サイドカー問題のその後
2ヶ月前、4月にこのブログで「サイドカーが欲しい」という鍼灸師の先生についての記事を書いた(こちら)。
鍼灸師の先生のところにいくのは月に一回なので、記事を書いてからまた一ヶ月後に行くと、
「ちょうど先日、中古バイク屋さんで契約をしてきました」とのこと。
話はすっかり突き進んでいた様子。
最大のハードルであった家族にも、無事に説明を果たしたとのこと。
そしてさらに一ヶ月が過ぎた先日のこと、雨降りのなか、鍼灸院を訪ねた。
鍼灸院は先生の自宅と併設されており、入口の駐車スペースに、象の頭のハリボテでも置いているのかと思えるような、グレーのシートに覆われた大きな固まりがあった。
シートで被さっているため、いったいこれが何なのかが判断しにくいので、この家の前を通る人は気になるかもしれない。これが「自分のサイドカーを所有すること」なのかと、鍼灸院の入口の前で私はしばし突っ立って、この状況を味わわせてもらった。
(今日は雨だったので、シートをはがして実際のバイクを目にするのは次回以降の「おたのしみ」にさせてもらった)
わずか2ヶ月のあいだに、本当にサイドカーを自宅に迎え入れた鍼灸師の先生、「乗るときのことを考えると夜寝られないぐらいワクワクすることがある」と子どものようなことを言う。でも実際、そうなんだろうなぁと思う。いつでもこの巨大な象の頭、いやバイクにまたがって発進できるとなれば(バイクを持つことが久しぶりであればなおさら)、乗りたくてしょうがなくなるだろう。
そしてこのコロナ禍で自分を平静に保つための趣味として、バイク運転は適切なジャンルの趣味かもしれないと思えてきた。風を受けて自由を感じながら走行を楽しむという行為には、この閉塞感あふれる状況においてはとても魅力的である。
ただし時期的に雨が続いていたので、先生はまだ2回しか運転していないとのこと。なので、まだ家族も隣に乗せて走ってはいない。
先生いわく、つい昔のクセで道路の中央を走ってしまいがちになり、特に交差点で右折しようと止まっている先行車の車をよけて直進しようとするときなど、今までにないぐらいの「大回りで動く意識」がないと危ないということを言っていた。つまり「自分はとても変わった乗り物を運転しているのだ」という自覚をずっと持っていないといけないわけである。
そしてこの変わった乗り物を公道で運転する以上、「見られる意識」はより高まるため、「何を着ていくか」も重要なファクターとなり、また同乗者となる家族についてもヘルメットやその他のギアを準備する必要があるために、これでいっそう支出がかさむ可能性が高まるという、至極当然の成り行きについても我々は真剣に話し合った。というわけで、毎月一度のペースで鍼灸院で鍼を打ってもらっている時間は、「結局、どんな趣味をするにしてもお金がかかって大変よね」という人類不変のテーマについて堂々めぐりの議論が続いていくのであった。
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