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2025.04.13

KYOTOGRAPHIE2025がはじまりましたよー

4月12日から5月11日にかけて、今年も京都市街のあちらこちらを舞台に展開される京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」がはじまった。そして開幕して2日目を経てさっそくこのブログを書いている。

去年に引き続きボランティアスタッフとして登録し、土日祝日をメインに参加する予定ではあるが、、、、、、じつは開幕初日はどうしてもJリーグのセレッソ大阪×鹿島アントラーズの試合が観たかったのでそっちを優先した。ちなみにどうしてその試合に行きたかったかというと、鹿島の安西幸輝に関して昨シーズンの終わりに「乱闘騒ぎをよそに一人カメラ目線で水を飲む」というネタが話題になり、私はあのときの安西の姿に「ふしぎな励まし」をもらったような気がして、深く共鳴したくなる「ネガティブさへの向き合い方」を考えさせてくれる感じがあったのだった。そうして安西幸輝のおかげでこの年末年始から今日にいたる日々の暮らしを乗り切れてきた感じがあり、「安西よ、どうもありがとう」のノリで鹿島の試合が観たくなったからである。なお鹿島は残念な結果に終わったものの試合はYahoo!ニュースでネタにされるぐらいレアな展開となったので(こちら)、今回の試合は観に行ってよかったと思う。

で、話を戻すとその試合にいく前の午前中は少し時間があったので、一般客としてKYOTOGRAPHIEを楽しませていただいた。インフォメーションセンターとして無料で入れる八竹庵(旧川崎家住宅)に出向いたのだが、さすがに初日の朝だけあってたくさんのお客さんでごった返しており、ボランティアスタッフの立場からすれば「初日から遊んでてすいません~」みたいな気分にもなる。この旧川崎家住宅の内部そのものも建物として見事なもので、ウネウネとゆるやかに波打つガラスごしに眺める庭の様子なんかも、ここでしか味わえない。

そしてこの会場では展示も行われており、パレスチナ系アメリカ人写真家アダム・ルハナによる作品がこれも無料で観賞できる(こちら)。いわゆる戦争状態の環境下についての写真というよりは、日常を暮らすありのままの様子をとらえることを目指した作品群であり、「何があっても日々を淡々と送ること」がそのなかに大きな抵抗の力をふくんでいる、ということが示されているかのようである。

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▲この少女の後ろ姿の写真は、透明のアクリル板みたいなものにプリントがされていて独特の存在感を放ち、窓越しの日本の風景と、遠いパレスチナの空と砂漠とが視界に入る演出が印象的だった。

インフォメーションセンターだけあって物販や、過去のカタログや写真集の展示販売なども充実しており、今年のプログラム全体を楽しもうという方はそれぞれの展示会場のメイン作家の写真集でそれとなく「予習」もできるので、スタートは八竹庵に足を運ぶのがおすすめである。

で、翌日は一日ずっとボランティアとして、大好きな京都新聞社ビルの会場にいた。たまたまとはいえこの現場から今年のスタッフ業務をスタートさせることができて嬉しいし、一年ぶりにこの場所に戻ってこられて、やはりこの会場は特別だなと実感している。今年はフランス人写真家JRによる「クロニクル京都」というプロジェクトに関する展示会場となっており、JR京都駅ビル(同じ名前のJRが並ぶとややこしいのであるが)の壁にその「クロニクル京都2024」として巨大なメイン作品がドカンと展示されている。

まだ今年のイベントは始まったばかりであり、そして立場上あまりたくさんのことをここに書くこと(および場内写真をアップすること)は控えるが、とにかく言いたいことは
「今年の京都新聞社ビル会場もぜったい来たほうがいいぞ!!」
ということである。もう、これは本当に。

日ごろそこまで馴染みのない世界のことや、普段あまり考えることのない物事に向き合うきっかけとしてのKYOTOGRAPHIEの写真祭、ぜひぜひお越し下さい、と同時に、スタッフとして参加してみるともっと楽しいですよ、と。

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