カテゴリー「テクノロジー」の記事

2020.02.24

「時代より先に狂う戦略」:U2の90年代を思いつつ、昨年末の来日公演のこと

 思えばU2というバンドを聴くようになったタイミングは1991年のころで、中学生だった私は洋楽を聴こうと最初に手に取ったのが『魂の叫び』という邦題のアルバムだった(きっと当時から何かを叫びたかった子供だったんだろう)。そこから過去の作品を次々さかのぼっているうちに、リアルタイムで彼らは90年代最初のフルアルバム『アクトン・ベイビー』を発表することとなる。そのときの自分が熱心に過去の作品をたどっていた、80年代の熱くイノセンスな、そしてときに政治的なメッセージを込めた曲を演奏しているバンドと、現在において発表された最新アルバムの間には、なんともいえない別人格のような雰囲気があり、メディアでもこのU2の変貌をどのように受け止めるべきか迷っている雰囲気があった。いったいどうなってしまったのU2、ということだった。

 しかしこうして当時のことを思い返すと、あのときのU2の激変ぶりは、90年代を乗り越えるための絶妙な「戦略」だったということをあらためて実感できる。それは私なりの印象でいえば、「時代より先に狂う」ということだった。

 80年代における成功を勝ち取った汗くさい純朴なバンドがそのまま次の10年を迎えるにあたり、シーンのなかで急速に古くさいものと見なされて居場所を失っていくことを察知してか、この「時代より先にU2のほうが狂っていく」というあり方は、見事に効いたのである。それまでの「クソ真面目バンド」から「ケバケバしい派手好きロックスター」をあえて演出し、いわゆる「ポップ三部作」において打ち込みサウンドを積極的に取り入れたこのバンドの姿は、今だからこそ、それはすべて計算ずくの「暴走」だったということが伺える。

 たとえば90年代最初のツアーにおける「ZOO-TV」というコンセプトは、おびただしいモニターに無数のコトバやヴィジュアルが洪水のように観客を包み、錯乱ぎみの「ロックスター・ボノ」が様々な「仮装」をまとい、ステージ上からピザを注文して客席にふるまったり、ホワイトハウスに電話をかけてジョージ・ブッシュを呼びだそうとする。そしてライヴパフォーマンスと連動したヴィジュアル・アートの試みとして「架空のテレビ局」が共に動き、映像の洪水を垂れ流し、現実世界でリアルに進行中の湾岸戦争を強く意識した映像をもフォローしつつ・・・特にライヴのオープニングにおける、当時のブッシュ大統領の宣戦布告スピーチ映像をサンプリングして「We Will Rock You」とラップさせつつ「Zoo Station」のイントロに至る流れなど・・・「いったいあんたたちは何様なんだよ」というツッコミこそ、この実験的なツアーの神髄を言い当てていたかもしれない。つまり今から振り返ると、これはインターネット時代の到来を音楽ライヴとヴィジュアル・アートの形で表現した先鋭的なものだったと言えるのだ。誰しもが「誰でもないもの」になりえる、「何様」も「誰様」もない匿名/虚構のサイバー空間にただよい出る自我と、「どこでもだれでもたどり着ける混沌とした空間世界=近い将来に訪れるマルチメディア環境が解き放つ明暗」や「グローバリゼーション時代の到来における困惑や混乱」を表現しようとしていたU2。いやはや、私はついぞ映像でしか体験できていないが、あらためてあのツアーは音楽のみならず情報メディア史においても特筆すべきプロジェクトだったのである。

 こうして無事に2000年代を迎え、U2は「原点回帰」をうかがわせる『All That You Can't Leave Behind』を発表して、かつての素朴で純粋なU2が戻ってきたと全世界が確認し、すべては丸く収まり、そしてもはやそれ以後はこの地上で何をやっても無敵の存在となった。以前からもボノはロックスターの立場を利用して「世界一顔の売れている慈善活動家」となっていたが、この頃からさらに活動に注力してアフリカ諸国の債務帳消し運動などに邁進していく。したり顔の人々からは「偽善だ」という批判の嵐を浴びるものの、あの90年代の「先に狂う戦略」を思い起こせば、そんな逆風は彼にとってまったく無意味なのかもしれない。音楽がなしえる、人種や国境を越えた共感的パワーに支えられ、あらゆる壁を打ち壊すべく1ミリでも何かを動かそうと「熱量」を絶やさずに、偽善でも虚栄でもひたすらその信念を押し通すこと。それは当代随一の“クソ真面目ロック歌手”ボノだからこそ果たせる「やったもん勝ち」の闘争姿勢なのである。そうしてU2は今年でデビュー40周年。いつまでも変わらない4人、そして未だに仲良しな4人のおっさんたち。数十年のキャリアのなかでロックスターが陥りやすい変なスキャンダルもまったくなく「世界一、野暮ったいバンド」と自称して笑いを誘いさえする、それがU2である。

「終わりなき旅」とはよく言ったもので、その邦題がつけられた曲が収録されている『ヨシュア・トゥリー』のアルバムを全曲演奏するというコンセプトでワールドツアーが行われており、昨年12月4日にさいたまスーパーアリーナで行われた来日公演を観た。98年の「POP MARTツアー」のときにはじめて彼らのライヴを観て以来、20年近い時が流れてしまった。ちょうど当時の大阪ドームでのライヴを、たまたま別の場所でみていた同級生うめさんと、今回は一緒にチケットをとってライヴを堪能した。

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 もはや自分もいい歳になり、そしてそうそう何度もU2にお布施できる機会もないだろうから、今回はいろいろがんばったおかげでアリーナの前方スタンディングに乗り込んだ。いわゆる「出島ステージ」にも近くて、ラリーのドラムの背後あたりで、ドラムの生音が、会場全体にスピーカーを通して聞こえるドラムの音と当然ずれて届いてくるわけで、この距離感でU2の4人が演奏している時空間に、もう胸一杯の夜だった。セットリストとかどうのではなく、ひたすらホンモノのU2が目の前で演奏していて、そして技術の進歩を感じる広大なスクリーンには、アントン・コービン(写真家であり、あとジョイ・ディヴィジョンを描いた映画『コントロール』の監督もしたけど、すごい作品だった)による映像が鮮烈だった。

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 我々を囲む客の多くは外国人だったのも印象的だった。ひょっとしたら観光ついでにこのオセアニア~アジアツアーをバンドといっしょに回っている人も多いのかもしれない。そしてこれは今振り返って気づいたことなのだが、音楽ライヴ会場での「困りごと」でよく言われる「近くの客のほうが大声で歌い続けて、アーティストの歌声が楽しめない」という状況があるが、どういうわけか、このU2の現場では、まさに大声でみんなが歌う状況であっても、それを不快に感じることがなく、なんなら自分も歌うぞという勢いになってしまったほどだ(でも、肝心の英語の歌詞がよくわからないんだった)。会場の中心部だったからか、客の歌声に負けないエナジーがボノの歌にも、バンドサウンドにもこもっていて、その音圧が迫り来る状況だった。つまり、歌を聴くこと以上に、我々オーディエンスがこの現場で最も求めていた「熱さ」がそこには炸裂し続けていたかのようで、そうしてひたすら最後まで、いろんな民族が一緒になって歌い続けていた気がする。

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 そんなわけで、『ヨシュア・トゥリー』の80年代黄金期の曲たちをすべて演奏しつつ、新旧の名曲をおりまぜた圧巻のステージ・・・なにより、ボノの歌声の力強さが失われていなかったことがうれしかった・・・をカラダ全体で味わい、あらためてU2というバンドの存在に深い感謝の気持ちを抱いた次第である。
 終わったあとうめさんと会場の近所の居酒屋でゴハンを食べていたのだが、この夜に店内で流れていたBGMがずっとU2の曲だったのも、またよかったなぁ。

 

 そういうわけで、ライヴに行ったことからこのブログの記事を書きはじめてみて、あらためて90年代のことを思い起こさずにはいられず、自分なりにコトバにしてみた(2ヶ月ちかく、書いては消しを繰り返していたわけだが・・・)。でもこの「時代より先に狂う戦略」というのは、実は今まさに日本で生きている自分たちにとって重要な示唆を与えてくれるものになっているかもしれないな、と。それはまた別の機会に考えていきたい。

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2019.09.16

水俣病を学ぶ旅

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このあいだ、初めて水俣市に行く機会があった。現地では「水俣病センター相思社」のスタッフさんのガイドによって、水俣病に関するいくつかの関連場所をめぐることができたのだが、この問題は過去の歴史どころか現在進行形で今の時代に地続きであるということを改めて思い知った旅となった。

 まず印象的だったのは、肥薩おれんじ鉄道「水俣駅」を降りると、駅の正面すぐにチッソ社(現代はJNCという社名に変わった)の正門がドーンと鎮座していることだ。企業城下町という表現があるが、まさにここはそうなのである。歴史的に塩づくりが主要産業だったところに、近代的なハイテク工場を誘致したことで、この一帯は周辺地域から働き手を集めることとなり、街が形成されていった。さらに対岸にある島々から、「いつか子供や孫の代が工場で働けたら」の望みをもって、漁民が移り住むようになり、それが町外れの漁村を形成していったわけである。こうした事情により、近距離の範囲内で「都市部と農村部」がセットで急速に発展したという特徴があり、私のように農村の生活を知らず、物心ついたときから「企業に勤める」という「文化」に囲まれてきた人間にとっては想像力が試されるところだ。水俣病を考えるにあたり、「そもそもチッソはどういう企業として日本のなかで発展していったのか、それに応じて地域住民がどのようにひとつの企業を受容していったのか」という「前史」を知ることがとても重要だということをその場で実感した(無知ゆえに私はそうした話の時点でお腹いっぱいだったのだが)。

 このように「豊かさ」をみんなで求めていったはずの街や村に、やがて水俣病の公害汚染が引き起こされていくわけで、あらためておだやかな内海を取り囲む対岸の島々を実際に見やると、内海ゆえの地理的条件のなかで有毒汚水が対流・沈着していく感じを体感的に想像してしまう。説明によると当初チッソの工場は鹿児島のほうに作られる見込みだったのが、いろいろな経緯で水俣に誘致されたとのことで、もし海流の違う地域に作られていたら、こうした公害に伴う問題の発見は遅れていたり、文字通り水に流されていたかもしれないという可能性も考えさせられる。

 JNC社と名前を変えたチッソ社は現在も水俣で工場を稼働させているし、その周辺にあるさまざまな会社もほとんどがチッソの関連会社として動いていて、当初はチッソ工場内にあった購買部までもがそのまま発展して地域のスーパーマーケットチェーンにまでなったりもしていて、あらゆるものがチッソ社とともに「発展」していって、今に至る。

 それゆえ、住んでいる人々も多くはチッソの関連会社で勤めているわけで、こうした地域で「公害の歴史」を風化させずに共有し続けることがどれほど難しいことか、相思社の方の語りの端々にそれが伺えた(たとえば、地元であればあるほど、そこで育つ子供たちの親の多くはチッソに関わる仕事に就いてるため、水俣病公害のことを学ばせることは現場の教員にとって非常に難しい状況だそうだ)。

また同時に、JNC社で開発・製造される工業製品の数々ははまちがいなく今の私の生活にも役立っていたりする。そのこともまた事実である。たとえば私の趣味のひとつが「市民マラソン大会の応援」であることが相思社の人に伝わると、「ランナーの位置を計測するチップの部品などもこの会社で作っているんですよ」と教えられたり。

 そして「水俣病」と、土地の名前がそのまま病名になってしまったことで、この名称変更を求める住民運動も続いているそうだ。そう言いたくなる人々の気持ちも分かるものの(あるいはそれもまた政治的な動きであるのだろうけど)、水俣で起こったことから日本全国や世界へ発信されていったこの痛ましい出来事の存在を示すためにも、やはりこの病名には意義があると個人的には思う。「メチル水銀中毒症」と言われても記憶に残りにくい。

 そうした流れとともに、この水俣病の存在を「環境問題」として捉えさせようとする動きというものも、あちこちに微妙なかたちで漂っていて、「環境問題」となった瞬間に抜け落ちていく「責任の所在」が曖昧になっていくことの居心地の悪さを覚える。いわく「環境問題=現代に生きる私たち全員が責任を負っています」というような。
(それゆえ、当時の状況を伝える看板のたぐいも、そこに書かれる文章のひとつひとつは、多様な“綱引き”によって形成されているので、読解には注意を要することになる)

 見学ツアーのなかでとくに印象的だったのは、公害を伝える「史跡」は、チッソの工場内にもまだ残っていることだった。ガイドの方が工場の塀の向こうにわずかに見える排水浄化装置のことを説明してくれたのだが、これは水俣病の存在が指摘され始めた初期において、病気の原因の疑いが有毒の工場排水にあることを受け、「表向きのアピールのために」作ったものであり、実際の浄化機能はなかったとのこと。こうしたごまかしの姿勢が一定期間続くことで、長らく「空白の年月」として原因究明や公害認定の道のりがさらに遠のいていき、被害をさらに拡大させたことは厳しく糾弾されるわけだが、そうした「経済発展至上主義の影」が形としてまだ現存しているのである。そしてその近くには監視カメラが当然あったりするわけだが、我々はこの何気ない塀の向こうの建造物に、さまざまなものを見いだせるのである。

 その翌日に訪れた市立水俣病資料館では当時の様子を伝える新聞記事のスクラップブックが年代別に並べられていた。最初はネコなどの動物が変な死に方をする奇病として報じられていき、それがやがて地域住民の中にも奇病が発生していることが分かっていき、どんどんその謎が広がりを見せる。しかし一向に原因や改善が見られないことへの戸惑いが、無実の住民の悲痛な姿をとらえた写真(当時の社会規範における許容範囲としてのものとはいえ、非常に生々しく)とともに報じられ、真相をすでに知っている新聞記事の読み手としての自分はこの「謎の病気」をめぐる叫びにたいして、やりきれない思いを抱かずにはいられない。

そうして紆余曲折を経てやがてひとつの原因にたどりつくも、それが一企業の引き起こした「公害」として認定されるまでにはさらに途方もない時間と運動が必要となっていった歴史が、スクラップブックの「背幅」を通して実感できる。先に述べた「偽りの浄化装置」が作られたときの新聞記事ももちろん確認することができ、この「偽り」で表向きの収束を見たのか、このあたりの時代は一気に報道量も減っていき、スクラップブックも薄かったりする。しかしこの「薄さ」の向こうに、健康だったはずの人生を奪われて次々と苦しんでいったたくさんの人々の姿があるはずなのである。

 近々、水俣の問題を追って撮り続けた写真家ユージン・スミスを題材にしたジョニー・デップ主演の映画作品が公開されるとのことで、水俣は改めて世界的な注目を集める場所になるであろう。話によると水俣はロケ地でもなく、セルビア方面で撮影が行われ、細部のディテールなどはどうしても実際のものと異ならざるを得ない内容になっているそうだが、こうした「自分たちでは振り返りたくない過去」を見据えるためには、外部からの視点を持ち込むことが有効なのかもしれない。それはまた、まさに今の日本の政治的社会的状況においても言えることだろう。

 

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2018.11.27

ヴァーチャル暖炉生活

テレビを買い換えたことから、YouTubeをテレビで気軽に観られるようになり、すっかり寝る前にYouTubeを観ることが習慣化された話を昨年の6月に書いている

そんな「寝る前YouTube」のなかで最近新たに加わったジャンルが「暖炉の火」である。
そう、ひたすら暖炉の火をパチパチと眺めることができる動画で、いろんな種類がある。実際に燃やしているものがあれば、CGで作ったのであろう焚き火の映像などもある。


この暖炉画像でいいのは、テレビが壁際にあることから、なんとなく「暖炉が自宅にある感じ」が視覚的に演出されていることである。パチパチと音も鳴っているからなおさらリアルだ。

以前もこのブログに書いているが、『焚火パーティーへようこそ』というエッセイ集を読むと、「焚き火ってなんてすばらしいんだ」という気持ちになり、タキビストになることへの憧れがあふれんばかりに沸いてくるから、ぜひ広くオススメしたい。暖炉とか薪ストーブを持っていると、日々タキビストな生活になるのでうらやましい。


こうして、ニセ暖炉を眺めながら、これも寝る前の習慣になっている「養命酒」を飲んだりしている。何かがズレているような気がするが、もうあまり気にしない。

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2018.04.02

よくわからない『ブロックチェーン』について、それなりに気をつけてチェックしておきたいと思う

 最近はニュースでビットコインの不穏な話が続いているが、今年の正月にWIREDの記事でオンライン百科事典『Everipedia』がブロックチェーン導入で目指すものというのを読んで、本家Wikipediaから派生しようとするあたらしいオンライン百科事典が、「ブロックチェーンの仕組みを取り入れる」といったことが書いてあり、「うわーっ!?」となった。

 なぜかというと、それまでこの手の話にあまり詳しくない私はつい「ブロックチェーン=ビットコインのこと」だと簡単に思って過ごしていたからである。しかしどうやらそれは間違った認識かもしれないということにそこではじめて気づき、すぐ書店に出向いてこのビットコインやブロックチェーンに関する関連書籍を漁り、この本を選んでひとまず基本的なことを知っておこうと思ったのである。

 なぜそこまで焦ったのかというと、「ビットコインと無縁でいたい」と思うぶんには問題はないし自分もそうなのだが、その仕組みを支える「ブロックチェーン」という技術には無縁でいられなくなるという予感をこのWIREDの記事によって強く感じてしまったのである。ウィキペディアなんてものは少なからず自分の生活にもそれなりに日常的に関わっているわけで、それが「ブロックチェーンでやります」なんて言われた日にゃ、私の生活のある部分は、ある意味でブロックチェーンが土台になるのである。


 で、結果としてこの本は多少専門的な部分はあるが、まさに私のように何も分かっていない層にうまく「ことのはじまりから現況まで」を説明してくれる感じで読み通せた。私なりに今の段階で分かることだけ書いていくと、ビットコインを支える仕組みとしての「ブロックチェーン」を強引に言い換えると、「すべての人が参照できて、多方面からの膨大なデータの上書きの際にズレることなく管理される大きな台帳みたいなもの」である。

 そしてここが重要なのだが、このブロックチェーンは、もはやビットコインなどの仮想通貨のやりとりだけでなく、今後はさまざまな分野、つまり医療情報とか社会生活全般におけるありとあらゆる情報処理を取り扱ううえでの土台になる可能性が高い(というか、ほぼ不可避だろう)ということだ。仮想通貨のやりとりなんていうものは、ブロックチェーンのポテンシャルにおいては「単なる氷山の一角」のことらしい・・・(通貨なのでどうしても人の欲望がからむから、ちょっと動きが激しくなるわけで、でも思えばこれまでもハイテク技術を進化させてきたのはいつだって途方もない欲望がドライブしていくときである)。


 そして読みながら私の頭に浮かんできたアイデアは、ブロックチェーンを使うことで、世界中の言語データが収集・蓄積され、さらにAIでの自動学習を加えていくことで、世界中のどこに行っても高精度の同時通訳での交流が低コストで可能になるのではないか、ということだ。具体的な技術的手段はもちろん説明できないが、「おそらくそういうことも可能にさせる仕組みなのだろう」ということは想定できるわけだ。まぁ、私のレベルでそういうことがすぐ思いつくということは、すでに世界のどこかで誰かがすでにその方面で研究を行っているんだろうとは思う。でもこれなどは、ブロックチェーンを使うことによる比較的ポジティブで平和的な利用方法のひとつではないだろうか。ただし(奇しくも英語教育をネタにした前回のフリーペーパー「HOWE」でも示唆したように)、そのせいで外国語教育産業そのものが成り立たなくなると、別の混乱が引き起こされるかもしれない・・・まあ、それだけのインパクトや影響力が、このブロックチェーンなる新技術は秘めていて、そこの可能性や危険性というものをもっとちゃんと見極めていかねばならないようだ。

 ちなみに、ここ数年は仕事の関係でグーグル翻訳を使うことがちょくちょくあるのだが、最近のバージョンアップで、突如として劇的に翻訳能力が賢くなっていて、ちょっと薄気味悪いぐらいである。ただそうした気味悪さをはるかに凌駕していくような存在がきっとブロックチェーンの暗闇から立ち上ってくるんじゃないだろうか、とも思っている。あくまでもすべては予測の領域ではあるが。

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2018.01.06

電球色でないと生きられない人々を救う「スワン電器」に敬服した話

せめて自宅にいるときぐらいは、白い蛍光灯のもとで生きていたくないのである。

電球の明かりが心安らぐので、家の照明は洗面台以外はすべてできる限り電球を使っている。LED照明の電球色も大手メーカーが作ってはいるが、どうしても「ニセモノの光」っぽく感じてしまう。そして鋭さのようなものが、ちょっと痛々しいぐらいに光る印象がある。なので可能な限り電球を使い続けたいのだが、近年はあらゆる部分でLEDに取って代わっている。「電気代がもったいないからLEDの白色電灯でガマンしなさい」なんていう人とは、もはや生きていくうえでの哲学が根本で異なるから、一緒に暮らせないと思う。これは死活問題みたいなものなのである。

さて、そんな私はいまの賃貸に住んで3年目になるのだが、住み始めたときからひとつだけ大いに不満だったのが、メインの部屋の天井照明だった。例のごとく「白色LED蛍光灯」で、しかも不思議な形状の蛍光灯だからか、それらを囲む円盤状の照明器具一式が天井に固定されていて、取り外せなかったのである。

なので私は、この天井のライトを使用することなく、他のコンセントから細々と電球ランプをつなげて、いつも間接照明だけでチマチマとやり過ごしていた。別にこれはこれで差し支えなく、「ちょっと暗いかな」ぐらいで生きていた。モグラだ。

そうして3年目の正月を迎えた今日、(そう、まさにこの記事を書いている朝)、たまたま天井照明を覆う白い半透明のプラスチックカバーが少し傾いていたことに気づき、取り外して拭き掃除をしたのである。
そのおかげで、円盤状のLED照明器具の中身を私はひさしぶりに改めて見ることとなり、しばらく考え、
「これ、本当に取り外せないのか?」となったのである。

そうしていくつかグダグダと試行錯誤していると、取り外せないと思っていた最後のコネクタの部品が、見事に外れたのである。

「!!外れたっ!!??」

そしてこの部分だけが天井に残った。

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どこにでもあるシーリング器具のコネクタである。

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ただ、これは私にとって、あたかも映画『2001年宇宙の旅』で、モノリスが月で発見されたときに匹敵する衝撃的な出来事であったのだ(ヘンに汚れているのが気になったので、そのあといろいろ試して拭いてみたが取れなかった)。

「こ、これだったら・・・好きな照明器具が取り付けられるッ!?」

・・・というか、まぁ、お察しの通り、嬉しさとともに

「どうして!? 

いままで!? 

3年間も!? 

もっとトライしなかったのか自分!?」

という、自分への叱責が鳴り止むことがなかった。

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というわけで、古い照明器具を大きいビニールにつつんで収納の奥にしまい込み、すぐに家を出て向かったのが、「a.depeche(アデペシュ)」であった。
この雑貨&インテリア店は、私にとってひとつの理想郷みたいなところで、置いてある商品がことごとくツボで、共感するあまりできることならこの店の中で住んでいたいと思うぐらいである。

で、以前からこのお店に置いてあった照明器具がすごく欲しかったのである。
天井照明をあきらめていたので手を出さなかったが、ここにきて自分は(降ってわいたように)天井照明を必要としている~!! となり、もうこの店しか眼中になかった。

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ソケット&コードは、その名も「LONDON LIGHT」! もうこれは商品名だけで選んだといってもいい。シェードをつけるようなソケットも考えたが、ひとまずこのシンプルなカタチで試してみようと思った。コードを束ねる金具も素敵すぎる。

そして肝心の電球だが、LEDながら電球色を徹底的に極めた、スワン電器(株)の「LED SWAN BULB D2000」だ。

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電球一個にしては結構なお値段(3,800円ほど)がするのだが、こういうのはもはや「電球じゃないと生きられない」人々が買い支えていくしかないのである。

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オシャレな梱包。

こうして、さっそく取り付けてみた・・・

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スイッチオン!


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うおおおおおーー!!

すごいオレンジ色!!!

・・・や、思っていた以上に、電球(オレンジ濃いめ)だった。すごい。LEDとは思えないクオリティ!

壁際のスイッチをオンするだけで、天井からこのライトが灯ることに、何より感動。

ネットでも買えるようなので以下貼り付けます。

まずLONDON LIGHTはこれ。

そしてスワンの電球、他にもいろんなカタチがある!

いつかはこういう製品ができるものと思っていたが、ぜひ今後も作り続けてほしいものである。

(そして今年2回目のブログもまたしてもお買い物系の話になってしまい・・・)

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2017.12.26

自動でフタが開閉する便座について、価値観がくつがえった話

 毎月通っている鍼灸師さんについては、そのプロ意識や哲学に共感でき、とても尊敬している。そしてまたこのブログで以前も書いたように、鍼灸師さんのオススメするものについても私は影響を受けやすく、すんなりと取り入れて購入したりもする。

 そうした付き合いを通して分かってきたのは、鍼灸師さんは家族を抱えつつ個人開業で真摯に患者さんと向き合い日々奮闘している一方、どうしても物欲にはコロッと負けることが多いようで、本人もそのことを認めている。なのでこのごろの話のテーマは「最近どんな高い買い物をしたか/いま欲しいものはなにか/自分の買い物は果たして正しかったのか/物欲とは、所有欲とは何か」といったものが増えてきて、物欲をめぐる深遠な葛藤を互いに語り合うことが多くなった。

 私は身体のメンテナンスをしに鍼灸を受けに来ているはずなのだが、なんだか最近はそれに加えて「消費活動の心理をめぐるカウンセリング」を受けているようにも思える・・・とはいえ、相手が迷い続けている買い物についての対応としては、『ひたすら背中を押して励ます』ことがほとんどなので、問題の解決にはほど遠い気もする(そして物理的にも鍼灸師さんは私の背中に針を打ち、お灸を据え、マッサージを施してくれているわけだが)。

 さて、そんな鍼灸師さんが最近買ったもののひとつが、「センサーで感知して自動でフタが開閉する便座」であった(すいません、飲み食いの楽しい歳末に、ここから今日はちょっと臭う話になっていきますよ)。

 ある場所でその良さを味わい、ぜひ我が家にも導入したいと熱望して、調べたらけっこうなお値段がしたそうだが、思い切って買ったとのこと。

 その話を聞いた私の最初の反応としては、「たしかにトイレのフタを触らなくてもいいのは衛生面ではメリットがあるけれど、そんな大枚をはたいてまで自宅に導入する価値はあるのだろうか? トイレのフタぐらい自分で開け閉めすればいいのでは?」というものだった。

 しかしそれは全自動トイレを使ったことのない人間ゆえの浅はかな思い込みなのであった。そのトイレとともに始まった新たな生活のなかで鍼灸師さんが感じ得た以下の境地が、私の思い込みを転換させてくれた。

 鍼灸師さんいわく、トイレに入って便座のフタがパカッと開くということに、

「トイレがまるで自分を歓迎してくれているかのように感じる」

というのだ。

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     目からウロコ、ポコーン!!!!

「な、なるほど・・・・!!」と、思った。

そして私も「それは、お金を払う価値がありますね! ていうか、長い目でみたら、すごく安い買い物かもしれない!!」と、一瞬で考えを改めたのであった。

つまり、「トイレが自分を歓迎してくれる」という感覚は、その効用として便通の良さにも通じていくのではないかと思うわけである(笑)。

気持ちの問題ではあるのだけど、自分のおかれた状況にたいして、今からお世話になる便器が「歓迎の意」を表してくれているのであれば、そこから得られる「心理的なサポート感」は、プライスレスな価値がある、と思う。「ようこそ! ささっ、どんどん出してって!!」(笑)

本人だけでなく家族全員がそういう気持ちでトイレを利用できるようになれば、健康面においてさらに計り知れない価値がある。

・・・・というわけで、その話を聞いて価値観の大転換が起こってしまった私は、「いつか欲しいもののリスト」のなかに新たな項目を付け加えたことは言うまでもない。

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2017.08.24

ECHOESなロンドン旅2017夏・その2:レンタル自転車に乗って天使の声を聞く

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 今回のロンドンは自分にとって7回目の滞在だったのだが、7回目にしてようやく実現できた「夢」がある。

 自転車でロンドンの街中を走り回ることだ。

 これも時代の流れというべきか、数年前から乗り捨て型のライドシェアが当たり前のようにあちこちに設置されているのである。前ロンドン市長のボリス・ジョンソンがサイクリング好きだったようで、このあたりの施策が一気に進んだよう。なので巷ではこれらの自転車を「ボリスバイク」と呼ぶらしい。

 もちろん、このようなサービスが展開されるずっと前から「レンタルサイクル」のサービスはロンドンにも存在していたはずだろうし、「ロンドンを自転車で走り回る」というささやかな願望は、それなりに努力して調べたらすぐに実現可能だったのかもしれない。

 とはいえ、なにぶん海外旅行において、現地であの狭そうな道路を、遠慮なくハイスピードで飛ばすタクシーや二階建てバスとともに自転車で走るのは危険な感じがしていた。何せ海外では自転車は完全に車道を走るのが常道であり、日本のように気軽に歩道の上は走ってはならないのである。なので「ロンドン・サイクリング」はなんとなく遠慮していたのであった。「いつかロンドンで暮らすときがきたら、お気に入りの自転車で走ろう」なんていう、実現するのか分からない夢想のなかにずっと押しとどめていたわけである。

 しかし今回、実質5日間しかロンドンにいられない状況においては「味わえるものはどんどん遠慮なく、かつ速やかに味わおうモード」でいたので、かねてから気になっていたこのレンタル自転車に乗ってみることにしたのである。

 その記念すべきスタート地点は、テムズ川を越えた南の「旧バタシー発電所」の近くである。ここはかのピンク・フロイド『アニマルズ』のジャケット写真に登場したことで世界的に知られるようになった「産業遺構」であり、建物の姿を残したまま、周辺の再開発が最近とみに激しく展開されている場所である。2001年にはじめてロンドンに来たとき以来の再訪となったが、すっかり周辺は新しめのマンション群が立ち並んでいて、いよいよ今後はこのあたりも景色が変わりそうだなぁ(物件価格はいくらぐらいなんだろうなぁー、とも)と思いながら西日のまぶしい中をヨタヨタと歩いていた。

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 で、このバタシーから最寄りの地下鉄の駅まで歩くのがちょっと遠くて面倒くさいなぁ、バスでも乗るか・・・と思っていたら、タイミング良くボリスバイクのステーションが目に入ったので「まさに、いまここで自転車に乗るべきでは!?」となったのである。

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 このボリスバイクのくわしい利用方法については(こちらのサイト)で参照してもらえればと思うが、この利用手続きで個人的にとまどったのが、手続きの途中でクレジットカードを入れたあとにメイン画面をみると「画面の指示に従ってください」みたいな表示がでて、そのままメイン画面を直視しつづけても何も動きがなくて「?」となったことだ。ただそれはよく見たらカードを入れた箇所に別に存在している小さいモノクロ液晶画面のところで「PINコードの暗証番号を入力せよ」みたいなことが書いてあって、今はそっちの指示に従えという意味だったのね、となったことぐらいである。それ以外については、すべて日本語メニューで分かりやすく進む。

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 カード決済で24時間利用だと2ポンドだが、30分以内の利用だったら料金もかからない。そしてこのステーションには現在地や周辺状況の地図も描かれており(それゆえ、自転車を使わない観光客にとってもこれは良い道しるべの機能を果たしている)、自転車を乗り捨てることのできる他のステーションの場所も表示している。今回はその地図に描かれている範囲を越えた場所まで乗るつもりだったので、そうなると適当にステーションを探して、気が向いたところで降りるしかない。もちろん目的地が決まっていたら、交通局のホームページで検索もできる(こちら)。

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 印刷されたレシートには1、2、3の三つの数字で構成される5ケタの数字がある。ステーションに停車している自転車ならどれでも好きなのが選べて、ロックする機械についているボタンでその5ケタのボタンを入力すればカギが解除され、晴れてその自転車と旅をすることになる。

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 自転車は一般的なシティサイクルの形で、いちよ前カゴ(のようなもの)がついていてゴムバンドで固定することもできる。ただ当然ながら貴重品の入ったカバンをここに入れておくことは古今東西あまりおすすめできない。カゴとしても不十分な感じなので、風景や周囲の安全に気を取られて荷物が落ちていたら困るので、乗るときはリュックやショルダーバッグのほうがいいかもしれない。

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 サドルはレバー式で簡単に上げ下げできる。ギアは3段変速だが、ロンドンは平坦な土地なので、これでまったく十分だ。基本は3段で走り、ちょっと上り坂にきたなーと思ったら1段や2段に変えればいい。

 こうして長年の夢をかなえるべく、バタシーのステーションからまずはクルマの少なそうな住宅街の裏道あたりから「慣れ」のために路上に出てみた。たぶん初めのほうはずっとニヤニヤして乗っていたと思う(←怪しい人だ)。

 もっとも感じ入ったことは、あれほど「怖そうだなー」と思っていたロンドンでのサイクリングは、二つの点で「すごく、快適!!」となった。まず、日本とイギリスはともに左側通行の国であるため、そういう意味で比較的走りやすいということ。そして、これが何より重要なのだが、「日本と比べて、ちゃんと道路上における自転車の位置づけがしっかりとキープされている」ということだ。これは走ってみてはじめて実感できたことである。もちろん日本でも近年は自転車のためのコースや道路表示が増えてきているので喜ばしいことでもあるが、とかく車道のうえで自転車のためのラインはきちんと設定されている場所がほとんどであり、「自転車アイデンティティ」が尊重されている気分が新鮮であった。

つまり、「日本で自転車乗るよりもよっぽど車道で走りやすい!!」となったのである。
もちろん右折時などはかなり注意を要するわけで、ときどき「二段階右折」をしてみたが、よくよくみるとそのへんはクルマと同じラインでさっさと曲がっていく現地サイクリストがほとんどで、そのあたりの判断は難しさをちょっと感じたりもした。あと、日本ではあまり見かけない手信号も、現地のサイクリストはマメにやる。このへんの意識は見習いたい。

そしてたまたま近所には、バタシー・パークもあったので、すかさず入る。公園もよくみたら「自転車OKの道」とそうでない道がちゃんと分かれていて、こういう場所にくると本当にのびのびとした気分でサイクリングが楽しめる。そうでなくてもイギリスの公園は素敵なので、その楽しさが倍増した気分である。

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 旅に出てそのときの想い出を振り返るとき、「その旅を象徴するワンシーン」というのがあったりする。実は今回の旅での「象徴的ワンシーン」は、この夕方のバタシーパークのゆるやかな曲がり角を走りながら、ある種の開放感、恍惚感みたいな気分を味わったあの瞬間のなかにあった。

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 たどり着こうと思った地下鉄の駅はとっくに通り越して、とにかく自転車で走るのが楽しくて楽しくて、ぐんぐん北上するにつれて「近所にあるはずのチェルシーFCのホームスタジアムに自転車でいく」という新たな目標を思いつき、北上をやめてひたすら西へキングズ・ロードの通りを走る。ここは結構な大通りなので最初は緊張したが、信号の動きさえ注意すれば本当に快適なサイクリングで、ロンドンでもちょっと洗練された雰囲気のただようチェルシー地区というのがどういうエリアなのかを改めて自転車目線で味わえたのが本当によかった。

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こうして自転車をこぎつづけてたどり着いたスタンフォード・ブリッジのスタジアムは、またいつもと違う感じで眺めることができた(ちなみに、地図を見なくてもたどり着けるという自分の過信と思いこみで、一カ所道を間違えて、途中で引き返した)。

 やーーー、たのしい。これは、マジで、おすすめっ!!

 そしてさらに自転車で北上し、ロイヤル・アルバート・ホールをめざし(このホールについても後日このブログでちょっと書く予定)、そうして調子に乗ってハイド・パークの中も走りまくった。公園を出てさらに北上したあたりで2時間ぐらい経っており、もうそろそろ暗くなるし自転車を停めようとステーションを探しだし、いざ停めようとなったところで「?」となる。指示通りロックの機械に前輪を合わせても、なぜか作動せず。

 そのステーションはたまたまなのか、他に停車している自転車がなく、いわば「無人」だった。場所を変えて何度もトライするも、どの機械もロックしてくれないので、壊れてるのか? となる。うぅむ。

 しかし旅とは不思議なもので、そうやってグダグダと独りで戸惑っているうちに、まるで街角をさすらう天使がタイミングよく我々を見つけるかのように、遠くの背後から何か声をかけられたりするのである。振り向くと、肌着っぽい白シャツを着た白髪のオジさんが家の玄関から「もっとハードにプッシュしろ!」みたいなことを言っていた。なので自分なりにハードに自転車の前輪をロック機械のスキマにガツン!!とぶつけてみると、緑色のランプが光って、ガチャッとロックされた。なるほどー、そういう感じなのね。

ひとしきり「この自転車って、いっつもこんな感じなんだよなぁ~」みたいな雰囲気のオジさんの言葉に、英語力が足りない私は笑顔とノリだけで反応して、その場を離れた。「もっとハードにプッシュしろ」というのは、それは人生における天使からのメッセージか? とかなんとか思いつつ。私は、あのオジさんにサンキューと言えたかどうかも覚えていないのだが。

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2017.03.04

さいきんのこと:プレステVR、デロンギ、『繁栄』、三谷幸喜と清水ミチコの対談について

 先日同僚のタスク家におじゃましたときに、最近話題の「プレイステーションVR」があって、ちょっと遊ばせてもらった・・・いやはや驚異の体験とはまさにこのことで、ゲームの世界に没入するというのは、文字通りの意味でこのVRという装置が叶えてしまった。

ファミコンをはじめて触って以来30年近くが経ったが、家庭用ゲーム機はついにここまできてしまったのかと、何か踏み込んではいけない領域を垣間見た気分で、「すげー!!」と叫びまくってしまった。当然、プレイ中は周囲に頭とかぶつけないようにしないといけないわけで、バーチャルの世界に埋没するがゆえに気をつけないといけない物理的状況を、現実的に配慮しないと危険なのである。当たり前といえば当たり前なのだが。

 実際にVRに対応したゲームの世界では、こちらの自由意志による視点移動を現実世界のそれのようにあらゆる角度で表示することを可能としている。つまり走行中の車のなかにいて、後ろをふりかえってみると、こちらの首振りのスピードに合わせて後部座席に映る景色をスムーズに見せてくれるわけだ。ふー。

 タスク氏はこのVRをまだ自分の子どもたちにはプレイさせておらず、それはとても賢明な判断だと思った。物心ついたときからこうしたバーチャル・ゲーム機器で遊びまくることで、いざ自分が生身の状態で運動をするときに、どうしても物理状況における限界、「身体が動き得る幅の狭さ」みたいなものを感じてしまい(動きにくいし、失敗したらケガも怖いし、いいことがない)、リアルな運動に興味を抱かなくなる子供が今後増えていくんじゃないかと想像してしまう。あくまでもバーチャルが楽しいのはリアルとの比較があるからなのだが、こうしたバーチャル・ゲームの流れが不可避となると、大きい目でみたときにどういう影響が浸透していくのか、見守っていくしかないのだろう。

 ちなみに、ゴーグルで映像を見せる装置という観点でいけば、このVRをつけたときに真っ先に感じたのは「まるで映画館にいるみたい」ということだったので、寝たきりの人とかがDVDの映画を楽しむときの補助具というような方向性も今後発展していくのだろう。


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いまさら驚くべきことではないのだが、住んでいる場所がとても寒く、部屋が冷え冷えとしており、エアコンだけでは限界を感じていた。しかし改めて賃貸契約をみると、燃やす系の暖房機器は使えないので、最近思い切ってデロンギのオイルヒーターを買ったのである。

 いままでオイルヒーターの導入をためらっていたのは、「置き場所によって性能が発揮できるかどうかが決まる」とか、「すぐには部屋が温まらない」という情報が、どうもひっかかっていたからである。しかし、ためらっているあいだにも部屋は寒いままであり、「ないよりはマシだろう」と買ってみたわけだ。

 そして結論からいうと「たしかに、いったいどこに置くのが正解なのかが分からない」ということだった。いちよガイダンス通り、もっとも寒くなりやすい窓際に置いているのだが、あまりにカーテンや壁にヒーターを近づけすぎると危険らしいので、このポジショニングが実に中途半端なものになるのだった(電源コードとコンセントの関係も考慮しないといけないし)。そして案の定、あまり温かさを感じることはない。

 これは何かに似ているなぁと思ったら、それは「どこのポジションが最も適正なのか分からないままのサッカー選手」だった。チームを去るときまで、結局どこのポジションがベストだったのか分からないままの選手はかなり多い。そのモヤモヤがまさにいま、オイルヒーターという物体として私の日常に、ささいな懸念事項として存在しているのである。

そういう意味ではかなり人間くさい器具かもしれない。そう思うと愛着すらわいてきた。寒いけど。

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 最近読んだ本でダントツに面白かったのが、マット・リドレー・著『繁栄―明日を切り拓くための人類10万年史』 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2013年)だ。

「いろいろ言われているけど、世界はこの10万年単位で、確実に『良く』なっている」というのがこの本の主張なのだけど、その是非はともかく、人類の繁栄のキーとなったのが「分業と交易・交換」という概念であるというポイントはとても示唆的だ。あるアイデアを、他人とシェアしたり、交換しあうことで、新たなアイデアが生まれていくということをひたすら繰り返してきたからこそ、人類は生きのびることができたというのがこの本全体を通して検証されている。

このネット時代だとなおさらその「分業・交換」のプロセスは予想を上回る規模とスピードで行いうるのだから、そうしてまた新たな課題解決に人類は取り組み、乗り越えていけるのだろう・・・という前向きな気分が読後感として残るので、ひろくオススメしたい一冊。

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あ、あともう一冊、このシリーズをいままでなんでスルーしてきたのだろうと後悔していて、このごろジワジワと集めて読みまくっている。三谷幸喜と清水ミチコの対談集。

もともとはFM番組での喋りを文章化しているのだけど、なんかこう、言葉のテンポや相手の発言への切り返しとか、文章だからこそできる「ある種のカタチやパターン」において、読み手を引き込んで、笑わせる技術に昇華させていて、この二人の絶妙なレベルでの掛け合いが、読んでいて爽快なのである。

ちなみに「むかつく二人」の文庫版は6年前に出たものだが、巻末の解説はいまをときめく星野源が書いていたりする。



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2017.01.25

古い時代のF1ファンにとってグッとくる体験ができるのは、実はこんな金曜日のことだったりする。

今日の記事はひさしぶりに「元F1マニアとして」体験したことをテンション高めに書いていくので、恐縮だが、ついて来られる人のみ読んでいただくしかなく、そこのところをあらかじめ断っておく。

ちょっと前の話になるが、たまたま金曜日の平日に休みを取り、せっかくなので日帰りで遠出をしたい気分になったので前日の夜にいろいろと調べてみた。「そういえば鈴鹿サーキットは最近どうなっているのかねぇ」とホームページをみると、ちょうどその土日に「Sound of ENGINE」というイベントがあることを知った。これは懐かしのレーシングカーのデモ走行を行うというもので、よくみるといろいろなカテゴリーのクラシカルなマシンが参加予定で、そしてF1マシンもなかなかのラインナップだった。そして開催日前日の金曜日は、準備日として「練習走行」のみが行われる旨が書かれていた。この練習走行は、土日のイベントのチケットを持っていれば観覧可能とのことだったので、日帰り小旅行のネタとしては悪くないと思った。

こうして金曜日の朝にひとまずコンビニで土曜の1日券を買って、私は鈴鹿に向かったのである。

そして結論から言うと、金曜の練習日に鈴鹿サーキットを訪れてみたことで、私は古い時代のF1マシンのファンとしてこれ以上ない最高の時間を味わうことができたので、以下そのことを報告させていただく。

このイベントのチケットを持っている人は、「パドックエリアも入場可能」と書いてあり、そのことが私を鈴鹿に行かせるうえでのモチベーションのひとつにもなった。普通、パドックエリアというのは特別なチケットを持っていないと入れないイメージがあり、「レースをやる側」の世界に触れるエリアのはず、なのである。「Sound of ENGINE」の入場客は気軽にパドックにまで行けるのであれば、それはとても価値のある機会だと思った。

そして金曜日はまだイベントの準備が行われている状況で、遊園地の入場料を支払ってサーキットエリアに向かいつつ、あらかじめコンビニで買っておいた「Sound of ENGINE」のチケットもすぐに取り出せるようにカバンに入れていたのだが、「パドックへのトンネル入口」に足を踏み入れ(緊張した)、そのまま突き進んで、トンネルを出てついにパドックエリアに来た!となっても、なぜか私のもっているチケットをチェックする係員などはおらず、私はどこに行ったらいいのか分からないまま、そのままピットの裏側まで普通に訪れることができた。

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で、いきなりピットガレージには、こういう状況を間近で見ることとなった。

たとえばカナダの富豪、ウォルター・ウルフのF1マシンがぽつんと置いてあったり。

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おいおいおいおいおいおい(心の中の声、動揺)。

私の生まれた1977年のF1でチーム初出場・初優勝を挙げたマシンである。後にフェラーリでチャンピォンになる南アフリカのジョディ・シェクターが乗っていた。もちろん、はじめて実車を観た。

ええと、これ、わたし、じっくり見学してていいんでしょうか?(心の中の声、動揺つづく)

でも、周りをみると、私と同様の、おそらく普通の客だと思うのだが、そのあたりをウロウロしていて、そしてピットガレージだったり、あちこちに立ち入っている。

ここは鈴鹿サーキットのピットガレージである。部外者の私がピットガレージにいていいんでしょうか。その想いを抱えつつ、表向き冷静にカメラで撮影しまくっていた。

通常のレース時には「ピットウォーク」というファンサービスのイベントはよくあって、決まった時間だけ、観客がピットレーンを歩いてガレージの中のマシンを外側から見学する・・・というものがあるのだが、どうみてもこの日の午後は、そういう「ピットウォーク」ではなく、単に「誰しもがピットガレージもピットレーンも、さらにピットウォールにも立ち入ってても特に何も言われない」という、かつてのモータースポーツファンだった少年時代の私にとっては鼻血が出るような状況だった。「マジっすか、マジなんですか、この状況は!」と、内心ずっと叫びっぱなしであった。

ちなみに耐久レースのグループCカーのカテゴリーも今回登場していて、その迫力ある佇まいにも圧倒。

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そうして、今回のイベントの「目玉」である2台の車を手がけている、外国人スタッフだけのピットガレージがあった。
フェラーリ312Tと、ティレル006。マジか・・・。

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ここも最初は遠巻きに観ているだけなのだが、他の一般客がカジュアルにガレージの中を通って、マシンを間近に観ていたりするので、私も徐々に中に入り、この状況のなかで、この貴重な車の整備作業をかなり長い時間見守っていた。

イベントのスポンサーの関係だったり、クラシックなレーシングカーを管理する団体から派遣されてきた雰囲気のスタッフさんなので、「レースをやるために来た」わけではなく、「趣味人のオジさんたち風情」のただよう現場だった。それゆえに、我々一般ファンもあまり臆することなく、ガレージに佇んでいられた気がする。

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なので、「ええと、何か飲み物でも買ってきましょうか?」とか言いたい気分でもあった。

しかしだ、目の前のこれ、フェラーリ312Tだ。ニキ・ラウダとともにこの当時のフェラーリで闘ったクレイ・レガッツォーニの車だ。1975年だ。

エンジンの試運転がはじまる。煙と匂いがただよう。時代を超えて、豪快なエンジン音が私のいる空間に響く。ええと、私はここに居てていいんですよね? そればっかり頭によぎる。

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動画も撮ってみた。

なんだこの、贅沢な時空間。

テスト走行の時間がはじまり、時間割にしたがってそれぞれのカテゴリーのマシンが走って行く。
そんなわけでグループCカーが野太い音とともにコースに出て行き、メインストレートに戻ってくる。

そしてそれをピットウォールにへばりついて見届け、爆音につつまれている。
ええと、ほんとに、ここに居ていいんでしょうか、危険といえば危険な場所なんですけど!?

そして着々とフェラーリF1が整備されていき・・・
誰が運転するんだろうと思ったら、さっきまで整備していたおじさん、ガレージの隅で着替えをはじめて、まさかのレーシングスーツ姿に。
いやー、このへんの、なんというか、アバウトな展開に、笑えてきた。

こうして発車準備が整い、ガレージ内にエンジン音が轟き、スタッフの兄さんが1人で後ろからマシンを押すのだが、ここまでくるともはや私も一緒に手を貸して押そうかというぐらいの勢いになっていたが、ガマンして動画を撮るほうを選んだ。

そんなわけで、この日私はひさしぶりにF1マシンにとっぷりと浸かって、なんともいえない充実感を味わった。
間違いなく翌年のスケジュールや来日マシンを確認していることだろう。そうか、現役のF1レースではなく、私はもはやクラシックカー趣味みたいなもので、こういう方面でF1を追ってもいいのだとあらためて実感した。

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テンション高まって自撮りもするわな、この場所だと。

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またこういう光景を見たいと思う!

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2016.09.12

『TED TALKS:スーパープレゼンを学ぶTED公式ガイド』&TEDICTのアプリが素晴らしい件

 出たばかりの新刊書をすぐ買って読むことは少なくて、ましてそれを人に勧めるのも稀なのだけど、この本は強烈にマジでおすすめ。
 この本はTEDが発展してきた歴史的展開をふまえつつも、それぞれの章において実に巧みに「プレゼンテーションの実践的ハウツー」を余すところなく紹介しており、きわめてストレートすぎるほどの「実用書」だった。と同時に、この本で実例として触れられているTEDトークの数々も、まだ観たことのないものが多くて、それらをすかさずネットでチェックしたくなるという意味では、「TED自体のPRプロモーションの本」としてもバッチリ狙い通りだったりする。

 特にこの本で繰り返し強調されているのは、ひとつのトーク、ひとつのプレゼンは「聞き手を旅行に誘うようなもの」というコンセプト。話者は旅行プランナーであり、観光ガイドであるわけで、「いかに面白い旅を提供するか」という切り口で捉えると、どこでみんなの注意をひきつけ、どこで「景色を味わってもらうか」を考え、どこまで自分の言いたい説明を、旅への興味を削ぐことなく伝えていくか・・・などなど、あらためてプレゼンの準備において大事なものがどういうことか、考えさせられる。

 というわけでこの本を読みながら、終始「うまい・・・さすがや・・・」と、唸った。つまりこの本の内容として、お客さん目線で知りたいことを知らせ、熱い気持ちにさせつつ、しっかりと自分たちの言いたいこともページの隅々に染み込ませていて、その方法論そのものが、まさにTEDが目指しているありかたにも通じていることがわかる。だからこの本を通して学べることは、今後もTEDの壇上にあがるようなことがない人々(ほとんどがそうだ)にとっても十分に役に立つわけで、もはや人前でのスピーチだけでなく、広くコミュニケーション全般において忘れたくないネタが満載の、買って読んで損はない一冊となっている。

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 ちなみにTEDの動画を用いた英語のリスニング教材のアプリで「TEDICT」というのがあるのだが、これが実によく出来ていて、ゲーム感覚でTEDのトークをネタに「リスニングしながら単語並び替え作文」ができてしまうので、移動時の暇つぶしには最適。私のiPodにはこれに加えてウィズダム2の辞書アプリも入れていて、分からない単語はTEDICTの画面からコピーしてすぐに調べられるのでこの組み合わせは今のところ最高だ。
 TEDのお気に入りトークをひたすら聞き続けるわけだから、話の内容も英単語も染み込んでくる感じがあって、かつ「英語を勉強している感じがあまりない」というのもポイント。数多くの英語教材が「日常会話の例文」を覚えさせようとして、もちろん大事なのは分かっているけど、どうしても「わざとらしい会話」に感じてしまって覚える気になれない自分にとっては、いやホント、良い時代になったと痛感している。少なくともこの分野においては。
 TEDICTについてはこちらの記事など!


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