2024年正月:不安と憤りと川魚と所ジョージ
「よいお年をお迎えください」と言っていたそばから、いざ正月を迎えると激しい地震に見舞われ、北陸にいる友人たちは無事で何よりだったが落ち着かない日々が続いている。被災された方々にはお見舞い申し上げるとともに、すみやかに日常が取り戻せますように・・・とお祈りするしかない。
しかしそれにしても今回は政府の対応の遅さや、相変わらず神経を逆撫でする首相の言動などが過去にも増して目に余る。それでも暴動は起こらず投票率も低くて国民は政治に無関心でいてくれる状況を維持して改憲できると政権は踏んでいるわけだが、どうも近年の動きが「わざと批判を生む&開き直る&その状況に慣れさせる」という方向性にシフトしているようで、そこの「不可解なまでにわざとらしく醸成させた陰湿な不快感の押しつけ」をあちこちの分野にしれっと浸透させていきたがる狙いは何なんだろうかと、年明けから考え込んでしまう(例えば大阪万博のあのマスコットキャラクターにも同じ臭いを感じている)。
不安と憤りばかりの正月になってしまうが、負けじと普通に2024年最初のブログ記事を書く。
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年末に、あるお店で川魚の料理をいただいた。
塩焼きにされていて、身をほぐすのにちょっと手間取るやつである。
こういうときにいつも思い出すことがある。
学生時代、遠方に住む友人を訪ねて旅行し、そこで友人のご両親に地元の居酒屋に連れて行ってもらい、たくさんごちそうになった。
そこでたまたまサンマの塩焼きをいただいたのだが、そのときの私のサンマの食べっぷりを、友人のお父さんがいたくホメてくれたのである。
確かに私は以前からサンマを綺麗に骨だけ残して食べることにこだわりを持つようになっていたのだが、それを改めて人生の先輩から賞賛されると「そうか、これは自分の取り柄なのか」と新鮮な気持ちになったとともに「単に食い意地が張っているだけなのかもしれないが・・・」という照れくささが、当時の記憶としてある。
そんなわけで「私は魚を綺麗に食べる人なのだ」という妙な自負があり、そこで今回の川魚と向き合いながら気づいたのは「もはや魚を食べることはアートなのかもしれない」ということだった。
「魚そのものをじっくり味わえよ」とひとりでツッコミを入れたくなるほどに、小さい骨だらけの中からいかに身をはぎとりつつ、できるかぎり元の骨格を残すかという課題に没頭していたわけだが、この作業は無心に何らかの創作物を作りあげる時間に似ていると思えてきたわけである。小さい子供が魚を食べるのを嫌がるのは無理もない。なぜなら技芸としてのアートを求められるからである。すべての子供が図画工作を好きなわけじゃない。
意地になって苦闘しつつ、なぜこんなことに時間と手間をかけているのかと自問しながら、アートへの希求だけではない、もうひとつの想いが浮かんできた。
それは「自分なんぞに食べられてしまう運命となったこの魚に、少しでも恩返しできることがあるとすれば、綺麗に食べることしかない」ということだ。これはおそらく、小さい魚は「一匹全体をまるごと自分だけがいただく」という状況だからかもしれない。サーモンの切り身を食べるときには、あまりそういうことに思い至らない。鶏肉や牛肉も同様に。
本来なら食事をいただく基本姿勢として常々そうした意識は大事なのだが、ついぞオトナになるにつれ忘れがちになっていることにも気づかされた。ありがとう魚。
そうしてできあがったアート作品は誰かに鑑賞してもらいたいという欲も出てくる。そしてこの場合、おそらく地上で唯一の鑑賞者は、私が店を出たあとに食器を片づけにくる店員さんであろう。でもわざわざその店員さんも、この皿に残された「骨格標本かよ!」と言いたくなるような「作品」の存在に気づいてくれない可能性のほうが高い。
それでも、うまくいけばもしかしたら「こんなに綺麗に食べてもらえましたよ」と、厨房にいる料理人にも共有してくれるかもしれない。店員さんよ、インスタにあげたっていいんだぞ。
「そう、目指すべきは人に見せたくなるぐらい美しく食べ尽くされた魚なのだ」と自分に言い聞かせると、より丁寧な箸づかいを心がけ、慎重に作業を進めていく意欲が高まるというものである。
仕上げには、お皿に添えられていた大きい笹の葉っぱを、わざわざ魚の下に敷いて、骨の白い造形が緑色の背景に映えて見えるように工夫してみた。しかし今になってこの文章を書きながら冷静に振り返ると、さすがにやりすぎだったかもしれない。
こういう行為に走りたくなる遠因をたどると、小さい頃にテレビで観た所ジョージに行き当たる。
何気ないトークのなかで、所さんは「レストランの食事が美味しかったら、自分の皿にソースとかで『うまい』って書き残してお店を出る」というようなことを話していて、なぜかそのことがずっとアタマに残っているのである。子供心に「自分もそういうオトナになりたい」と思ったんだろう。そして実際にはどうなんだろう。
・・・そんなことを思い出したので、雑誌『世田谷ベース』のバックナンバーで「所さんのお悩み相談室」の特集号が手元にあったはずだと書棚を探し、パラパラとめくってみると、こんな所ジョージの言葉に出会った。
「歳を取りたくないっつっても取るんだから。自分がやがてなるものをマイナスに思ったらダメ。自分がやがてなるものはプラスに思わなきゃ」
なるほど・・・ということで、引き続きできるだけ楽しく歳を重ねていけるようにしたいと改めて思わされる新年であった。
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