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August 2024に作成された記事

2024.08.17

ラヴェル「ボレロ」とドリフ大爆笑

あまり普段からクラシック音楽を聴くわけではないが、「ボレロ」は昔から一番好きな曲かもしれない。

この夏に映画『ボレロ:永遠の旋律』公式サイトはこちら)が公開されることを知り、それとなくモーリス・ラヴェルとその代表曲「ボレロ」について改めて調べてみると、この曲は1928年に発表されていて、ラヴェル自身は第一次世界大戦時に従軍経験があり、いわゆる戦間期を生きた人ということで、「この曲って、そんな最近に作られてたんですか!?」となり、そういうことを今までまったく知らずに「ボレロはいいな」となっていたことを強く反省し、ラヴェルさん申し訳ありませんでしたという気持ちでさっそくこの映画を観に行ったわけである。

Bolero

私にとって「ボレロ」の最大の魅力を挙げるとすると、これは「人間の一生」を感じさせる楽曲だからである。なぜそれを確信させるかというと、この曲の特徴である「規則的なリズム、パターン化されたフレーズの繰り返し」というのが「人工的」だからである。人工的というのが、ひるがえって「人の手によるもの」を強く意識させるというのが興味深いところであり、この曲は「大自然の雄大さを表現してみました」とかいうのではなく、徹底的に「人間そのもの」を追求した音楽なのだとずっと感じていた。

で、この映画の冒頭ではラヴェルがダンサーのイダ・ルビンシュタインを伴って工場を訪れるところから始まり、絶え間ない機械の作動音のなかから生じる「音楽」を感じてほしいとラヴェルがイダに力説しようとする。映画のパンフレットのなかでも、ラヴェル本人がこの「ボレロ」を工場の機械からインスピレーションを得て作ったと発言していたことが書いてあり、あぁやはりこの曲は自分がそれとなく感じ取っていたとおり「人工的なコンセプト」で生まれたのだと改めて認識できたのは個人的な収穫だった。

そんな「ボレロ」という曲は、さまざまな楽器がそれぞれ同じフレーズを順番に演奏していき、それらがだんだんと厚みを増して最後にひとつの荘厳なサウンドへ昇華していくさまが、まるで人生のその時々の出会いや出来事が積み重なっていくかのように感じられる。つまり生涯の終焉に向かっていくなかで「人生で起こったことはすべて意味があったのだ」というような想いに至る、ある意味での「調和」として結実していくような、そういうイメージを強く喚起させるところが魅惑的である。

でも今回の映画を観るまでまったく知らなかったのだが、この曲はイダが踊るためのダンス曲として依頼を受けて作曲に取りかかったもので、つまりは締め切りに追われてなんとかギリギリのところで生み出された仕事なのだった。

「人生の調和」とか言っている場合ではないほどに、プレッシャーのなかで極限まで追いつめられてインスピレーションを得るべく苦闘した末に生み出された曲「ボレロ」は、結果として誰しもが認める傑作となり、歴史に残る名曲へとなっていくのだが、しかし実はその影でラヴェル本人はこの曲を憎むようになってしまう・・・という知られざる秘話がこの映画の見どころの一つになるわけであるが、「創作した本人でも計り得ない強大なパワーを持つに至った芸術作品」というのは、得てして作り手である本人をも飲み込んでしまう、そういう底知れぬ危険なまでの魅力があるわけだ。

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ところで、この「ボレロ」という曲について個人的にずっと不満に思ってきた点が一つだけあって、それは曲の終わりかたについてである。

静かな雰囲気から始まり、打楽器のリズムだけは通底音として規則正しく続いていき、だんだんとクライマックスに向けて盛り上がっていく展開の曲にあって、どうも終わりかたが性急な感じがして、せっかくここまで積み重ねてきた聴き手の高揚感のやり場が、なんだか急にあっけなくストンと奪われるような、そういう感覚が拭えないのだ。

で、これを書くと熱心なファンから物を投げつけられそうだが、私はそんな「ボレロ」の「急な終わりかた」に、どうしても昔の「ドリフ大爆笑」のコントをなんとなく連想してしまうのだ。コントのオチがついて、いかりや長介がカメラ目線で「ダメだこりゃ」とつぶやいて「♪チャララ~ン、テンテケテン!」といった感じで終わっていく、あのシメのBGMっぽさを想起してしまうのである。
すまん、ラヴェル。

そういうフトドキ者がこの映画を観ているもんだから、劇中でラヴェルがこの「ボレロ」の曲の構成について説明をするシーンでは、つい手にチカラを込めて見入ったわけである。そこでは「最後に激しく爆発して、人生のように終わる」というようなセリフが述べられていた。映画なので実際にラヴェルがそう言ったかどうかはもちろん定かではないものの、このセリフを私は「なるほど、人生か・・・」と襟を正す気分で受け止めた(あ、ウソ、Tシャツ姿で観てました)。

映画を通して考えてみると、この「人生のように終わる」というのは、ラヴェル自身のライフヒストリーを思うと共感できるような気がした。やはり彼にとって戦争体験の影響を免れることはなかっただろうし、ラヴェルは体格的に恵まれていなかったことから、本人としては不本意ながら救護班や物資の運搬役として兵役についていて、それゆえにたくさんの兵士たちの生死の境に立ち会いながら極限状況を渡り歩く役目を担っていたことがうかがえよう。そしてさらには最愛の母を戦争期のまっただ中に失い、そこからしばらくは音楽活動もできなかったほどに衝撃を受けたわけで、突然に大事なものが失われていくという彼の死生観やトラウマみたいなものが少なからず戦後の作曲活動のなかに反映されていったとしても不思議ではない。

その一方で野暮な見方をしてしまうと、「ボレロ」の作曲というものが締め切りのある仕事だったということで、依頼を受けたダンスの時間枠という「商業的な制約」も強く意識されていたために、理論上は延々と続けることができる感動的な旋律であっても「ハイ、時間がきました! ここでダンスは終わり! 仕事完了!」というノリで曲を締めくくった、という可能性もある。本当はこっちのほうが実情に近いのでは・・・と思えてきて、私はそんなラヴェルさんの肩をたたいて労いの言葉をかけてあげたい気分にもなったわけである。

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2024.08.08

キノコ雲に誇りを持っている街で生きること:映画『リッチランド』

 以前、長崎を訪れて原爆資料館を見終わったあとに「展示物の数が少なくて、こじんまりしていた」という印象が残った。しかし後々になって、それはつまり「残せるものが存在しないぐらいの破壊力であったのでは」と気づき、思わぬ距離感からの恐ろしさが追随してくるような気持ちになった。

明日8月9日は長崎に原爆が落とされた日であるが、来年はついに戦後80年ということで、私たちも遠くに来てしまった感がある。

そんななか、いまドキュメンタリー映画『リッチランド』が上映されている。

Richland

アメリカのワシントン州の南部にあるリッチランドという街は、郊外のどこにでもありそうなおだやかな町なのだが、ここは戦時中にマンハッタン計画を極秘に進めるべく、さまざまな地理的条件から見出され、核燃料の生産拠点として戦略的にテコ入れが図られた街なのであった。

長崎に落とされた原子爆弾「ファットマン」のプルトニウムはこの街で作られたとのこと。

「日本に原爆を落としたことで戦争を早期に終わらせた」というアメリカ人の主張はよくあるわけだが、そこからやがて冷戦期に突入すると、結局は当初の思惑以上に、この核燃料産出エリアの重要性は高まっていき、戦後もどんどんと街は発展していく。

ちなみに「リッチランド」という地名は、この土地に町を作ることを決めた際に、当時の州議会議員の名前にちなんでつけられたとのことだが、どうしたって原子力産業の名の下において金銭的な豊かさを享受する「リッチ」に由来したんじゃないかと曲解したくなるような、なんともいえない「皮肉」を感じてしまう。

本作の映画監督、アイリーン・ルスティックのまなざしは、それでもかなりフラットな視点を維持しようと努めている。原爆をつくり、そしてコミュニティへの環境汚染が懸念されつつも、それでも「街の発展、家族の豊かな生活」もまた、リアルに重要なことであり、一方の意見に簡単に寄りかからない粘り強さをもってカメラを回し続けたのだろうとうかがえた。

そうしてこの映画では、この街の平和そうな暮らしの様相を捉えながらいくつかの論点や課題をじわじわと提示していくのだが、私が一番感じ入ったのは地元のリッチランド高校のことである。この高校の校章は見事にキノコ雲そのもののイラストであり、アメフト部の愛称は「ボマーズ」という、私の感覚から言えば直球すぎてどこまでも痛々しいわけであるが、それだけ街の人々はキノコ雲に誇りを感じており、街の基幹産業へのリスペクトを再生産させてきたわけである。

映画の途中で、そんなリッチランド高校に通う生徒達の一部がカメラの前で思い思いに語り合うシーンがあった。もちろん、このドキュメンタリー映画に出ることを承諾したような生徒たちであることを差し引いて彼らの言葉を聞くべきなのだが、そんな彼らは素直にこの校章の超絶なダサさをどうにかしたいと思っており、そして自分たちのその思いをつきつめていくと、それがアメリカという国や、それを取り巻くさまざまな国際政治の根幹の部分にまで及ぶことを鮮やかなまでに思い至らせてくれる。

そうして、きっとこの彼らたちがなんとか自分の考えを大事にしようと苦心しつつも、教室に戻るとその信念はマジョリティに圧倒されてしまうのであろうこともどこかで感じさせたりもする。それゆえに、私はこの彼らの実直なディスカッションのシーンが強く心に響いて、残った。こういう若者たちが終わりのない議論の境界線上で踏みとどまってくれている限り、希望は全然捨てなくていいのである、とあらためて力強く思えたのであった。

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