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December 2024に作成された記事

2024.12.29

失われた12.28秒を求めて

Tower-1

 旅行で初めての街を訪れると、私はできるだけまず最初にそのエリアで一番高い展望台などにあがって街を見渡すようにしている。そのあと地上を散策しているとき、しばしば目に入る展望台のてっぺんを見ては「さっきまで自分はあそこにいたんだよな~」という、ちょっとした感慨を覚えるのが好きである。

 そういうこともあって、今住んでいるマンションのベランダから京都タワーの姿が目に入ると、旅行のときの気分に近いものを感じる。
 そして最近では京都タワーを仰ぐたびに、今年亡くなったN先生のことを思い出すようになった。先生の書いた戦後占領期の京都の本では冒頭に京都タワーのことが言及され、本の装丁にも京都タワーの写真が出てくる。

 そんなわけで、あらためて京都タワーの展望室に行っておきたいなという気持ちがぼんやりとあった。
 私は今までの人生で記憶する限り2回ぐらいしかあの展望室に行ったことがないはずで、その2回はどちらも実家の奈良に住んでいた頃だった。京都で一人暮らしをするようになって15年近くになるが、そのあいだ京都タワーの展望室には行っていない。

 なので先日、天気も良かったので買い物のついでに京都タワーにちょっと上ってみたのである。

 展望室にきて、真っ先に自分の住んでいるエリアを探した。ほどなく、いつもベランダから見ている距離感そのままに、自分の住むマンションのベランダが小さく確認できた。設置されている双眼鏡を使ってさらにズームアップを試みて、誰もいないベランダを嬉々として眺め続けた。あらかじめベランダには目印になりそうなサッカーユニフォームとかを掲げておけばよかったと少し後悔した。

 そうして一定の満足感をもって周辺部分も眺めて、そのあと他の方角の景色も一通り見ておこうと移動したら、展望フロアの一角でちょっとしたイベントが実施されていた。
 3名ほどのスタッフのお姉さんたちが来場者に声をかけて、ストップウォッチを手渡している。

 それは「京都タワー開業60周年記念 ストップウォッチ大会」という催しだった。

 地階で展望室のチケットを購入するときにもそのイベントのお知らせがチラッと目に入っていたのだが、子供向けのイベントだろうと思っていた。ところが実際には大人でも参加できるようで、そこに掲示されている説明文を読むと、

「京都タワーの開業記念日である12月28日になぞらえて、12.28秒を狙ってストップウォッチを止める」

という趣旨が書かれていた。もちろんストップウォッチの文字表示は見てはいけない。12.28秒ピッタリに押すことができれば開業60周年記念品の豪華詰め合わせがもらえて、ニアピン賞にも景品がでるとのこと。

「ゼロコンマ28秒まで合わせていく」
という点が、私の闘争心に火をつけた。モータースポーツの現場でもないと出会うことのないような、非日常な領域の闘いではないか。
何を隠そう、私はこの「時計を見ずに自分の感覚だけで時間を正確にカウントする」という行為に、絶対的な自信を持っているのだった。その種目であれば中嶋悟やアイルトン・セナとだって互角に渡り合えると思っている。

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▲この2人にも勝てるかもしれない種目。

 ことの始まりは中学生の頃、バスケットボール部に所属していたことにまでさかのぼる。バスケの公式大会では、各校からそれぞれ4名ほどの部員が「審判の補助役」を担当する決まりになっていた。運動能力面ではチームにまったく貢献できていなかった私は、その補助役を率先して引き受けて、そのための講習会にも参加し、大会のたびに審判をサポートする役割を担当していた(ついでにいうと、公式戦で一度も勝てなかった私の学年のチームは、毎試合後に全員が集められて血の気の多い顧問の先生から長々と説教を喰らっていたわけだが、試合に負けた場合、補助役の4人だけはすぐ直後の試合の審判を補佐する必要があるので、先生からも「オマエらは早く行け」と言われてその場を早々に離れることができたのも、私がこの役割を好んでいた理由のひとつだった)。

 その補助役4名はそれぞれ異なる用務を担っており、私の担当は「30秒ルールを成立させるために、攻守が入れ替わるごとに時間を計測し、30秒が近くなったら小さい旗を振る役目」であった(現在はルールが変わって24秒ルールになっている)。
 つまり常にストップウォッチを片手にカチカチと時間を計り続け、場合に応じて旗を振るという、それはあたかも当時からハマっていたモータースポーツの世界に極めて親近感のあるアクションだったこともあり、私はこの役割を楽しんでいた。

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▲そんな中学2年生の脳内イメージ。

 こうして、ひたすらストップウォッチを操作し続けることとなったこの役割の副産物として、私は1秒1秒の進み具合のリズム感を身につけ、ストップウォッチの動作する様子を思い浮かべつつ正確な時間を心の中で刻むという技術を体得するに至ったのである。

 これが「特技だ」ということを自覚したのはその数年後、大学で所属していたゼミの先生が企画した、心理学のグループワークをいろいろ体験するという合宿に参加したときのことだ。10人ぐらいのチームに分かれて隣の人と手をつなぎ輪を作って床に座り、目を閉じて決められた秒数がきたと判断したら立ち上がり、どこまで正確に所定の時間に近いところで全員が立ち上がれるかというワークが行われた。
 ここで私は自分の感覚を信じていつも自信満々に立ち上がり、他のメンバーもそれにつられて立ち上がる感じになっていったのだが、様子を見守っていた先生が驚くほどに、そのタイミングはことごとくバッチリだったのである。これが上手だからといって何も褒められはしないものの、「バスケ部での経験」の影響があったからだろうということを、このときはじめて意識したわけである。

 さらに今でも、職場の業務の関係上、年に数回ほど「電波時計をひたすら見つめる」という作業がどうしても発生するのだが、このときに私はおのずと自分の体に刻まれている「秒数の進むリズム」をあらためて確認・調整している。つまりこの種目においては、今も私は現役選手であり続けているのだった。

 ということで、35年近く前の話から振り返って、ここまでの文字数を費やしてまで説明する意味があるのかどうかは分からないが、とにかく私は「ストップウォッチで正確な時間を当てる」ことについては、それなりにプライドを持っている。他にもっとマシなことで誇るべきものを持っていたいものであるが、それはまぁ、仕方ないことである。

Niyari

 そんなわけで、京都タワーの展望室で「ストップウォッチ大会」のルール説明が書かれたボードを凝視していた私のところにおもむろにスタッフのお姉さんが近づいてきて、黒いストップウォッチを差し出してくれたので、つい受け取ってしまった。
 そして操作方法を説明してくれて、ほどなく近くに立っていた客のおじさんと一緒のターンで私はこの大会に参加することになり、すかさず別のスタッフのお姉さんの「用意、スタート!」の合図とともにストップウォッチを作動させるに至ったのである。


 この、ちょっと慌ただしい流れが、いけなかった。


 ふと、途中で

 「ええと、12秒とコンマ28なんだよね?」

 と考えてしまったのも、いけなかった。


 で、カチッと私が押したストップウォッチの表示をみると、














「10秒そこら」

 で止まっていた。


 ああおあおあおあおあーー!!


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 地上100m近い展望室において、私は地の底に崩れ落ちそうな気分であった。

No9

 振り返るに、まず私は決定的に大きなミスを犯していた。
 スタートと同時に、つい「1」からカウントしてしまったのである。ゼロから始めないといけないのに・・・子どもでもそんな初歩的なミスはやらかさない。
 でも、それだったらせめて「11秒28」を押しておきたかった。なのに、10秒台って・・・

 スタッフのお姉さんたちに囲まれた状況で、私は正常ではなかったのだろう。いったん場を離れて、呼吸を整えてから、予行演習をするべきであった。ルール説明のボードを外国語を読むかのように凝視したまま突っ立っていたのがダメだった。

 そして地上100mという状況下では、気圧の問題もあったかもしれない。いつもより違う意識状態にあった可能性がある。

 ・・・と、さまざまな敗因(言い訳)が頭をかけめぐり、ヨロヨロとその場を離れ、引き続き眼下に広がる鮮やかな晴天の京都市街をダラダラと眺めていたのだが、頭の中ではさきほどのストップウォッチのことでいっぱいになってしまい、景色を堪能しているとは言い難かった。

円形の展望室をそのあともグルグルと行ったりきたりしつつ、

 「頼むからもう一度トライさせてほしい」

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という気持ちも募っていったが、さすがにそればかりはオトナとしてどうかと思ったので、グッとこらえるしかなかった。展望室の手すりに寄りかかり、一人そんな葛藤に苦しむ47歳。

あきらめて帰り道の順路にしたがい下のフロアに進むと、これまでの京都タワーの歴史を振り返る展示が行われていた。「おぉ、N先生! これは見ごたえのある資料ですよねぇ!?」という気持ちになり、じっくりとひとつひとつの展示を丁寧に確認していったつもりではあったが、心のどこかでずっとストップウォッチ大会のことを引きずっていたことを正直に記しておく。

Tower-2

 こうして翌日からも、私の自宅のベランダからはいつも通り京都タワーの姿がうかがえるわけで、そしてどうしてもストップウォッチの悔しさが胸に去来し続けることとなり、そんな年末を過ごしているわけである。


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さて今年もこのブログを読んでいただき、感謝です。

毎年の恒例として「今年の一曲」を紹介して締めくくっていますが今年はピクシーズ。今年に限らずここ数年ずっとピクシーズには支えられている感じがします。おっさんロックファンは最後はピクシーズにたどり着く、みたいなことをとあるYouTube動画で誰かが語っていて、苦笑いするしかない。

PIXIES「Caribou」

繊細なイントロから、絶叫のボーカルまでの振幅の広さとともに、やはりこの曲はサンティアゴ氏の奏でるリードギターの旋律が圧巻で、「人生においても、こういうギターの音がいつまでもどこかで流れ続けていてほしい」と思って聴いてます。

振幅のはげしい昨今かもしれませんが、皆様おだやかな年末年始を。どうか。

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2024.12.14

取引先の営業さんが書店経営を妄想させてくれる件

私の職場にはいくつかの書店の営業担当の人が出入りするのだが、私は業務的に直接関わることはないため、普段そんなに話をする機会はない。

それが、ある日たまたま某大型書店の営業さんとしばし立ち話をするという状況になり、ふいに「これからの書店のありかたについて、何か思うところはありますか」という、唐突にデカいテーマの話題を振ってきたのである。

なので私も調子に乗って、思いつくままアイデアをダラダラと述べた。

例えば、書店の「有料ファンクラブ制度」はどうか。書店そのものに深くコミットしたい消費者はたくさんいると思うのだ。
そういうファンだったら、バックヤードの作業の一部とかをボランティアでもやってみたい人がわりといるんじゃないか(そんな悠長なことをやっている場合じゃない! と現場の書店員さんは思うだろうけど)。

ファンクラブ会員だったら、自分が買って読んだ本についてのレビューや的確なフィードバックを、出版社側にダイレクトに伝えることに前向きに取り組むだろうし、他の会員さんたちの感想文だって読んでみたくなる。
微力ながらも出版文化へのささやかな貢献を果たしたいというニーズは、読書好きならすごくあるはずなのだ。

あと私が力説したのは、最近ではスーパーマーケットに自動運転の掃除機マシンがウロウロし、ファミレスでは配膳ロボットが動き回っているような状況なので、そういう仕組みを応用し、週に一回でいいので、閉店後の大型書店のすべての棚の状況を画像化してスキャンできる仕組みをつくり、それらをネットで閲覧できるサービスはできないだろうか。別にこれは全店舗でやる必要はなく、最も売り場面積の大きい店舗の棚だけで充分である。
ただ、そこで知り得た情報をもとに、当該の本をその書店ではなく他のネット書店や古書店で発注してしまう客が多くなるかもしれないのだが、、、でもこうしたサービスは、忙しくて書店を回れない人や、とくに地方に住んでいる人にとってすごく有用だと思うわけである。リアル書店に足を運ぶ意義のかなりの部分が、そうした「最新の棚の状況を見ながらウロウロし、未知の本との出会いを求める」ところにあるからだ。

以上のような妄想めいたネタを語って聞かせて、営業さんも立場上「なるほどー」と話を合わせてくれて、そのときはそんな感じで話が終わった。


で、数日後にその営業担当さんが、私にピンポイントで話しかけて「こんな情報を持ってきました」とやってきた。

それは、トーハンによる書店開業パッケージ『HONYAL』(ホンヤル)がサービスを開始した、というリリースだった。

日本の書籍流通において、トーハンをはじめとする取次業はその独自の立ち位置でしばしば議論されることがあるが、このたびの新規サービスというのは、一言でいえば「小規模でも本が売れるようにハードルを低くしてサポートする」というものだ。

詳しくはウェブサイト(こちら)を見ていただくとして、要するに一般的な意味での書店が減少していくなか、個人書店だったり、あるいはカフェや美容院といった「書店じゃない業種」のところにも書籍の販路を一定のクオリティで増やしていくことで、「本と消費者の出会う場所を少しでも増やしていく」という狙いをもって展開していくようなのだ。

なるほど・・・と思ったが、

Inzaghitukkomi
いや、ちょっと待ってよ、なんでこのハナシ、僕のところに持ってきたん!?

つまり、僕にインディーズ書店をやれっていうことか!? 

「こいつは本屋をやりたがっているだろう」って思われてんのか!?

なので、トーハンの新しい動向そのものより、この営業担当さんの動きのほうに軽く衝撃を受けたわけである。

そんなわけで、このごろの私はこの営業さんのなかで「実は本屋をやりたがっているかもしれない事務員」と見なされつつ、そして私は私でふとした拍子にキテレツな本屋を営む妄想にかられながら日々を過ごしている。

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