都に戻ってきた。上司のSさんの地元トークがなければまずここに来なかったと思うので、貴重な経験ができたことに(そしてさんざんブログのネタにさせてもらったことにも)あらためて感謝の意を示しつつ、今後は日本のいろんなお祭りもちゃんと観に行きたいと思わせた旅だった。

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このブログでの久々の連載記事、読んでいただきありがとうですー

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