カテゴリー「落書き/グラフィティ研究」の記事
2009.02.08
2008.09.23
本になりました
このような本に参加させていただきました。
私のいた大学院ゼミの指導教員が定年を迎えられるにあたり、ゼミ生の論文集をまとめようということで出来ました。
タテイシは第一部「あふれ出す<私>の表現」のなかの第一章、「『自己表現』と『違法行為』の境界線:『落書き』と『グラフィティ』をめぐって」を書かせていただきました。
とはいえ、修士論文の内容を、ひたすらコンパクトにして、読み物として普通に読める感じにしただけですが・・・ラストの4行だけ、この5年のあいだに考えさせられたことを踏まえて、2008年の時点における自分なりの「加筆」として添えました。
本日より在庫を抱えましたので(笑)、興味のある方はぜひタテイシから直接買っていただけるととってもうれしいです。
通常価格1890円(税込み)のところを、割引で1600円、しかも送料無料(←アマゾンみたい)で販売します。
ご希望の方はメール prog_howe(at)hotmail.com までよろしくお願いします!
わー!
あらためて目次は以下のようになっております。(それぞれの著者名は省略させていただきます)
1 『自己表現』と『違法行為』の境界線:『落書き』と『グラフィティ』をめぐって
2 <他者>を開くドキュメンタリーの力:映像の「深み」を味わう
3 カフェ放送とコミュニケーション再生の可能性:映像コミュニケーション「てれれ」
4 放送するマイノリティ:「放送」の開放がもたらすもの
5 市民の情報発信とコミュニティ放送:京都コミュニティ放送のパブリック・アクセス
6 市民テレビ局の成立とNPOの役割:「チャンネルDaichi」の試行
7 パブリック・アクセス環境の課題:ケーブルテレビ市民番組全国調査から
8 カナダのメディアと多文化主義
9 米国パブリック・アクセスの伝統とその現在
10 メディア主体としての市民運動の形成:市民メディア・ネットワークの誕生前史
先日の「京都メディフェス」のイベント会場では先行販売のぶんが完売したようで、ありがたい限りです。
市民によるメディアづくり、といったテーマにご関心のある方はぜひ読んでいただければと思います!
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2008.07.31
ライフハックーゥー
ライフハッカーの日本語版サイトがオープンした、とのこと。
(こちら)。
ただ、どうしても日本において、「ライフハック」と「伊東家の食卓」と、どう違うのか? と中学生とかに尋ねられたら、私は答えられない気がする。
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ライフハックといえば、このまえデイリーポータルZテレビでみた、
べつやくれいさんの「髪をふんわりさせるセットの方法」を思い出す。
この人の、いつもながらの悪夢のような歌が、なんとも言えない雰囲気をだしているのだが、
最後の最後で歌う「ライフハックーゥ~♪」というフレーズが、この数日ときおり脳内で呼び起こされる。
おかげでこれからの人生も「ライフハック」という単語に出会うたびに、頭のなかでこの歌声がひびくのだろう。
30秒たらずで終わるので、ぜひリッスン→(こちら)。
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先日作った人間学研究所のイベントチラシをエレベーターの中に貼っていたら、なんと所長の顔に落書きがされていることを知った。なので別バージョンのチラシを5分で作って貼りかえてみた(笑)。落書きはそんなに目立つものではなく、たんに「鼻毛」が描かれているだけであった。落書きというアクションについてある程度のこだわりを示そうと試み続けている私であっても、こういった何の面白味も風刺も批判精神もユーモアもない落書きには徹底して対抗してやろうと息巻いている。ただこの話をきいた上司は、いままでこういうイベントチラシに落書きなんてされたことないから、それだけ関心を集めたのかもしれないね、と言い、たしかにその通りだと思った。
あと、エレベーターの中にチラシを貼るのも、ある種落書きと同じゃないかと思うかもしれないが、それは重々承知したうえでワザとやっているので、そこは言わない約束で。
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さっき近所のコンビニでコピー機を使いに行ったら、見慣れない最新型の機種になっていた。
画質がとんでもなく綺麗で、しかも両面コピーが簡単にワンタッチで行えるようになっていた。
高校時代にはじめてフリペを作ったとき、コンビニのコピー機ではこんなことができなかったわけで、だからこそわざわざ町の文房具屋にいって、お店のおばちゃんに頼み、あの恥ずかしい原稿を両面コピーしてもらったのである。それを思うと、ますます「手軽にフリペが作れる世の中になったんだなぁ」と、なんかよくわからない感慨を覚えずにはいられない。
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2008.03.06
なぞの顔
さっきテレビの「アンビリーバボー」のなかで、グラフィティ・アーティストのバンクシーが取り上げられていてびっくりした。まさにグラフィティのような「急襲」である。食い入るように観てしまった。英国ブリストルの様子が映像で観られてよかった。
でもなぜイスラエルとパレスチナを隔てる壁に、いまバンクシーがグラフィティを描いたかという、そのへんの話はもっと重要視してほしいトピックスでもあった。「民族問題をあざ笑うかのように」とナレーションされていたが、あざ笑うためだけにあれほどのことができるのかどうか。(たとえばこのブログを参照 → こちら)
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てなわけで、バンクシーのおかげで思い出した。昨年の夏に名古屋でみかけたステンシル・グラフィティ。
過去にも名古屋では、感心してしまうほどのステンシルに出くわしたりもしたのだが、
このステンシルをみて、
何が心苦しいかというと、
自分には、このオッサンが誰なのか、皆目見当がつかないのである。
誰よアンタ!? っていう。
分かる方がいましたら、ご連絡ください。
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2007.02.13
失笑というかなんというか。
ヤフーのニュースより。
「【中国】雲南:ペンキ塗って「山を緑化」に非難・失笑・落胆」。
(こちら)
「非難・失笑・落胆」って、すさまじい豪華3点セットですな、この見出し・・・
「巨人・大鵬・玉子焼き」じゃないんだから。
あるいは、かのイングランド代表DF、ジョナサン・ウッドゲイト氏によるレアルマドリー移籍後初のデビュー戦みたいだ。「高額移籍金により加入、しかし早々に長期ケガで離脱・ようやく試合に登場、しかしオウンゴール+レッドカード退場」みたいな。これは「サッカー界で考えうるもっとも悲惨なデビューのありかた豪華3点セット」だ。(前にも書いたことですが)
で、話をもどすと、林業局がペンキで山肌を緑色に塗って「緑化」を装っていたというニュースらしい。たしかに失笑ものであるし、私にいわせれば「もっとも低レベルで、かつもっとも大規模な“落書き”の事例」として認定してあげたい。
しかし「バレないだろう」と本気で思っていたんだろうか。
そのへんがとても気になる。なんというか、このへんは笑えない不気味さがある。
2006.11.23
熱いぜ、選挙
デイリーポータルZの記事「熱いぜ、選挙」をみておどろいた。(こちら)
沖縄の選挙運動って、すごいことになっている。こんなアナーキーな匂いのする選挙ってないぞ。
もはや「選挙」じゃなくて「ビラの占拠」みたいな(オヤジギャグ)
で、やはり思うのは、「落書きやグラフィティと、この選挙ポスターの無法地帯ぶりと、どう違うのか」ということだ。
まったくその線引きは、完全に消失している、といえるのではないか。
対立候補の批判ビラに、自分の候補の名前のビラを「上書き」で貼り付けるとか、やっていることはグラフィティ・ライターとまったく同じだ。面白すぎる。
2006.06.04
甲南大学社会調査工房オンライン
甲南大学の「社会調査工房オンライン」というサイトは、かねてより社会調査を学ぶうえでは圧倒的なボリュームの、非常に充実した内容で、以前から何度もチェックさせてもらっていたのですが、このたび改訂版を更新するにあたって、微力ながらも参加させていただくことができました。
社会調査工房オンラインのサイトはこちらです。
直接リンクを貼ることはできないので、探してもらうしかないのですが、「5 フィールドワーク」のページの、
「5-1-9 いろいろな『みる』」の中の、「Example」の事例紹介として、
「落書き(グラフィティ)を“みる”」という小論を5ページほど書かせていただきました。
そうでなくても、このサイト全体として、一冊の本のような、読み応えたっぷりの内容なので、ぜひ私以外のページもチェックしていただけるとうれしいです。
2005.06.22
報告発表します
カルチュラル・スタディーズ系の学会(ていうかイベント)、「カルチュラル・タイフーン」が今年は京都の立命館大学で行われます。
で、そこで修論の報告をさせていただくことになりました。
表題は「『グラフィティ・カルチャー』と『落書き』をめぐる『社会問題』について」です。
7月3日の日曜日のセッションに参加する予定になっております。
URLはこちらです。
この学会(ていうかイベント)、第一回の早稲田大学での主催時にも参加させていただいたのですが、非常に刺激的な報告も多く、いろんな人の動きや、注目すべきシーンの状況に触れたりして、熱かったです。
「だれでも参加できる空間、そして研究者/表現者/オーディエンス、という垣根をとりはらう」っていう、そのノリは大事ですね。
2005.03.29
グラフィディア
Wired Newsより「街の落書きがウェブにリンクするアートプロジェクト」。
ちょっと考えがまとまりませんが、ひとまず今読んだばかりの印象。
「グラフィディア」。そうきたか。むしろメディア・アートの側が従来のグラフィティの様式を利用する例と捉えればいいのか。
青字に下線を引いた判読可能の文字があれば、それはグラフィディアだというルールになるのだろうが、それも結局は従来のグラフィティの暗黙のルールによって、存在そのものがことごとく覆われてしまう可能性ももちろんあるわけだ。
でも一般側にとっては、いずれにせよ街の壁が汚されているようにしか思わない。事情を知らない人(がほとんどなのだろうけど)にとっては、何が描かれようが、それは「落書き」でしかないわけだし。
そうなると、作者へのアクセス通路が確保されているグラフィディアは、別の意味でリスキーな実践者とも言える。壁に描いたことには変わりないわけで。
そして、鑑賞者の側に「メールでアクセスさせる」というかなり高いハードルを要求しているところがポイントだ。なんか自分から迷惑メールの攻撃を被りにいくような感じ。
でもこういうのもアリなのだ。きっと。
確実に、何らかの問題提起にはなっていると思えるので。
2005.03.15
より以前の記事一覧
- 街のグラフィティ 3 2004.12.09
- 街のグラフィティ 2 2004.12.01
- 街のグラフィティ 1 2004.11.02
- 落書き/グラフィティをめぐる研究論文、自費製本にて頒布します 2004.10.22
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