仕事でバナーを手に立ち続けて気づいたこと
私は事務員として大学で働いているが、キャンパスの最寄りの駅から少し歩いたところに専用のスクールバス乗り場があり、4月ごろは新入生をはじめ多くの学生が利用するので最も混雑する。なのでいつもこの時期はバスの運行会社の人とともに、職員も交替で当番を決め、大学名の入った腕章を巻いてバス停付近の混雑対応にあたることになっている。
このとき学生たちに求めることは、「狭い歩道に広がって歩かず、一般通行者のジャマにならないように気をつける」ということだ。
とはいえ、一人で来る学生は往々にしてイヤホンを耳に差しておりこちらの声を聴くつもりはなく、私としても「だーかーらぁージャマになってるから歩道の端に寄れって言ってんだろおおぉーーがあぁーー!!」という旨のメッセージを(かなりソフトに変換して)大声で何十回と繰り返すのも、しんどい。
そのため、私はこの業務にあたるとき、いつも自主的に以下のようなバナーを作って立つようにしている。
このようなバナーを学生に見せて、道の左端を歩くように仕向けつつ「おはようございます」というフレーズを連呼するほうがお互いの精神衛生上にも良いだろうと思っている。
また、バナーを持って立ち続けることで、ここを通過する地域住民にも「当大学はこのバス停周辺における交通環境の安定化に最大限の努力を行っている」ということが視覚的にも伝わってくれたらいいなという、小賢しい目的も密かにある。
(そういうことを私が意識するようになったのは、学生時代に公共空間における落書き/グラフィティを消去しようとする地方自治体の動きを追っていた時期、調査に応じてくれた役所の担当者が「街中で目立つ落書きを我々が消そうとする作業そのものを、近隣住民に見てもらうのも防犯対策事業の目的のひとつ」とキッパリ言ったことによる知見に基づいている)
こうしたバナーを用意して待ち構えることは自分にとって普通のことだと思っているのだが、同僚である教職員の面々が学生にまじってスクールバス乗り場に向かうとき、こうしたバナーを手にしたタテーシの姿に出くわすと、人によってはどういうわけかクスクス笑いを誘うようで、なんだか可笑しさを感じさせるらしいのである。
私としてはこの現場においてできる限りの効果的な方策を熟慮した末にこの「バナーを見せる」という方法をあみだしたつもりである。そして多くの教職員が毎年私のバナーを見てきたはずなのだが、毎年この業務において事務局で作られる簡単なマニュアルにおいて、いまだに「バナーを持って立つ」という指示が書き加えられる様子はない。やはり「なぜか笑える感じ」が漂うからか、私としても自分からは積極的に「バナーを作って持った方がいいですよ」とは進言しにくいのである。
なので毎年、私は無言のうちにバナーをプリントアウトし、折りたたんでカバンに忍ばせて、翌朝に朝日のあたるバス停につづく歩道へたどりついたら、同じく整理業務を担当する同僚やバス会社の人々と軽い打ち合わせをして持ち場について、ひとり静かにバナーを広げるのであった。
そうして今年も桜の季節を迎え、つい先日も同じようにしていたわけだが、今回ここで初めて「大きな気づき」を得たのだった。
ようやく、分かったのである。
これは、私がこの10年あまりにわたって少しずつ親しんできた新しい趣味である「市民マラソン大会を沿道で応援する人」と、構造的にまったく同じことをしているのである。
走ってくるランナーにバナーを掲げて応援している沿道の客と、次々やってくる学生に声をかけながらバナーを見せてこちらの思いを伝えようとする私の姿は、やっていることが同じなのである。
さらにいえば、別の趣味であるモータースポーツにおける「ピットウォールでサインボードを掲げるスタッフ」とも、やはり同じような構造なのである。
だからこそ、このときの私はおそらく不気味なほどに満足げな雰囲気で歩道に立っているのだろうと思える。
そりゃあ、まぁ、苦笑してしまうわな。
Comments
バナーの表記は
「左側通行、ブラボォーーー!!!!」
で是非♪
Posted by: ねこじし | 2023.04.18 17:08
ねこじしさん>たしかに左側通行してくれたらブラボォーと褒め称える気持ちに間違いはないのですが、朝イチから暑苦しいヒトみたいになりますね(笑)
Posted by: タテイシ | 2023.04.18 22:22