カテゴリー「場所」の記事

2024.05.20

KYOTOGRAPHIEのボランティアが終わってロスになっている、っていう話

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 まさか、こんなにも「ロス」な気分になるとは一ヶ月前には想像もしていなかった。そして私の暮らす街について、ちょっと違った気分で眺めていた日々でもあった。

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 4月中旬から開催されていた京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」(以下KG)が先日閉幕し、私は主にゴールデンウィークを中心とした祝日・休日にボランティアスタッフとして携わったわけだが、この一ヶ月間は「イベントの合間に本業の仕事をこなす」という感覚だった。すまん本業。何せ京都市街のあちこちにある13会場(加えてそれらのメイン会場の他に、『KG+』という関連展示が数え切れないほど存在する)が舞台となっているわけで、すべての会場で事故なく滞りなく日々の会期が無事に過ぎていくことをボランティアの端くれである自分も祈るような気持ちでいたのである。



 つまり、楽しかったのだ。とっても。



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 結果的に私は13会場のうち6会場で、のべ8日間活動を行った。
 スタッフとして求められた役割はいたってシンプルで、入場の際のチケットチェックや、展示会場の監視、巡回、案内誘導である。それ以外のややこしい作業は、その会場ごとに配置されているリーダー役の有給スタッフが行っていた。

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 このリーダーさんたちの存在も興味深く、それぞれがいろいろなバックボーンを持ってこの役割に挑戦し、そしてキャリアの分岐点を迎えているのであろう若い人が多かった。とはいえ実際には、その日のスタートからあわただしくなるリーダーからゆっくり話を聞いたりする機会はそんなにはないので、ふとしたタイミングで交わす会話のなかで、その一端を伺い知る程度にはならざるを得ないのだが、自分が担当することになった会場に愛着を寄せつつ、よりよい展示空間を作っていこうとする真摯さには熱いものを感じた(なのでいつもの本業にも伝播していくような前向きなエネルギーをいただいた気がする。。。すぐに消えそうだけど)。

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 そうして私は今回はじめてボランティアスタッフとしてお客さんを迎え入れる側になったわけだが、この役割が長時間にわたってもまったく苦にはならず、いつもあっという間に時間が過ぎていく感覚があった。そしてこのことについてよく考えてみると、「一定の目的をもって集まった大勢の老若男女が、自分の目の前を次々と通り過ぎるのを見守る」というこの状況は、「市民マラソンでの沿道応援」の趣味と構造がまったく同じであることに気づき、そこは苦笑いするしかなかった。冬はマラソン大会でサッカーユニフォーム姿のランナーを探し続け、そこに加えて5月の連休は写真展の会場で無言のうちにいろいろな人々が通り過ぎゆくのを見守るというのが新たなルーティンになりそうな。

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 前回のこのブログ記事で書いたとおり、個人的にこのイベント最大の推し会場は「京都新聞社ビルの地下、印刷工場跡地」である。そして私はここで2回、スタッフとしてシフトを割り当てていただいた(最初は1回だけの予定だったが、無理やり都合をつけてもう1日追加で入らせてもらった)。そもそもKGのボランティアに申し込んだ動機が「この会場でスタッフ側として携われたら楽しいだろうな」という思いがあったからなのだが、その狙い通り、いや想像以上に、この会場はやはり特別な場所だった。

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 今年の京都新聞社会場の展示はヴィヴィアン・サッセンの回顧展ということで、現代の写真業界もファッション業界にも疎い私は彼女のことをそれまでまったく知らなかったのだが、色彩の強弱が印象的な写真作品が、この印刷工場の無機質でダークな空間のなかで放つ存在感のコントラストが見事だった(そしてアンビエント・テクノっぽいBGMが鳴り続け、それもまた雰囲気づくりとして最高に合っていた)。

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 およそ写真展の入り口とは思えない通用口(でもマンチェスターの伝説的クラブ、ハシエンダって結局こういうことだよな? と思った)を出入りし、足下にはかつて大量の新聞紙が運ばれたのであろうレールなどがそのまま残っており(穴が深すぎてスマホを落としたら二度と取れなさそう)、背の高い人がアタマをぶつけまくりそうなところに配管パイプが張り巡らされ、導線もはっきりしない会場の作り方ゆえに出口を求めてさまよい続けるお客さんなどの動きを常に注視して見守る必要があったのでスリリングなのである。

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 さらに最も気をつけていたのが、プロジェクションで作品が照らされた展示場所のさらに奥にも空間が続いていて、幻惑をもよおすシチュエーションゆえにか、プロジェクターが置いてある舞台を乗り越えてまでその暗黒の世界の果てへ進んでいこうとする客がたまにいるので、そんな彼らを現実世界へ呼び戻さないといけないことだった(私が体験した限りでは、不思議とそういう動きを見せるのはほとんどが女性客だった。そして私は決まりの悪そうなお客さんにむかって毎回『お気持ちは、よく分かります』と言い添えた)。

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 そして本会場ではサッセンがキュレーションに協力した、Diorが主催した若手作家支援の関連展示も併設されていた。工場跡地からその地点へ誘導し、見終わって戻ってきた客を出口へ案内するという業務もあった。で、このポジションではDiorの洗練されたクールな写真展示とともに「ふつうに京都新聞社で働いている社員さん」が導線のすぐ脇をウロウロしたり、新聞社の清掃担当のスタッフがふつうに我々の傍らで作業をするというリアリティかつ混沌とした状況もしばしば発生し、刺激的で飽きがこなかった。

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 また、閉館したあとにリーダーさんの計らいで、お客さんには通らせないバックヤードをスタッフみんなで歩かせてもらったことがあった。誰もいなくて真っ暗で、サッセンの展示だけが煌々と光り続けている空間をゆっくり味わっているとき、ふと、このメンバーでこの時間をともにすることはもう二度とないんだろうな、ということを思うと胸に迫るものがあった。

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 うん、他にも書きたいことがいろいろとある気がするのだが、ひとまずは会期のあと個人的・仕事的にもバタバタが続いているので、「終わった! ロスだ!! なんなんだこの感情は!!」という気持ちとともに、まずはこの書きっぱなしの文章のままでアップさせてもらう。自分と写真との向き合いかたもなんとなく変化していった感じもあって、アートを楽しむというシンプルな行為をたくさんのお客さんやスタッフさんたちと共有できたことのテンションの高ぶりに、いまはボーッとのぼせあがっている状況なのかもしれない。

 ということで、落ち着いたらまたこのことを書くかもしれない。

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2024.03.02

往復書簡「言葉になりそこねてからのZINE」

同じ大学でかつて学んだ人たちが自主的につながりをゆるく保ちつつ、学びや対話の場をバーチャルに設けていて、ときどきやりとりがあったりする。「井戸端人類学F2キッチン」と呼ばれているそのつながりにお声がけをいただき、ZINEについての往復書簡を書かせてもらうことになった。その第一回目の自分のテキストが公開されている→(こちら)。

「言葉になりそこねてからのZINE」というタイトルは、この企画を進めるにあたって最初に行われたオンラインでの打ち合わせの場で即興的に私が考えて提案し、文通相手となる「壺さん」も気に入ってくれたようなので、それに決まった。ZINEやフリーペーパーを作るうえでは、言いたいことが出てきても、それをすぐにはストレートに出し得ない、なんらかの停滞感だったりモヤモヤを抱え込み続けるプロセスを経て、ようやく文字にしていくようなプロセスがあるような気がしている。そしてそれとともに現在の私というのが、ZINE的なるものを作る欲動に欠けており、「つくりそこねている」ということへの自省みたいなものもあって、こんなタイトルが降ってきたのかもしれない。

そんなわけで、自分にとってはリハビリに近い感覚で、久しぶりにZINEについて考えて書いてみた。まだ第一回目なので今後どのような話になっていくかは分からないけれども、よければご一読を。

ちなみにこの初回の話題で取り上げた『Notes from Underground』という本について、装丁が初版本のほうがカッコ良かったというのは、こういうことなのであった。

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結果的に英語力がないのでこの本もロクに読み通していなかったが、この本の装丁が放つ雑多でパンクな雰囲気こそ、当時の自分にとってZINEという言葉が誘う世界への探求心をかきたてる要因のひとつであったのは間違いなかった。

で、数年後にこの本は「増補版」として再版されているのだが、そのときの装丁がこれである。








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いや、もう、いったいどうしちゃったんですかと言いたくなる。
著者は何も言わなかったのだろうか。これでゴーサイン出してよかったのか。
もし初版からこの装丁だったら、私はこんなにもZINEについて向き合っていなかったかもしれないとすら思う。

装丁って大事、ほんと。

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2023.03.25

福井の書店「わおん書房」にて出会った『やりなおし世界文学』(津村記久子)で自分もやりなおしたくなった

出張で福井にいくことがあり、帰る前の空き時間に立ち寄れそうな本屋を探したら、「わおん書房」という小さい書店があったので行ってみた。

簡素なカフェスペースも備えていて、どの棚も「売りたい本しか置かないぞ」というこだわりが感じられるおしゃれな空間だった。

インディーズ系書店に来たからには絶対に何か本を買って帰ろうと、狭い店内を何往復もウロウロしていた私を見かねたのか、店員さんから「荷物をここに置いてもらっていいですよ」と声をかけていただいた。しかしよくみると私が肩からさげていた仕事用のカバン(着替えも入っていたからよけいにパンパン)が、店の中央に設置してある大きいテーブルに平積みされていた本たちを知らず知らずになぎ倒していたのでプヒャー! すいません! となった。

そうして気を取り直して、帰りの電車内で気楽に読めるようなコラム集みたいなものがちょうどいいだろうなとウロウロを繰り返し、装丁の良さも目をひいたので手にとったのが津村記久子の『やりなおし世界文学』(新潮社、2022年)だった。

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津村記久子さんと言えばサッカーのサポーターを題材にした小説があり、その存在を知ってはいたが、読んでいなかった。
なので、わおん書店のテーブル陳列を乱した申し訳なささに加えて津村記久子さんにも若干の申し訳なささを感じつつ、この本とともに帰路についたのであった。

でもこうした「実はまだ読んでません、すいません、テヘッ」というスタンスそのものが、この『やりなおし世界文学』のテーマともなっている。読書好きが高じてプロの作家となっても、なぜか読まずじまいで通り過ぎていった古今東西の名作文学たちについて、津村さんが「今まで読んでなくてすいません」の姿勢で一作ずつ向き合い、その感想を述べていくコラム集となっており、もともとは新潮社の『波』などに連載されていたものだ。

そしてこれが期待以上に面白かったのである。読み手としての津村さんの視点が絶妙で、ときに鋭く深く読み解いたかと思えば、下世話で小市民的なスタンスになったり、放埒な筆運びで世界文学の巨匠たちの仕事を語りまくる。

そもそも最初に登場するのがスコット・フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』である。
「もういいかげん、ギャツビーのことを知る潮時が来たように感じたのだった。」
という書き出しで、あぁーこれを津村さんはそれまで読んでこなかったのかとまずは驚かされるわけだが、
「ギャツビーは、わたしには華麗な人には思えなかったけれども、人気がある理由は辛くなるほど理解できた。少なくとも、『華麗さ』と『男性用スキンケア用品の名前だから』という理由で避けている人であればあるほど、本書の切実さが刺さると思う。」
とあって、ネタバレをギリギリに回避しつつ、自分もこの本を読んでみたいと思わせる楽しげな文体が、「津村さんも面白いし、取り上げた名作文学たちも面白い(はず)」と感じさせるのであった。

あと、毎回のコラムに添えられるタイトルも秀逸なのが多い。アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』については「幼年期はべつに終わっていい」とか、サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』については「誰もがゴドーを待っている」とか、カフカ『城』に至っては「仕事がまったく進まない」とか、こういうノリで紹介されると、今まで読んでいなかった作品も中身ががぜん気になってくるのである。

普段利用するような大型書店だと、あまり「文学」のコーナーにいくことも少ないので、わおん書房のようなセレクトショップ的な本屋さんならではの出会い方でこういう本を知ることができたのはよかった。

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2023.01.15

今さらながら「ふるさと納税」をやってみた話

数年前に、普段は業務で関わることが少ない職場の人と世間話をする機会があり、そのときに「『ふるさと納税』やってないんですか! 絶対やったほうがいいですよ!」と強くオススメされたことがあった。

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しかし、そのあとも相変わらず何もしないまま日々を過ごしていた。特産物の果物とかが自宅に届くのはよさそうだが、「マイナンバーカード」を作らないと参加できないものだと勝手に思い込んでいたのである。

で、昨年の末頃に、どうやらふるさと納税はマイナンバーカードがなくてもできるらしいことが分かり、そこで初めてこの制度について真剣に向き合った次第である。今さら・・・と思われるかもしれないが、私の周りの人にそれとなく訊いてみても、まだやったことがない人も多いみたいで、そういうものなのかもしれない。

それにしてもあらためてこの制度のことを知ると、ポジティブな面とネガティブな面があり、いろいろと奥深い。例えば最近でもニュースでやっていたが、川崎市などは市民がこぞってこの制度を利用したので「税金の流出」が問題になって、市側が市民向けに「このままだと行政サービスが低下します」と訴えていたりする(こちら参照)。
それと、約9割の自治体がこの制度に参加しているとのことで、東京都は自らの判断で辞退していたりするケースがあるものの、もしかしたらとても小さい地方自治体のなかでは、制度に乗りたくても乗れないほどいろんな意味でのエネルギーが枯渇していたりするところがあったりするのかな・・・とか想像してしまう。現在の政権下においては、「自助努力」を求められる厳しい風潮があって、それは自治体においても同様に、税収の奪い合いの競争を生み出してしまっているフシもある。

で、ユーザー側(というか納税者側)からすると、何もしなかったらそのまま税金として徴収されるぶんを、自分の思い入れのある好きな自治体に寄付できたり、災害に見舞われた地域に支援の気持ちで寄付したり、あるいは返礼品をいろいろ探して、それ目当てで寄付を送ることができ、それまで名前すら知らなかった地方自治体とちょっとした「ご縁」ができることは、この制度のポジティブな点ではある。

あと、これも自分の思い込みだったのだが、ふるさと納税の返礼品は「地元の特産物」として食品関係ばかりがほとんどだと思っていた。しかしそれ以外にも地元の製造業や観光業とも連携して、現地企業が生産する日用品とか、スキー場のリフト券なども返礼品となっていて、バリエーションが豊富であることに驚かされた。つまり普段の生活で何か日用品を買おうと思い、それが自己負担額2000円以上は確実にするもので、かつ寄付上限額を超えない限りであれば、買い物に行く前にふるさと納税の返礼品で入手できるかどうか探してみて、もしあればそっちで注文するほうがお得なわけである。

そんなわけで「もっと早くから気づいておけばよかった・・・」と、昨年末に駆け込みでいろいろと楽天のふるさと納税サイトをあれこれ検索しまくっていたわけである。

そんな私が一番最初に申し込んだ返礼品がこれである。


















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お味噌汁用に欲しかった、大きなお椀・・・。

一人暮らしをして以来、お味噌汁を一人分つくると、どうしても量が少しオーバーすることが多々あって、使っていたお椀だと一度に入りきらなかったのである。なので長い間、それとなく大きいお椀を探していたのだが、これ!といったものに出会えていなかったのである。それで今回のふるさと納税デビューにおいて、大きいお椀を探してみたら見事に出てきたのでオーダーしたのであった。

うむ、これを読んだ“ふるさと納税ユーザー”の読者諸氏のツッコミが聞こえてくるよ・・・。
「それって・・・その辺のお店で2000円以内で買えない?」と。

や、たしかに、私もオーダーした直後にそのことをうっすら思った。

しかし、実際に届いたものを手にしたら、ものすごく手触りが良く、丁寧に加工された、人の手の温もりを感じさせるものであり「おおお! これはかなり良い! 2000円以上は確実にします! ありがとうございます!」と納得した。
(寄付金額は15000円だったので、それの3割以内が返礼品価格だから、きっと4000円ぐらいのものだろうと思う)

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これは、島根県益田市にある匹見というところで生産されている「Hikimi 森の器」とのこと。今回用いられた木材はトチノキであることが焼き印で示されている。

そこで生産者さんの思いがこのように語られていたりする。
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◆生産者の想い
益田地域の山林での雪害・風害による倒木、道路建設等のためやむを得ず伐採された樹木などを譲り受けた後、製材・乾燥・ロクロ削り加工など1年以上の時間と愛情をかけて、樹木から食器へと新たな使命を与えて生まれ変わらせ、皆様のもとへお届けします。

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ということで、非常に時間をかけた丁寧なものづくりをされているわけである。
そうして生産者さんの作業風景の写真も見ることができる。ご参考までに当該ページは(こちら)。
こういうのを目にすると、たしかに応援したくなるじゃないですか。

そして匹見という地域について調べてみると、ウィキペディアでは「1960年代以降より過疎が進行しており、『過疎発祥の地』として知られる」とあり、そうだったんだぁ~となり、なおさらに寄付をしようという気持ちになったわけである。こうして知らない地域のことを新たに学べる機会にもなっている。

そして寄付控除の手続きについては、確かにマイナンバーカードを持っていない場合はプラスアルファでちょっとした書類手続きがゴチャゴチャと発生する。だが「しかるべき書類を作って折りたたんで封筒にノリ付けして封をして、郵送に備える」という一連の作業について、私の場合は長年にわたる特異な趣味(← 笑)の影響で、自宅デスクで極めてスムーズに行える体制をすでに築き上げていたため、何ら面倒に感じることはないのであった。

こんな調子で、他にもいろいろと調べては、寄付を申し込んでみた。ベタではあるが夏ごろには山梨から果物がちょくちょく届けられるように手配したりして、楽しみにしている。

私の同僚の人が世間話のトークのネタで(タテーシとの話題に困ったあげく?)ふるさと納税を持ち出してきたくなる気持ちも今ならよく分かる。「そんな返礼品があるのか!」っていうのが他にもたくさんありそうなので、情報交換したくなるわけである。

ただ、ふるさと納税は決して節税ではなく、「単なる税金の前払い」と言える制度でもあるので、昨年分を年末のうちに駆け込みで一気にまとめて申し込んだがゆえに、翌月のクレジットカードの支払い予定がえらいことになるというのがオチといえばオチである。

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2022.10.18

引っ越しをすることになった

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夏の終わりに、たまたまいい物件をネットでみつけたので賃貸の会社にいって、そのまま見学して即決となり、あわただしく2ヶ月後には引っ越しをすることとなった。同じ市内でちょっと場所を変えてみる感じである。
賃貸契約における「解約通知期限」(退去日の2ヶ月前の契約だった)というのがネックになるので、決めたとたんにドタバタしてしまうのが引っ越しの常なのだった。本当は年末にゆっくり引っ越したかったが、急きょ休みの日はダンボールとの闘いの日々となっていった。そして案の定、思っていたよりもペースはあがらず、ちょっと焦りが出てきているが、そういうときこそ珍しくこんなふうにブログを書いたりしてまったく関係ないアクションをしたくなるのも人間のサガというものか。

さて、向かった賃貸あっせん会社では、自分が見学を申し込んだ本命の物件にそのまま連れて行ってくれたらいいのに、こちらの条件を聞いたあと、頼んでもいないのにいろいろとデータベースから「こんな物件もありますよ」とプリントアウトを次々と渡してくる。まぁ、この業界のお決まりのパターンなのだろうけれども、次々と打ち出される物件情報を黙って受け取って一瞥するが、残念ながらほとんどの物件はすでに私にとっては調査済みのところばかりであり、「いかにこの物件が自分にはヒットしないか」をそれぞれ口頭試問ばりにスラスラと説明できるぐらいだった(それなりに候補となりうる物件はExcelですべて入力して比較していたのでマンション名まで覚え込んでしまっている)。どの提案もことごとく自分の好みには当てはまらず、私が見学を希望する物件には結局かなわないので、お店の人も最後には根負けしたかのように「よくこの物件を見つけましたねぇ」と、ホメてんだか呆れてんだか分からないリアクションをしていたのが心に残った。

そして、この本命物件は複数の賃貸情報サイトで同じ物件として掲載されていたのだが、なぜか部屋番号が同じなのにそれぞれのサイトで間取り図が左右反転となって食い違っていたり、かつフローリングの部屋が別のサイトでは畳の部屋として表示されていたりした。それもあって実際に見学を申し込んで事の真相を確かめたかったわけだが、担当者の人は、私の希望通りこの部屋はすべてフローリングだと断言した。それで実際に訪れてみると、なんと畳の部屋になっていて、苦笑いするしかないタテーシを横目にうろたえる担当者の人はすぐに管理部門に電話をかけて問いただし、その流れで家賃がその場でちょっと値引きされたのだった。それも決め手になり、じゃあなんとかウッドカーペットでも敷いて対応するかと腹をくくり、その場で契約を決意した次第であった。

(さらに言うと、この賃貸会社に出向く数日前に、この本命物件には仕事帰りのついでに立ち寄って、夕刻時の周辺の状況や駐輪場の雰囲気などを事前にチェックしておくのも、私のなかでは物件探しの基本ルーティンのひとつである。担当者の打ち出したプリントアウト1枚でなびくような決意でここには来ていないのであった)

そんなわけで、7年ぶりぐらいとなる引っ越しを、コロナ禍におけるある種の娯楽のような気持ちで楽しんでいる部分がある。古くて不要なものを見定めて一気に捨てまくり、あらゆる記憶もそのまま消えてしまいそうな勢いである。コロナ状況下での不毛でつらい日々が続いていたとしても、なんだかそういう気持ちも置いていって、新しい街での暮らしにのぞめるような感じがしている。

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2022.02.13

自分にとって最高だった古本屋が消えていく

奈良で育ってよかったことのひとつはフジケイ堂という古本屋が身近にあったことだったと言ってもいい。奈良県内に数店舗あり、とにかく良い本が安く売られている店で、商売が成り立っていたのがずっと不思議なほどだった。

それが、この2月末をもって閉店するということをツイッターで知った。

中学から大学あたりまで、何かとフジケイ堂には足を運んでいた。大学の進路選択の遠因になったF・D・ピートの『シンクロニシティ』もフジケイ堂で買ったものだし、あと、20代のはじめごろ定期的に通っていた病院の近くにあったフジケイ堂の支店では、ナタリー・ゴールドバーグの『Writing Down the Bones』の邦訳初版といえる『クリエイティブ・ライティング:<自己発見>の文章術』に出会うことになる。昨年末の記事でもこの本について触れているが、この作品は現時点での私の生涯のベスト3に入る本であり、この本と出会えたことで私は病気になったことを少しはポジティブに捉えることすらできている。

今までの自分を作ってきたいろいろな読書のかなりの部分はフジケイ堂によってもたらされていたと思える。
というわけで2月のとある日に、フジケイ堂にいくためだけに奈良へ行ってきた。自分にとって最もなじみのあった、近鉄奈良駅のそばの小西通り商店街のお店である。

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表の店構えが以前知っているものとは変わっていて、私が奈良を離れたあいだにお店は少しはリニューアルしていたのである。ただし店内の雰囲気は昔のままで、違ったことといえば、閉店セールの張り紙と、そしてレジの周囲に透明のビニールが張り巡らされていることであった。

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こういう日なので、絶対に何か本を買って帰ろうと思うわけで、そういう目で書棚を見やると・・・どういうわけか欲しいと思える本がこういうときに限ってあまり見つからない。なので書棚をウロウロし、普段見なかったような場所まで凝視する。最後の最後だから、こうしてあらためてじっくり丁寧に書棚を見る時間もまた特別なものとなった。

そうして、なんとか自分なりに選んだ本は、結局3冊のみ。
閉店セールで3割引なので、この3冊で847円・・・。最後の最後まで安すぎるだろう、この店は。

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▲ハウツー系の本は相変わらず好きだ。

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▲フジケイ堂で最後に買う本としてこれ以上ふさわしいタイトルの本はないだろうと思って手に取った。

レジの店員さんに、閉店がとても残念なことであり、長いこと営業していてとてもお世話になったことと、感謝の意を述べさせていただく。店員さんも「いろんなお客さんからお声掛けをいただいていて・・・」と言っていた。

店の入り口には以前から「小さな本から 大きな夢を」というキャッチフレーズが書かれていて、よく見たらレシートにも印字されている。それはまさにその通りなのだ、といつも思っていた。この店のおかげで出会った小さな本のいくつかは、たしかに自分に夢を描かせるだけのインパクトを与えられてきたと断言できる。ありがとう、本当にありがとう、フジケイ堂。

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▲レシートには、「またの御来店をお待ちしております」とあって、さらに切なくなる。

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2022.02.05

ふと思い出した、あるロンドンの朝のこと

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 2度目にロンドンに行った2005年4月のときのこと。
 旅の終盤、ロンドン中心部から西のほうにある町で、B&Bの民宿を1泊だけ利用した。住宅街は同じようなデザインの家屋が並び合っていて、静かな街のなかにあったその小さな宿の名前は「HWANY HOUSE」といい、私と同い年ぐらいの日本人女性と韓国人男性のカップルが経営していた。

 宿とはいえ、さすがに普通の家であった。イギリスの住宅の中で過ごすのは自分にとって新鮮な体験だったのだが、人の家だということで写真をあちこち撮ることは当時の私も控えていたらしく(上に載せた写真ぐらいは撮っていた)、宿主のお二人の写真も撮ったりしていなかったので、今となってはあらゆる印象がおぼろげである。当時あったホームページも今は存在していないようで、現在ここがどうなっているのか、そして宿主さんたちはどうしているのかも分からない。

 それでもずっと記憶に残っていることがあって、それは朝食のときの情景だった。家の玄関口の狭さのわりに、広く感じるダイニングルームが奥にあり、宿泊客がそろって同じ時間に顔を合わせてテーブルを囲むという形式だった。そこではあらゆるものが白色を基調としていた印象があって、テーブルも食器も床も壁も、そして大きな窓から差し込む光も真っ白なぐらいに、思い出のなかでずっとそこは白い世界である。

 そんななか宿主の日本人女性が食事の配膳をしつつ、宿泊客の会話に混じり、お互いが自己紹介をするような流れを作ってくれていたように思う。そのときは私を含めて4組か5組ぐらいの客がいて、全員が日本人だったと思う。
 そのうちの2組のことはまだ記憶にある。まず私と同年代ぐらいの男女ペアがテーブルについていて、職場の先輩と後輩の間柄とのこと。後輩である女の子のほうは、恋人同士という関係に加えて「先輩についていってロンドンまで来ました、押忍!」みたいなコミカルな雰囲気だった印象が残っている。
 もう一人は、自分より少し年下だと思えた男の子で、職業は「プロのゲーマー」だという。スポンサーの支援を受けながら、世界のあちこちで開催されるゲーム大会を転戦しているという(日本ではメジャーではない系統のパソコンゲームの大会だったと思う)。そういうことで生活を送っている人がいることに驚かされた。彼とは朝食のあとにも少し話をさせてもらって、愛用のキーボードを商売道具のようにカバンに入れて世界を回っている姿には感じ入るものがあった。後になって自分自身もパソコンのキーボードにこだわりを持つようになった遠因は、彼との邂逅だったかもしれない。
 あともう1組か2組のお客さんがいたと思う。思い出せなくて申し訳ないが、ともあれこのようなメンバーで、4月のある朝、西ロンドンの住宅地の片隅で食卓を共にしたわけである。

 ただし正直なところ、普段の私であればこういうシチュエーションがとても苦手なのである。私はその宿で一泊しかしなかったので、ここでの朝食は最初で最後である。そして全員見知らぬ人で、一緒に朝ごはんを食べる。どちらかというと一人旅のときはどこまでも無愛想にたたずんで食事することを好むのだが、この状況ではどうしたって自己紹介やら世間話やらをしなければならない。うん、とっても苦手だ。

 しかし不思議なもので、もしかしたら海外旅行特有のテンションというものがあるのか、この日の朝の自分は、とても饒舌だったことは確かだった。「旅の恥はかき捨て」ということが気をラクにさせていたのか、私はどういうわけか、率先してこの日のテーブルの客それぞれに話しかけて、お互いがお互いのことをよく知れるように会話を引き出し、身の上を語り合えるような雰囲気をリードしていたのであった。
 それはあたかもテレビで明石家さんまがやるような、それぞれに笑いのポイントを引き出しながら次々とゲストの面白さを誘発していくような役回りであり、テーブルの会話はとても盛り上がったので、最終的には宿主の女性からも
「タテーシさんって、おもしろいですねぇ!」
と言われて、そこで我に返ったのである。

「あぁ、確かに自分は今、すごく面白い人になっている」

という実感がすごくあって、それはとても気恥ずかしくも心地よい感覚であり、あの白い食卓の空間のなかで、自分自身が別の人になっていったような、なんとも不思議な手応えとして記憶に残り続けている。

 もうあれから17年も時間が経ってしまった。あの先輩後輩のコンビはその後も二人の旅を楽しく過ごしていったのだろうか。そしてあのゲーマー青年は今もどこかで戦っているのだろうか。人生のある時季の巡り合わせにより食卓を共にした我々であるが、おそらくあの日の朝の自分が、今のところ人生で一番面白くて社交的なヤツだったのだろうと思われる。面白さの最大瞬間風速みたいなものだ。そこをもっと普段でもコンスタントに発揮できるようにしていきたいところであるが、さてどうだろう。

 ちなみに宿を出発するとき、見送ってくれた宿主さんに、「ロンドンはいいですねぇ。ロンドンに住んでみたいです」とつぶやいたら、とてもあっけらかんとした調子で「住んだらいいんですよ!」と言われたことも強烈に覚えている。そこには何の障壁もないように、一つの世界から一つの世界への移動は、まるでクツを履き替えるぐらい簡単なことなのだと言わんばかりのテンションで返されたのだった。その後も私は何度もロンドンの地を踏むことになるのだが、そのたびにリフレインするのはあのときの宿主さんのコトバだったりする。


 さらに、ちなみに・・・このときの旅の主な目的はサッカーで、チェルシーFCの50年ぶりのリーグ優勝を見届けたく渡航のタイミングを見極めてプランを練ってホームゲームのチケットを手配した結果、実際には優勝決定の一歩手前、勝てば王手をかけるという試合(そしてバナーを掲げる私の姿がテレビで抜かれるという、狙い通りの幸運もあり)に立ち会うこととなったわけだが、奇遇にもあのB&Bの宿主のお二人もチェルシーのファンだというので、それがまた嬉しかったなぁ。

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2021.07.31

ひたすらロンドンの地下鉄に乗ったり駅をウロウロしている動画

 先日ひさしぶりにharukanashowで喋らせていただく(こちら)。前回トークしたのがちょうど一年前だったことを知り、驚く。ついこの間のことのようだったが、このコロナ禍の日々がいかに早く過ぎていったかを実感・・・。
 収録日において、直近に迫りつつあった東京五輪開幕への違和感だったり、サッカーの欧州選手権やF1イギリスGPでのお客さんの入りっぷりへの不安などを語らせていただく。
 これを書いている時点で開幕一週間を経ているのだが、なんかもう、東京および全国各地での感染者の増加傾向を思うと、素直に五輪を楽しめるモードではまったくない。あと一週間後にはどうなっていることやら、この危なさや先行きの不安感を我々一般人が(税金払いながら)引き受けなければならないことへの憤慨にまみれている今日この頃である。


 そんなわけで、相変わらずテレビはそこそこにYouTubeに依存している日々である。


 以前、Watched Walkerについて紹介したが、最近新たに見つけたのは、それのロンドン地下鉄バージョンともいえる「London Underground First Person Journey 24/7 Livestream」という動画で、収録した映像をつないでひたすら24時間配信している。リンクは(こちら)。



 撮影者はひたすらロンドンの地下鉄に乗り、ホームに降りるや乗り換えのために駅構内を歩き回って、また違う地下鉄に乗り・・・その繰り返し。そうしてあの空間における音や情景をカメラに収め続ける(ただし、なぜそんなに急ぐのかっていうぐらい早足で移動したがるところがあるので、もうちょっと落ち着いて行動してよと言いたくなる)。そもそも地下鉄なので窓の外の風景が楽しいわけでもなく、下方のテロップのおかげで、かろうじて今はどの線の、どの駅の区間を動いているのかが分かるわけで、地味といえば地味な試みだ。
 動画として「見る」という以上に、そのまま部屋のBGMとして流しっぱなしにしてもいい。基本的にうるさいだけなのだが(笑)、車内アナウンスだったり、時おり聞こえる「Mind the Gap」の機械的な音声だったり、レールがきしむ音のデカさっぷりだったり、ドアの開閉のときになる電子音だったり、すべてがロンドン暮らしをイメージさせる音として、心和む。


 それと同時に、こうしてカメラを携えてやたら地下鉄に乗ったり降りたりを繰り返しているこの撮影者は、どうしたって不審者のようにも見られるかもしれない。しかしイギリスの国らしいというか、冷徹なほどに他人には干渉しないムードが車内にもうかがえて、そのうえでこういう動画撮影が成り立っている気もする。


 そして最近撮影した動画がほとんどのようで、あきらかにコロナ禍の影響で地下鉄の乗客や駅構内を歩く人が決定的に少ない。なのでこれを見ながら、どのみちちょっと切ない気分にもなる。「そこにいない自分のこと」と、「今はそこに行くことができない、ということを納得しなければいけない自分のこと」があって、そのうえで「コロナ禍のいま、ロンドンはこういう姿になっている」ということを知り得る手段のひとつとして、いくばくかの感謝の念をもってこの単調な動画を眺めつづけている。

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2021.03.28

ちょっと昔のロンドン・バスの「あの部分」を再利用したバッグ・小物類をハンドメイドする京都の「SANS-SERIF」に出会ってテンション上がった日のこと

すごくひさしぶりに京都市役所前のゼスト御池を通りがかった。
そのまま地下鉄に乗ろうと思ったわけである。

イベントスペースでは、クラフト・雑貨を扱うお店のブースが立ち並んでいて、そこを通りすがりにたまたま目に入ったものがあり、思わず足が止まった。

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このロンドン・バスの写真のタペストリーを見た瞬間、そこにある品物が何を意味するかが「!!」とパッと分かるようになっていた仕組みも、さすがだと思う。

やーーーー、これはねぇ、もう、絶対、足が止まるでしょう、ロンドン大好き人間にとっては。

つまりこういうことである。

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あの古いバージョンのロンドンバスの、行き先案内表示に使われていた部分を再利用して、バッグなどを作っているわけである!

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つまりはFREITAGのようなコンセプトで、産業分野で使われた素材をリユースした一点物ばかりであり、どれも欲しくなる(笑)

京都を拠点に活動している「SANS-SERIF」、その代表でデザイナーの藤川和也さんという方がブースにおられたので、しばしの時間、お話をうかがえた。

あのレトロな行き先表示の部分は単純に紙類のように思っていたのだが、実際には古くはリネン生地だったり、その後はタイベックというポリエチレン系の素材だったりして、とても軽くて丈夫なのだった。現地でコレクターが収集しつつも、多くは破棄されるようで、それらの素材を仕入れてカッティングや組み合わせをデザインし、京都の鞄職人さんが帆布で縫い合わせていく。おそらく知る限り世界で他にやっているところはない、とのこと。

ロンドンの公共交通全般におよぶ独特の書体は、エドワード・ジョンストンがデザインしたフォントが100年前から使われていて、この行き先標示の文字の印刷はシルクスクリーンで行っているとのこと。よーく見ると、ところどころに線の微妙なうねりがあったりして、それも味わい深い。

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そして、ロンドン以外の地域だと、黒白だけでなく緑や青色が標示に使われることもあるようで、上の緑色のものはポーツマスで走るバスのものだとか。

こうなると、思い入れのある場所の地名が入っている商品を探してしまいたくなる。土地の記憶と結びつく一点物のプロダクト、ひたすら素敵である。

あらためて同社のHPは(こちら)へ!

あぁ、ロンドン行きたい・・・(笑)

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ちなみに。

このSANS-SERIFさんのブースを後にした直後に気づいたのだが、よくよく考えると、私がこのゼスト御池を通過して地下鉄に乗ろうとした経緯もシンクロニシティ的にすごいものがあった。

そもそも、三条駅付近でお昼ご飯を食べようと思ったが、目当ての店が混雑していたので京都市役所の近所まで移動してご飯を食べた。本当はここまで来る予定は当初はなく、そしてこのあとの用事は、地下鉄でいえば一駅先の烏丸御池駅周辺が目的地なので、本当は歩いてもよかったのだが、このときはたまたま地下鉄に頼ろうと思い、ゼスト御池の地下街に降りたのである。

そこで上記のSANS-SERIFさんに出くわして感動したわけだが、その後わたしが地下鉄に乗ったあとにやろうとしていた用事というのが、これがよりによって「コピー屋さん(京都カンプリ烏丸店)に行って、ロンドン中心部の鉄道路線図の大判プリントを行う」というものだった(笑)。

どういうことかというと・・・

実は私は家のトイレに、ロンドン地下鉄や近郊の鉄道がすべて網羅された案内地図の現物を壁に貼っていて、あたかも鉄道マニアのごとく日々これらの駅名を眺めて暮らしているのである。また最近は、英語の発音を家で練習するきっかけとして、それらの駅名を(現地の車内放送ばりに)いかに発声するかの練習を繰り返しているのである。そうなると、細かい文字で書かれた駅名が読みにくいため、いっそのこと最新版の路線図をPDFでダウンロードし、パソコンの画像ソフトで加工し、壁のスペースいっぱいまで貼り付けられるように拡大したものを自作しようと思い立ったのである。

そのファイルが完成したので、それをコピー屋さんに持っていって大判のA1サイズに印刷してもらおう・・・と思って、そのためだけに出かけたのである。それがこうして、ひょんなことからロンドン交通局のあの伝統的な書体をモチーフにしたバッグを扱うデザイナーさんと出会い、話をさせてもらったわけで(ひとまずこの日はキーホルダーとマスクホルダーを購入させてもらいました)。

興奮冷めやらぬ感じで地下鉄に乗って、そこであらためて「あ、今から自分、あの書体がたくさん書かれたロンドンの路線図を印刷するんだった」と気づいた次第(笑)。いやはや、こういう日もあるもんで・・・

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▲こうして大判の路線図が手に入り、トイレの壁面へ(笑)。これでどの駅名もしっかり読めるようになった!

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2021.03.13

ありがとうございました@版画展

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無事に教室展が終わりました。
来ていただいた友人の方々には感謝・・・!
自分の作品を前に友人と語り合うという体験は、とても新鮮なものでした。
またこういう機会があれば。

このミカリギャラリーのある建物の雰囲気が、こうして終わったあとも体にじんわりと残るような、不思議な感覚があります。
実質的に二日間とちょっとぐらいしかこの場所にいなかったはずなのに、なんだか古くから知っていた場所のようで。

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庭の黄色いミモザが本当に綺麗なタイミングで楽しめました。

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そして展覧会が終わったということは、あの空間や時間はもう二度と再現ができないということでもあり、そのことがなおいっそう、ノスタルジックな気持ちにさせてくれます。

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