ふと思い出した、あるロンドンの朝のこと
2度目にロンドンに行った2005年4月のときのこと。
旅の終盤、ロンドン中心部から西のほうにある町で、B&Bの民宿を1泊だけ利用した。住宅街は同じようなデザインの家屋が並び合っていて、静かな街のなかにあったその小さな宿の名前は「HWANY HOUSE」といい、私と同い年ぐらいの日本人女性と韓国人男性のカップルが経営していた。
宿とはいえ、さすがに普通の家であった。イギリスの住宅の中で過ごすのは自分にとって新鮮な体験だったのだが、人の家だということで写真をあちこち撮ることは当時の私も控えていたらしく(上に載せた写真ぐらいは撮っていた)、宿主のお二人の写真も撮ったりしていなかったので、今となってはあらゆる印象がおぼろげである。当時あったホームページも今は存在していないようで、現在ここがどうなっているのか、そして宿主さんたちはどうしているのかも分からない。
それでもずっと記憶に残っていることがあって、それは朝食のときの情景だった。家の玄関口の狭さのわりに、広く感じるダイニングルームが奥にあり、宿泊客がそろって同じ時間に顔を合わせてテーブルを囲むという形式だった。そこではあらゆるものが白色を基調としていた印象があって、テーブルも食器も床も壁も、そして大きな窓から差し込む光も真っ白なぐらいに、思い出のなかでずっとそこは白い世界である。
そんななか宿主の日本人女性が食事の配膳をしつつ、宿泊客の会話に混じり、お互いが自己紹介をするような流れを作ってくれていたように思う。そのときは私を含めて4組か5組ぐらいの客がいて、全員が日本人だったと思う。
そのうちの2組のことはまだ記憶にある。まず私と同年代ぐらいの男女ペアがテーブルについていて、職場の先輩と後輩の間柄とのこと。後輩である女の子のほうは、恋人同士という関係に加えて「先輩についていってロンドンまで来ました、押忍!」みたいなコミカルな雰囲気だった印象が残っている。
もう一人は、自分より少し年下だと思えた男の子で、職業は「プロのゲーマー」だという。スポンサーの支援を受けながら、世界のあちこちで開催されるゲーム大会を転戦しているという(日本ではメジャーではない系統のパソコンゲームの大会だったと思う)。そういうことで生活を送っている人がいることに驚かされた。彼とは朝食のあとにも少し話をさせてもらって、愛用のキーボードを商売道具のようにカバンに入れて世界を回っている姿には感じ入るものがあった。後になって自分自身もパソコンのキーボードにこだわりを持つようになった遠因は、彼との邂逅だったかもしれない。
あともう1組か2組のお客さんがいたと思う。思い出せなくて申し訳ないが、ともあれこのようなメンバーで、4月のある朝、西ロンドンの住宅地の片隅で食卓を共にしたわけである。
ただし正直なところ、普段の私であればこういうシチュエーションがとても苦手なのである。私はその宿で一泊しかしなかったので、ここでの朝食は最初で最後である。そして全員見知らぬ人で、一緒に朝ごはんを食べる。どちらかというと一人旅のときはどこまでも無愛想にたたずんで食事することを好むのだが、この状況ではどうしたって自己紹介やら世間話やらをしなければならない。うん、とっても苦手だ。
しかし不思議なもので、もしかしたら海外旅行特有のテンションというものがあるのか、この日の朝の自分は、とても饒舌だったことは確かだった。「旅の恥はかき捨て」ということが気をラクにさせていたのか、私はどういうわけか、率先してこの日のテーブルの客それぞれに話しかけて、お互いがお互いのことをよく知れるように会話を引き出し、身の上を語り合えるような雰囲気をリードしていたのであった。
それはあたかもテレビで明石家さんまがやるような、それぞれに笑いのポイントを引き出しながら次々とゲストの面白さを誘発していくような役回りであり、テーブルの会話はとても盛り上がったので、最終的には宿主の女性からも
「タテーシさんって、おもしろいですねぇ!」
と言われて、そこで我に返ったのである。
「あぁ、確かに自分は今、すごく面白い人になっている」
という実感がすごくあって、それはとても気恥ずかしくも心地よい感覚であり、あの白い食卓の空間のなかで、自分自身が別の人になっていったような、なんとも不思議な手応えとして記憶に残り続けている。
もうあれから17年も時間が経ってしまった。あの先輩後輩のコンビはその後も二人の旅を楽しく過ごしていったのだろうか。そしてあのゲーマー青年は今もどこかで戦っているのだろうか。人生のある時季の巡り合わせにより食卓を共にした我々であるが、おそらくあの日の朝の自分が、今のところ人生で一番面白くて社交的なヤツだったのだろうと思われる。面白さの最大瞬間風速みたいなものだ。そこをもっと普段でもコンスタントに発揮できるようにしていきたいところであるが、さてどうだろう。
ちなみに宿を出発するとき、見送ってくれた宿主さんに、「ロンドンはいいですねぇ。ロンドンに住んでみたいです」とつぶやいたら、とてもあっけらかんとした調子で「住んだらいいんですよ!」と言われたことも強烈に覚えている。そこには何の障壁もないように、一つの世界から一つの世界への移動は、まるでクツを履き替えるぐらい簡単なことなのだと言わんばかりのテンションで返されたのだった。その後も私は何度もロンドンの地を踏むことになるのだが、そのたびにリフレインするのはあのときの宿主さんのコトバだったりする。
さらに、ちなみに・・・このときの旅の主な目的はサッカーで、チェルシーFCの50年ぶりのリーグ優勝を見届けたく渡航のタイミングを見極めてプランを練ってホームゲームのチケットを手配した結果、実際には優勝決定の一歩手前、勝てば王手をかけるという試合(そしてバナーを掲げる私の姿がテレビで抜かれるという、狙い通りの幸運もあり)に立ち会うこととなったわけだが、奇遇にもあのB&Bの宿主のお二人もチェルシーのファンだというので、それがまた嬉しかったなぁ。
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