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April 2019に作成された記事

2019.04.28

旅先での「寸劇スリ」(寸劇詐欺)にご用心

 仕事の関係で、いろいろな国の領事館などがメールで配信している海外危険情報を目にすることが多いのだが、ロシアの在ウラジオストク日本総領事館がこのまえメールで送ってきた、現地で流行りつつあるスリの手口がなかなか絶妙だったので紹介したい。

 バス停や横断歩道など、そこで立ち止まって何かを待っている状況だとする。あなたの前にはアジア系観光客がいる。そこへ現地のロシア人が近づいてきて、よくみたら目の前の観光客のポケットから財布を奪おうとしている! ・・・のだが、うっかり財布が地面に落ちてしまい、あわててロシア人は逃げ去った。
 アジア系観光客はスリに狙われたことに気づき、後ろにいたあなたに言いがかりをつけて詰め寄るのである。あなたは当然自分は何もしていないと言い張るが、言葉がうまく出てこない。そこであなたは身の潔白を晴らすべく上着やカバンのポケットなどを相手に調べさせることとなり、その混乱に乗じてあなたの所持品が盗まれるという手口だ。

 領事館のメールではこれを「寸劇サギ」と書いてあって、やや緊張感を欠いたファニーな響きを感じないでもないが、他に表現しようのない的確なネーミングでもある。以前からそういうことはあちこちで行われていたのかもしれないが、私はもし自分が実際に狙われたら、たぶんまんまと被害にあう可能性は高いなぁと感じた。

 そもそも現地人のスリの役と、アジア系観光客の役という「配役」が絶妙ではないだろうか。「現地のスリがアジア系観光客を狙う」という、自分にとっても当事者性の高い場面設定のなかに一気に引き込んで、「そこにあったはずの無関係さ」をいきなり排除して、「寸劇のキャスト」に無理矢理組み入れられてしまう感じが巧妙である。

 しかも「スリが失敗する」というストーリーによって、その現場を目撃してしまった人は、いくら勇敢な性格であっても、逃げていくドジなスリをあえて追いかけようとする可能性は低くなるはずだ。場合によっては「被害にあわなくてよかったですね」と、自分から被害者役に近づいてしまいたくなる気持ちも出てくるだろう。そのうえで被害者役のアジア系観光客の予想外の反応にさらされると、冷静な判断力ができなくなる可能性は高い。

 一連の出来事すべてが自分をターゲットにした寸劇だとすると、この状況に少なくとも一定時間は巻き込まれるしかないわけで、なかなかそこから冷静になって「ひたすら逃げる」という判断はかなり難しくなるわけだ。

 よくある海外旅行先での詐欺被害の手口だと、たいていは犯人が被害者に話しかけるところから始まるので、気をつけてさえいれば警戒心マックスで状況にあたれる。よく聞く「ケチャップ強盗」も寸劇の要素があるとも言えるが、事前にそのことを注意しておけば、衣服に突然ケチャップなどがついたことを認識したら、その場で立ち止まって「どうしよう」とか思うのではなく(話しかけてくる奴をガン無視して)ひたすらその場から(できれば怒りを表しながら)離れることで事態はある程度回避できる。そういう直接的なやり方ではなく、寸劇サギは他人同士の偶発的トラブルという事態を通してターゲットの心の隙に入り込んでくるので、これを考えた人のずる賢さには脱帽してしまう。

 こういう詐欺の手口は、悲しいかな常に新しい手法が試行錯誤して開発されていき、うまくいけばすぐ広まっていくわけで、不謹慎だが「その手があったのか!」と唸ってしまう。

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2019.04.22

時代の変わり目における「かたち」

 そもそも西洋かぶれの自分はなるべく西暦を使いたいと思っているので元号は仕方なく用いているにすぎないのだが、それでも時代区分の節目に立っていることについて、どこかしら落ち着かない気分にはなっている。

 天皇が新しく即位して元号が変わったからといってもちろん何か社会が変わるわけでもなく、むしろ書類仕事的に面倒くさい手続きや調整が増えるだけで、これまでの「平成」を一挙に過去のものにしようとする政治的な狡猾さにも気をつけないといけないわけだが、そういう手触りのない時代感覚の変わり目において、改元の節目を「物理的に」味わえる唯一といっていいかもしれない場所を知ったので、この落ち着かなさを抱えつつ、思いきって東京まで行ってみたのである。

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 行き先は国立公文書館。ここでいま、期間限定で「平成」の改元の書が特別に展示公開されているのである。当時の官房長官、小渕氏が掲げたあれだ。

(写真も撮ってよかったのでうれしかった。そしてあまり客も少なかった)

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 あらためて現物を前にした直感的な印象としては、「額ってこんなにシンプルな薄めの色だったっけ」ということだ。このすっきりした感じが、書かれた文字の凛とした印象を高めている気がする(そのあとネットで当時の写真を確認すると、たしかに同じ額のように見える。まぁ、天皇が崩御したあとの改元なので、変に目立つ額に入れてもダメなんだろうけれど)。

 そして「平成」の文字であるが、やや変色した和紙の上にかすかに残る墨のかすれや、細かい部分などを自分の目で確認できたので、文字通り時代の変わり目を捉えたひとつの芸術作品として堪能させてもらった。ひとつの書にたいしてここまで自分自身を丸ごとぶつけるように見つめることは、これからもないかもしれない。

 もちろん、元号はやはり単なる記号みたいなものでしかないのだが、この紙の上に書かれた文字としての元号は、確かにほんの少し自分の人生とわずかながら重なったわけで、それなりに「手応え」を感じることはできた。時代性にたいして「手応え」を覚えるのも変な話かもしれないが。

そうして、そのあと出口の近くになると、複製ではあるけれども日本国憲法の「前文」の文書が展示されていた。その前文をあらためて当時の空気感を想像しながら黙読することで、やはりどうしたってこれは格調高く心に響く日本語の文章だと再認識させてくれた。浅はかな政府と広告代理店なんかが結託したかのように打ち出すキャッチコピーまがいの政策ワードとは雲泥の差であって、そういう部分でも公文書館に来てみてよかったと思った。あぁ、平成は終わる、本当に終わる。終わってしまう。そして相変わらず不安げな政治的統治はこの国で続く、それだけだった。

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▲自分の影とかさねて「平成」を写し取ることのできる場所。

 

「平成の書」は現在の特別展「江戸時代の天皇」の期間中、ゴールデンウィークいっぱいは一般公開されているようだ。

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