Posts categorized "忘れないでおきたいニュース"

2017.05.16

自分が40歳になったことと、U2の”40”と、『おろしや国酔夢譚』のこと

40歳になったのだけど、何か久しぶりに、U2の古い曲『40』のことを想い出して、リピートしたりする。

もっとも、このうつくしい曲の主題は年齢のそれなんかじゃなく、旧約聖書詩篇の40篇だそうで。
「How long to sing this song」って、まさにそんな気分。

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ここ最近の突発的マイブームが、映画『おろしや国酔夢譚』で、その原作となった井上靖の本もがっつり読んだ。
この映画が作られた、バブリーで景気の良かった頃、日本テレビがこの映画について放映していたのを観た記憶が突然浮かんで、この江戸時代の漂流民の実話に基づく長大なスケールの映画が急に今になって気になりだしたのであった。

漂流してアラスカに近いぐらいの離れ小島に漂着して、何も分からないまま、ただひたすらロシアの言葉を少しずつ覚えて順応していって、そこから帰国を願いつづけて9年間、最終的にはこの大黒屋光太夫はシベリアを超えてユーラシア大陸の西の端、サンクトペテルブルグまでたどり着くという、とんでもなく数奇な運命のなかで、女帝エカチェリーナ二世に直接会えることとなり帰国許可を陳情するわけだけど、人間の持っているエネルギーとか精神力とか、ありとあらゆる部分の感動を覚えてしまう話である(帰国後は鎖国体制下の事情により、かなり不遇な晩年を送ったそうだが)。
 そしてどうしたって命を落としそうな過酷な生活環境と決死の大移動のなか、あらゆる場所で光太夫らを支え、応援してくれた無数の人々がいたのも確かであり、距離や時代を超えたヒューマニズムに、純粋に心打たれるものがある。

とまぁ、最近の私はことあるごとにこの『おろしや国酔夢譚』の話をしているのだが、先日、職場での懇親会の席上、同い年の同僚S氏にそれとなくこの映画の話をすると、彼は中学2年生のときにリアルタイムでこの映画を観てから、たまたまモンベル社の企画で「ロシアの川を3ヶ月間、ロシア・アメリカ・日本の若者が一緒になって川くだりをするツアー」というのに出会い、親に頼んでひとり中学生ながら参加して、初の海外体験をロシアの果てしない川下り、しかも言葉もよく分からない者同士で過ごすということをしたという話をしてくれた。なんたる奇遇。そして中学2年といえば1991年で、ソ連崩壊の大変革の時代だったはず。こんな身近に、そんなとてつもない冒険をしていた人が居たとは! と、驚きまくってしまった。

人生ってこういう感じで、ちょくちょくビビらせてくれるから好きだ。

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2016.12.07

黒沢健一、ありがとう

 出張で、梅田のとあるビルの一室にたどりつき、ブラインドの隙間から見える大阪の街を眺めながらぼんやり座っていた。

 そのとき、かつて高校3年のときに組んだバンドメンバーのLINEグループ宛てにボーカルのK奈から書き込みがあって、

「黒沢健一、ありがとう」

とあって、
すべてを察した。


つらいなぁ、いろいろと。

さいきん。


早すぎる死に黙祷。

みんなでL⇔Rの曲をたくさん練習した1995年の記憶とともに。

個人的にはこの一曲。


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2015.12.06

『岐阜マンとゆく ぎふのモノ』という本が出版されています!

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岐阜のいろいろな観光地やおもしろスポットを紹介するフリーペーパー漫画『岐阜マン』のファン必携の本が「さかだちブックス」というファニーな出版社から出ております。

何せタイトルに「岐阜マンとゆく」と付けてしまったのだから、まずこの「岐阜マン」が何なのか知らない人にとっては、ミステリアスでアメージングな読書体験予測を強いることになっている、そのことがすごい。

でも内容はそこまで岐阜マンが「プヒャー!」とか叫びまくるわけではなく、あくまでも岐阜の良さをしっかり伝えよう、岐阜っていろいろ見どころがあるんだよ、ということが落ち着いたトーンで解説されている本なのである。
(そして最後のほうに、岐阜マン自身についての解説もかなり詳細に書かれている。ずっと気になっていたあの頭の「岐」のナゾが解けたり・・・!)

くわしくは(こちら)のページを参照。

この勢いで岐阜マンとシェフチェンコが岐阜の観光大使になっていったらいいなぁと夢想!
そして岐阜マンはサッカー大好きなので、FC岐阜の中の人たちもぜひ岐阜マン要チェックや!!(笑)

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2015.07.24

先日のツイートについての件

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先週の金曜日、こんなツイートを発信した。
これは確かに、数日前の安保法案の強行採決という大きな社会的情勢を意識したものであることは認める。で、それと同時に、この発言はきわめて個人的な範囲での気持ちに基づいて、ちょっと感情的になって書いている部分がわりと大きかった。

そうして身のまわりの友人知人がこの発言をリツイートしてくれたのだが、この「怒り」を込めて書いたテキストに、何らかのエネルギーが帯びていたのか、ひょんなことからこの発言はその後もリツイートの拡散が続いていき、一週間後のいま、結果的に1万5千回ものリツイート数を重ねるに至ったのである。

たくさんリツイートされるということは、この発言に共感を覚えてくれたたくさんの人がいるわけで、それなりに嬉しくも思ったが、さすがにこの数字は正直戸惑っている。みんな、よっぽどイライラしているのか・・・とも思ったり。

そしてリツイートが増えれば増えるほど、それにともなって、この発言への反論や意見がダイレクトに返信されてくるようにもなっていった。「甘い」とか、「学生が自分の信じる道を進んだからそういう大人になった」とか、「甘い言葉で若者をだましている」とか・・・。それらは「確かにそうかもしれない」、というほかない。このような問題は、スタンスの違いがあって当然で、私なんかは「甘いこと言って学生をその気にさせてダマす大人がもっと増えたっていいんじゃないか」って思っているんだなぁ、と改めて痛感した次第だ。

自分の意見について、見知らぬ大勢の人から賛意なり反論なりがリアルタイムにどんどんやってくる経験というのは、間違いなく人生で今まで味わうことのなかった感覚であり、今回の爆発的なリツイートの拡散について、私はソーシャルメディアの持つ可能性と、ある意味での怖さみたいなものを改めて実感できた。

そしてこのツイッター騒動に限らず、この7日間は自分にとって忘れられない日々となり、よりいっそう、自分の意見を持つこと、発信しつづけること、叫び続けることの大切さをあらためて実感しつつ。


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2015.06.30

R.I.P. クリス・スクワイア

私にとって2015年の6月はすでにもう思い出深い一ヶ月であることは確定していたはずなのに、この最後の最後になって、まさかこのブログでYESのクリス・スクワイア逝去の話を書くことになるなんて、切ない。

YESというバンドは、幾多のメンバーチェンジを行いつつ、そしてまた出たり入ったりを繰り返し、さまざまなミュージシャンによるひとつの大きなYESファミリーともいうべき関係性のなかで、45年近い歳月をかけて活動を続けてきた。そのことは、ある種の実験精神の賜であり、まさに「プログレッシヴなあり方」の模索でもあったかもしれない。

バンドを続けるため、「YESミュージック」を継承していくために、そのためにはボーカルだって変わるし、ギタリストだってドラマーだってキーボードだって変わってきた。

ところが、このバンドで唯一絶対的に替えの効かないポジションがベーシストであり、そしてよりによって、そのベーシストが先にこの世からいなくなっていくというのは、想像できなかった喪失感を覚える。

今日を境に、YESというバンドは突然、終わっていくことになった。そういう意味合いなのである。
(もちろん、それでもバンドが続いていくのであれば、それは尊重されるべきである)

今はただ、YESの曲をたくさん聴いて、彼がもたらしてくれた至高のメロディーと、あのハイトーンでゴリゴリしたベースの音を、今一度噛みしめることなのだろう。

ありがとう、ただひたすら「ありがとう」とクリス・スクワイアに伝えたい。時代が変わりメンバーが激しく入れ替わっても、ひたすら彼がずっと背負ってきたYESというバンドのおかげで、プログレッシヴ・ロックなんていう面白い世界に出会えたのだから。そしてその面白さゆえに、訳も分からない勢いで、私はフリーペーパーを作ろうと思い立ち、そして今に至っているのだから。

安らかに。

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2014.12.13

Suite Night Classic vol.27(難病・遠位型ミオパチー支援イベント)

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ミュージシャンとしての活動のかたわら、林未来彦さん・安田崇さんの二人が、それぞれの友人がかかえる難病「遠位型ミオパチー」のためのチャリティイベント「Suite Night Classic」を続けて、今回で27回目とのこと。足かけ6年にわたるその活動の、「問題意識を手放さない、そのグリップの強さ」には感服するしかない。

今日は梅田の「S’n緑an(しんりょくあん)」というカフェ・ギャラリーにて、遠位型ミオパチーの現況についてのプレゼンや、クリスマスをメインテーマにした生演奏ライヴが行われた。

「遠位型ミオパチー」とは、心臓から遠い部分の筋肉から徐々に活動機能が失われていく難病とのことで、治療法や薬が確立されておらず、20歳代に発病することが多いらしい。(くわしくはこちら

そしてこのたび、「難病新法」が新しく制定され、来年1月から「研究事業」ではなく「法律」として新たな局面を迎えるとのことで、ここにきて遠位型ミオパチーも難病指定をされたとのこと。ここで治療薬や治療方法への研究資金が回ることで、一刻も早い進展が期待されている状況なのであった。

プレゼンのなかでも言われていたことだが、法律などが整備されることはもちろん大事なことである一方、いざその制度を利用するにしても、体が思うように動かない当事者の人々にとって、これらの制度的な知識を自分から入手したり検討したり、そして膨大な書類を書いたりすることについては、どうしたってサポートや助け合いを必要とする。
そして今あらためてネットで調べてみても、難病新法がつくられることで、状況によってはまだまだ問題点が山積みになっている気配もあったりする(こちら→『難病新法制度案まとめ』)。

でもこうして、地道ながらも、光があたらなくても、自分たちのフィールドで、自分たちなりにできることを続けていくことでしか何も進まないとすれば、それが最善のプレーであることを、主催者とそこに賛同して集うミュージシャンの方々の良い意味で飄々とした雰囲気は教えてくれる気がする。
「できないこと、むずかしいこと」は認識するのは簡単なんだろうけど、それでもなお、何かに向かって一歩でも進めること、そこで必要となるエネルギー源のひとつとして、音楽やアートのチカラというのは有効だと信じたい。

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林さん、私のシャツ着てくれてありがとう!(笑)


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2014.11.01

現代における音楽シーンのビッグニュースであるはずのピンク・フロイド20年ぶりのニューアルバムが、日本人にとっては「これって秋元康みたいね」と思われかねない件について

この11月に、ピンク・フロイドが20年ぶりとなるニューアルバムを発表することとなった。
もうこういう出来事はないだろうとタカをくくっていたが、リック・ライトが2008年に亡くなったことを受けて、トリビュートの意味を込めて製作された、とのこと。

でも、でも、でも。

「亡くなった人への追悼としてアルバム作るのはそれはそれでいいんですが、それよりも、今も生き残っているバンドメンバーのほうをもっと大事にして、仲良くやってほしいんですけどー!!」

というツッコミもまた、全世界のあらゆる方面からなされているようにも思う。ライトが亡くなる直前の2005年に「LIVE8」の超短期再結成もあったわけで。あのときが、本当に最後の最後になった。

んで、肝心の新作ですが、

『The Endless River』

というタイトルでして、邦題に「永遠(TOWA)」とつけられております。

そして
アルバムのアートワークがこれで。

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うん、エンドレス・リバー・・・・。

もう本当にこれが最後の最後なんだろうかねぇー・・・・っていう哀愁をただよわせながら。

エンドレス・リバー・・・・。

そして思う。

日本人として。

これって、どこかで感じたことのあるノリじゃないか、と。

そうだ、

これだよ、

これ。


Pftowa2

美空ひばり『川の流れのように』

 「あぁ~うぁぁ~、かぁわのながれぇのよお~うにぃぃ~」

・・・つまりは、これって

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秋元康先生の作品ですね。

「ロック音楽以後のポピュラー音楽史にある種の金字塔を打ち立てた伝説のバンドであるピンク・フロイドも、最後の最後は秋元康っぽく終わっていく」

っていう、そんな感覚がぬぐえないんですけど!!

そしてもっと問題なのが、公式サイトで視聴できる3曲ぐらいの断片を聴いても、なんだかまったく微妙な気分になってしまっているんですけど!!つまり、あまり期待感が持てないのよ 笑

それでも、うむ、結果的には、ポッドキャスト「池袋交差点24時」で古市コータローさんがよく言うところの「お付き合いして買ってみる」ことになるんだろうが・・・。お付き合いも、エンドレス・リバー。(なんのこっちゃ)


前回のアルバムのラスト『HIGH HOPES』は、このビデオクリップの完成度も含めて非常に素晴らしかっただけに、もうこれでピンク・フロイドというバンドの役割が終わったとしても文句なかったんだよな・・・。

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2014.05.07

OUGHTというカナダ・モントリオール出身のポストロック・バンドのこと

知りたいことがあったので、オランダについて書かれた15年ほど前の本を今日図書館で借りた。

別にいますぐ読むべき本でもなかったのだが、帰りの電車のなかでちょっとだけ読んでいて、ふと気になったことがあったので家に着いてからネットでいろいろ調べ物をしているうちに、いくつかのステップを経て、あるライヴハウスのサイトに行き着き、そこでたまたま「OUGHT」という名前のバンド名を目にした。

ためしにクリックしてそこのページでアップされていた彼らの音源を流してみると、いい感じのロック・バンドだった。

で、日本語で書かれた何らかの情報を得ようと再び検索したら、3日前に書かれたばかりの音楽情報サイトがヒットし、彼らが「カナダ・モントリオール注目のニューカマー4人組ポストパンク・バンド」であるらしく、さらに他のサイトで確認すると、つい先日の4月29日にデビューアルバムを発表したばかりであったことを知る。まだアルバムをリリースして一週間ぐらいしか経っていないことに、なんとなくご縁を感じさせるものがあった。

出会いというのはそういう些細な偶然の積み重ねなんだろうけど、「ひょんなこと」のつながりを経ていくつかの段階に至ると、こういうとき特有の匂いというか、「おもしろ濃度」の高まりを感じさせることがある。たぶん私はこのバンドのアルバムを買うことになるだろう。
(そしてこのブログを読んでくれているあなたも、このモントリオールの新人バンドの存在に触れることになって、そこからまた場合によってはいろいろな展開が起こるのかもしれない)


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2014.03.22

考えてみたら「笑っていいとも」を生放送で視聴できる最後のチャンスだったかもしれず、そんな日のゲストがよりによって安倍首相だったこと

よりによって『うさぎ!』の連載をしている小沢健二がテレフォンショッキングに出て、その次の日のゲストが安倍首相だったことはオザケン的にどう思ったか。

よくよく考えたら祝日だったので「いいとも」の放送を生で観られる最後の日だったわけで、そこにあわせてテレフォンショッキングに安倍首相がくるという、まぁ、とにかく、「狙い通り」だったのだろうけど、何とも言いがたい展開だった。

タモリさんが「政治家はバラエティをバカにしていませんか」って聞いていたけど、それは意味の無い質問だったと思う。バカにできないからこそわざわざこんな舞台設定を整えて首相が出演したがるわけで。聞くべきは「政治家はバラエティ番組をみる国民をバカにしているでしょう?でもそれでオッケーなんですよね?」だった。首相が「いいとも」に出る行為のなかにその答えもあるわけで。

タモリさんも本当は違う話がしたかったかもしれないが、終始無難な話で推移していくし、この「やりきれなさ」のなかでこの国民的番組がフィナーレに向かっていったことを記憶に留めなくてはいけなくなり、なんだか悔しさとガッカリ感が残ってしまっている。

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さっきネットのニュースで「踊る客室乗務員に当局が警告、インド格安航空」っていうのがあって、まぁ副操縦士がスマホでダンスの様子を撮影していたのは確かにマズイとは思うが、私としては徹底したコスト削減が必須の格安航空会社であるにもかかわらず、わざわざプロのダンサーを呼んできて乗務員にダンスの訓練をさせていたというヒューマンな部分を評価してあげたい気分でもある。

そしてそれ以上に、このニュースをみるまで「スパイス・ジェット」なる名前の航空会社があることを知らなかった。このストレートすぎる名前のインパクト。日本だと「お米航空」みたいなフィーリングか。

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2014.02.22

浅田真央についてのNHKの朝のニュースの姿勢に、どうしても違和感を覚えた

ずっとモヤモヤしているので、やっぱり書いてみる。

浅田真央自身は、アスリートゆえに、今回の成績に納得していないはずだ。

で、その「納得できなさ」を僕らは分かち合うこともできるはずなのだが、朝のNHKニュースでは、フィギュアスケートの解説者がでてきて、どうにかして国民を「納得できるようなかたち」にもっていこうと躍起になっていたようにしか見えなかった。

「あのスルツカヤも、ミシェル・クワンも、金メダルは獲れなかったんです」

とのことで、最後には、

「この競技で金メダルを獲るには、“運”も必要になるんです」
(なので、浅田は今回、運がなかっただけなんです)

と述べていた。

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「ちょっと待ってくれ」

そりゃあ、そのように言われたら、観衆としての僕らは納得できるだろうし、収まりもつく。浅田真央のこれまでの努力、そして最後に見せた煌めきにたいして、心おきなく賛辞を送ることができる。

でも、でも、そのフィギュアスケートというスポーツを、これから志そうとしている子どもの立場になってその言説を捉えてみたら、それって徹底的に絶望的な気分になると思わないか。

「最後は運で決まる」

なんて、そんな説明をされたら、その子はどういう気分でスケートを続けることになるんだろうか。

「よくがんばったね、感動をありがとう」的な収まり方は、ワイドショーに任せておいていいことだ。
少なくとも報道として、ジャーナリズムとしては、今回の結果にたいして、いったい今回の敗因の何が問題で、そして今後どうやって改善していけばいいのか、そこの「思考停止をしない努力」を見せて欲しいわけだ。そうした作業を怠ることこそ、今回の浅田真央が得た貴重な経験をムダにすることになり、それはもったいないわけで。

ちゃんと「根拠」をはっきりさせ、多くの人に有益な教訓や学びとして継承していくこと。そういう堅実なスタンスを守っていかないと、根拠のない暴言を気分まかせに吐く政治家みたいなのがのさばって訳知り顔でアホなことを述べ続けることにもなる。

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