« December 2019 | Main | February 2020 »

January 2020に作成された記事

2020.01.03

『キネマ/新聞/カフェー:大部屋俳優・斎藤雷太郎と「土曜日」の時代』、そして『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』のこと

200103top

 あけました。今年もよろしくお願いします。


 年末から年始にかけてブログを書きあぐねていた。単にダラダラしていただけなのだが、年末に読んだ2冊の本のことを書こうとしていて、うまく消化できていないのか、コトバにできなかった。それでも正月明けのこの時期には、少しは気合いを込めて文章を書いてみたいと思う。

 強引にまとめると、この2冊を私は同じようなテーマをもって読んでいたといえる。そのテーマとは、「一人の人間がコツコツと何らかの活動を続けること」だった。

『キネマ/新聞/カフェー:大部屋俳優・斎藤雷太郎と「土曜日」の時代』(中村勝・著 井上史・編、ヘウレーカ・刊)は、1930年代に京都のさまざまな映画撮影所を転々としていた無名の大部屋俳優、斎藤雷太郎が「読者が書く新聞を」の想いで手弁当で『土曜日』という新聞を発行し、やがて反ファシズムの文化運動として弾圧されていった、その歴史を描いている。


キネマ/新聞/カフェー――大部屋俳優・斎藤雷太郎と『土曜日』の時代

中村 勝
ヘウレーカ (2019-12-14)
売り上げランキング: 86,700


 この本の主役である斎藤雷太郎は、困窮のなかから家具職人になり、ひょんなことで舞台・映画界に関わっていくようになり、そのなかで激動の世情をまとう政治や文化に関する見聞を独学で身につけつつ、映画界の不安定な世界を必死に渡り歩きながら、1936年に『土曜日』という新聞を創っていく。「読者が書く新聞」を目指す以上、執筆者たちには平易な文章を徹底して求め、さまざまな層の読者に届かせることを強く重視したり、また今も京都に残る「フランソア」のような喫茶店に設置してもらって販売網や読者を広げていくというアイデアなども斎藤による工夫の表れであった。

 そしてやがて迫り来る言論弾圧の流れのなかで斎藤たちの活動も押さえられることになるのだが、驚くべきはこうしたインディペンデントの新聞事業を「黒字」のままで運営できていたことであった。これはもう相当に凄いとしか言いようがないわけで、こうした活動における「高い理想や主義主張と、経済観念のバランス」の取り方が示唆するものは興味深いところである。原稿を依頼する学者先生たちとの協動に苦心しつつ、広告主への営業をかけていき、そうして読者からの声も紙面に反映させて、どんどん流通を工夫して発信を続けるという、この絶妙な舵取りを最後まで「黒字」でこなしていった斎藤雷太郎の人物としてのずば抜けた興味深さが浮かび上がってくる。

 そしてこれはありきたりな感想になってしまうが、斎藤雷太郎が目指していたものは、そのまま現代におけるSNSの仕組みに近いところにあったわけである。だが、SNSでは成し得ない独特の機能が『土曜日』の試みにはあり、それはカフェで新聞を囲んで議論をするというような、生身の人間同士のかかわり合いを創出することであった。そういう意味では「紙の発信」の普遍の強みみたいなものも伺えて、そこが個人的には感じ入るところでもあった。

 この本は著者である中村勝が、晩年の斎藤雷太郎への取材を通して80年代に京都新聞紙上で連載をした内容がメインとなっており、その中村氏が昨年に急逝したことを受けて、有志の尽力によりこのたびの刊行となった。ゆえに読者は、当時の新聞連載の記事内容と、その斎藤雷太郎の活動を追ったジャーナリスト・中村勝の想いといったもののはざまで、ふたつの次元で対話をするように読むこととなる。新聞連載時から幾年も過ぎたあとの今の時代だからこそ語り得る、編者たちによる解説・解題によって、最後の最後でうまく腑に落ちていく感覚があった(たとえば新聞連載では、途中から話の主題が当時の京都の映画産業をめぐる精緻な歴史事実の整理がひたすら続くような様相を示していくことになり、本来のテーマからどんどん離れていくような不安を覚えるのだが、それもまた当時の新聞連載の独特の雰囲気を想像しながら読むほかない)。
 あと巻末には、この本のために書かれた、斎藤雷太郎の息子さんによる寄稿があり、これがじつに素敵な味わいのエッセイとなっていて、斎藤雷太郎の人となりが温かい手応えとなって残った。

 

そして年末を飾ったもう一冊の本は『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』(デイヴィッド・マイケリス・著、古屋美登里・訳、亜紀書房・刊)である。スヌーピーの漫画『ピーナッツ』の作者についての決定版ともいえる重厚な評伝で、待望の翻訳が刊行された。


スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝

デイヴィッド・マイケリス
亜紀書房
売り上げランキング: 94,098

 

 この本をひとことで表現するとなれば「ダークサイド・オブ・ピーナッツ」と言えるもので、訳者あとがきによれば、取材協力した遺族からは出版された内容をみて憤慨されたようで、このあたりはジャーナリズムのあり方としても非常に難しいところではある。残された手紙や資料なども駆使し、作者シュルツの暗部にもしっかり踏み込んで書ききっているため、『ピーナッツ』の漫画にたいする理解がさらに深まっていく(人によってはショックを受けたりもする)本となっている。


 私はかねてから、いわゆるキャラクターグッズの商標として用いられる『ピーナッツ』のキャラクターが表象するかわいらしくて無邪気な雰囲気とは裏腹に、原作の漫画について語られる、独特の辛辣さや寂しさみたいなものがどうしても気になっていて、この世界を創造した作者シュルツの個人史が大きく反映されているという説にずっと関心があった。なのでこの本を読むと「やっぱりそうだったのねぇ」と、まるで長年の問いにたいする答え合わせのような部分があちこちで顔を出すのである(たとえば、子供と犬しか登場しない漫画を描き続けてきたはずの作者シュルツ自身は、実生活では子供が苦手で嫌いだったりしたようである。でもだからこそ客体として突き放した角度から眺め、漫画として表現しやすかったのかもしれない)。

 そしてこの本でたびたび驚かされるのは、そうしたシュルツ自身の生活における浮き沈みにまつわるさまざまな感情的発露が、その当時描かれた漫画の端々に暗に込められていることを、評伝の著者が漫画作品の引用を通していくつも示唆していることである。つまりシュルツは、周囲の人間を信用していない代わりに、全世界にいる漫画の読者にたいしては自らの気持ちをペンを通して秘やかに吐露していくことで、なんとかバランスを取っていたことが伺えるのである。どれほど作品が成功を収めても常にあらゆることに不安を抱え、表向きは謙虚でも、その内側では途方もない野心と対抗心を燃やし続け、漫画を描くこと以外の自信は得られず、画板の前に座りペンを動かすことによる平穏だけを求めて苦悩の日々を過ごしていたシュルツの姿が想像される。

 あと私がとくに気になっているのは、シュルツの漫画家デビュー前の軍隊時代の部分である。著者はアメリカ人だからかそのあたりはあまり重視しなかったのかもしれないが、軟弱な(?)子供時代を送ったはずのシュルツ青年が、病死で母親を失った直後の失意のなかで入隊させられた軍隊で、どういうわけか驚くほど順応し、階級も上がっていき部下からも慕われる軍人に成長してその任務を全うしていくのであった。絵を描くこと以外においては「何をやってもダメで悩み多きチャーリー・ブラウン」そのままのような子供だったはずのシュルツが、アメリカの軍隊というシステムのなかで極端に順応していった(させられた)ことについて、私からすれば「そこにこそシュルツのその後の人生全般における屈折した何かを読み解くカギが眠っているのではないか」と思えてしょうがないのである。(アーティストと軍隊生活という意味では、最近の映画『トールキン 旅のはじまり』にもつながるテーマかもしれないが)。

 この本のエッセンスが見事に凝縮されたと思える一文が446ページにある。

敵の縄張りにいる感覚、悪意のある攻撃を受けている気持ち、ウェイトレスと戯れて恋愛に発展する可能性(シュルツの両親の出会いがそうだった)、遠くのどこかにいるまだ見も知らぬ素敵な少女――そういったものすべてがシュルツがこれまで体験してきたテーマだった。それが田舎育ちのいとこのなかでたったひとりの都会っ子として、美術部の生徒たちのなかで自分のあり方を求めていた孤独な高校生として、フランスからドイツに侵攻していった陸軍歩兵として、さまざまな編集者に次々に拒絶されてきた大志を抱く漫画家として、自己矛盾を抱えた60年代の有名人として(「一瞬にして持ち上げられたと思ったら、次の瞬間には地面に叩きつけられている」)、愛されたことがあるかどうか疑っている永遠に少年らしさが抜けない、永遠に孤独な男として生きてきたシュルツのテーマだった。

 

 ちなみに時を同じくして、河出書房新社からは『完全版ピーナッツ全集1950~2000』が刊行されることとなった。谷川俊太郎の日本語訳で古くからたくさんの単行本が刊行されているが、全作品を収録する全集としては意外にも日本初の試みということで、全25巻が刊行予定となり(さんざん逡巡したあげく私も発注した)、このタイミングでの『シュルツ伝』の刊行の意味はとても大きかったと思う。

ちなみにこの『全集』の各巻での装丁デザインは、どういうわけかキャラクターの顔に「影」がかかっているところが、非常に興味深いのである。『シュルツ伝』を読み終えた読者の目には、その陰の部分にこそ、この膨大な漫画作品の本質的な何かを感じ取ってしまいたくなる。

200103

そういうわけで、この年末には「自らの信じるものごとをコツコツと探求し続けてきた人」の本を読みきったわけだが、そういえば12月初旬には、「自らの信じるものをひたすら歌い続けてきたロックバンド」であるU2の来日公演を体験していたこともブログにはまだ書いていないことに気づく・・・その話はまた今度で。今年もできるかぎりコツコツ文章を書いていきたい。

 

| | Comments (0)

« December 2019 | Main | February 2020 »