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July 2017

2017.07.16

忙しさにかまけてブログを放置していると、「ブログの更新が最近ないが、大丈夫か」と職場の同僚に指摘されるようなシステムのなかで生きています。

少しずつ書きためていたのを放出。

 先月、日帰りで渋谷Bunkamuraに行って、写真家ソール・ライターの日本初となる展覧会を観てきたのである。開催期間の終了間際だった。以前観たドキュメンタリー映画で彼の存在をはじめて知ったのであるが、「あなたを知ることができて幸運です」という気持ちになった。最初の初期モノクロ写真の時点で、あ、もうこれは時間足りないぞとなり、一枚一枚観ていてずっと足が動かない。見飽きない構図とか美しさとか、「この瞬間を切り取りたい!」っていう気持ちがうかがえるところなど、共感できる部分が多かった。ソール・ライターの生涯における主要な仕事はファッション雑誌用の写真、つまりはコマーシャルな写真を「食い扶持のために」続けたことになるのだが、それでもやはり、当時の写真たちが放つ魅力にはコマーシャル的なもの以上の凄みがあるように思う。

 でもたまにこうして、展覧会目的で遠出すると、どうしたって「モトを取り返すぞ、モトを!」という意識で作品に向き合うものだから、いつも以上に審美眼は狂うわけだろうし、評価が「甘め」になってしまうのかもしれないが・・・それ以上に写真の持つ魅力が勝っていたと思いたい。それだけ魅了される作品がたくさんあった。ちなみにこの展覧会は来年関西にくるらしく(現地ではじめて知った)、それでも自分はこの日はここにいてよかった、と思った。なんとなく渋谷の異文化混交的な雑踏の雰囲気が、ソール・ライターの写真の主な舞台となったニューヨークのそれとシンクロしていたかのようで。

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 洋楽の邦題って、昔の時代だと、かなりよく考えられた個性的なものが付けられていることが多いが、たまに上司のSさんとの会話で、そうした古い洋楽の邦題を会話のなかで(多くは自嘲気味に皮肉っぽく)使っていくことがあり、このあいだは「明日なき暴走」(ブルース・スプリングスティーン)だった。これって汎用性の高いフレーズだと思えるが、「明日なき」+「暴走」って、立ち止まってフト考えるとちょっと落ち着かない気分になる概念かもしれない。まぁ、そこは深く考えちゃダメだ。

Boso
 
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 先日のEUフィルムデーズの京都開催でたまたま観る機会があったのが、オーストリアの映画「エディットをさがして」だった。
 1930年代のイギリスで社会派の写真家として活躍しつつ、当時のスパイ活動に深く関与していたという数奇な生涯を送ったエディット・デューダー・ハートという人をめぐるドキュメンタリー。

 映画をみる前にちょこっと予備知識を入れようと調べ出すと、キム・フィルビーという、英国秘密情報部MI6の幹部でありながら実はソ連のKGBにつながっていたという二重スパイを、最初にKGBに紹介したのがエディットだそうで、むしろこのキム・フィルビーという人物の話が、より輪をかけてむちゃくちゃ面白そうで、ちょっとマイブーム的に追ってしまいそうになっている。しかし今年の私はずっと江戸期のロシア漂流民、大黒屋光太夫の話を追うことがずっと続いているので、しばらくはこっちだけにしておきたいと思っていて、いずれにせよ最近は40歳になってはじめて「歴史っておもしれぇ!」ってなっている。どうしてもっとちゃんと子供の時に歴史を学ばなかったんだろう、と。ていうかこういうネタで歴史の授業をやったらもっと面白かったはずなんだろうけど、そりゃあ文科省の学習指導要領には挙がってこないよな、どれも(笑)

 ただ大黒屋光太夫の史実は、「過酷な状況下におかれた日本人が外国語でプレゼンテーションをすること」という視点から読み直すことで、現代人にも通じる何かを見いだせる気がしていて、その方向でフリペやZINEを書けるんじゃないかとすら思えてきている。


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